【同人誌】あなたのわたし、あなたのあなた【サンプル】
「泰衡さんは、川湊を見に行ってたんですか?」
「正確には、橋を、だが」
遊びに行ったのではない、と否定される。
「そんなに川の水、増えてるんですか?」
「徐々に。今はそうでもないが、急に水が押し寄せることがある。まだ一日は警戒しなければならない」
少し面倒そうな表情で、迷惑だと言いたげな目をしている。でも、一応は質問に、答えてくれる。
「では、我々は早々に戻らねばならぬので、先に失礼する」
しかし、話し終えた途端、さっさと愛馬に騎乗してしまう。相も変わらず素っ気ない。
銀も、望美と将臣に一礼し、馬を引こうとした。
「……もしも、急な入り用があるなら、伽羅御所に立ち寄って、必要なものを持ち帰ればいい」
泰衡は、ふと思い立ったように言う。
「いいんですか?」
「御所で不足が出ぬ程度ならば、好きなようになさって構わない。御所の者には話しておく」
思いの外、彼は気を遣ってくれているようだ。
ありがとうございます、と伝えようとしたけれど、そんなこちらの反応など興味もないのか、急に手綱を取って行ってしまう。
その背中を、望美は見送ることになった。
「ラッキーだったな」
「そうだね」
将臣が笑うので、望美も笑みで返す。
川まで行かずとも、渡れないことを知ることができたし、ついでに、泰衡に必要なものは分けてくれると約束してもらえた。確かに、運がいい。
しかし、望美はしばしまっすぐ、去っていった人の背中を眺めた。
溜息を、つきたいような気分。
「淡々としたもんだよなあ」
将臣も望美のそんな様子に気づいて、そう口にした。
思わず、望美は小さく笑う。苦笑いに近い。
「いつものことだけどね」
「でも、あれが恋人への態度だろ? 変わってんなあ」
――恋人。
幼馴染みの口から聞く、まだ何とも実感の湧かない言葉には、望美も実際、頷いていいか分からない。それが、正直なところだ。
和議を成して三ヶ月。望美が、泰衡に気持ちを告げて、拒まれなかった日からも、同じだけの月日が過ぎた。
「泰衡さんだしね」
そう応えてはみたものの、本当はどうなのか、はっきりしない。
ただ、自分でもこの関係はそういう曖昧なものだと、改めて自覚する。
(私たちって、恋人なのかなあ……?)
分かっていることは、もう一つ。
望美自身は、泰衡に恋をしている、ということ。
---中略------------------------
しっかり荷物を背負うと、行こう、と将臣を促して、御所を出た。
二人で、高館への道を歩く。将臣の持つ籠の方が、たくさん入って重いようだが、彼の足取りは乱れない。望美の買い物に付き添って、荷物持ちを無理矢理させたときは、これよりもっと軽い物でも、重い重いと文句を言いながら、のったり歩いていたものだけれど。
少し先を行く将臣の背を、眺めながら歩く。望美の籠は芋がいくつか入っているだけで、大して重くない。
「なあ、望美」
周囲に人家がなくなったとき、将臣はふいに立ち止まり、背を向けたまま、呼びかけてきた。
「何?」
一拍、躊躇するような間があった。そういえば、泰衡と銀に会う直前、彼は何か言おうとしていなかったか。
「そろそろ、帰るか?」
「……ん?」
今から、目の前に見える小高い山を上がり、帰館しようとしているときに、どうしたのか。
将臣は、苦笑しながら、肩越しにこちらを見た。
「高館じゃない。――俺たちの生まれ育った世界だ」
彼の声には、もう躊躇いの欠片もないようだった。
望美も歩みを止めたまま、将臣の顔を見つめる。それ以上、どうすることもできなかった。
――帰る、と。
本当に生きていた元の世界に、帰るべきだと。
「……今?」
「今じゃなきゃ、いつになる?」
問うと、即座に訊ね返され、望美の方が答えに窮す。
将臣は、憂鬱そうに溜息をついた。
「俺だって、この世界が嫌で、すぐに帰りたいって訳じゃない。高館の仲間と離れたいんでもない。平家のことだって心配してる。けど、……俺たちは、この世界の人間じゃない」
彼の言っていることは、分かる。将臣が、八葉の仲間たちといることを、厭っているとは思えない。しかし、
「でも、もう随分長く、この世界にいて、私たちは――」
「俺たちが異物だってことじゃない。そうじゃなくて。つまりさ、俺たちにも、家があるってことだ」
---中略------------------------
しばらく他愛ない話で――最近の高館の様子などの報告だ――、食事を進めていた。
しかし秀衡は、やっと箸を手に持ちはしたが、ほとんど食べる様子はなかった。珍しい。
「神子殿が平泉に来てから、どれほどになるか?」
「去年の秋に来たので、そろそろ、七――いえ、八ヶ月は過ぎたと思います」
分かり切っていることを、何故、聞くのだろう。
「そろそろ、平泉での生活には馴染まれたであろうか?」
「そう、ですね。初めは、右も左も分からなかったですけど、毎日あちこち歩いたりしたし、平泉の人たちともたくさん会えたし」
戦の後の平穏は、望美にゆったりした時間を与えた。平泉の町を回れば、この地の人々が声をかけてくれるし、高館の皆で、農作業の手伝いをすることもあった。
この世界に来てから、これほど安定して過ごしたことは、なかったと思う。
(神子の役目も、終わってるみたいなものだし)
怨霊を封じることも、浄化することも、今はほとんどない。
「泰衡とも打ち解けてきておるか?」
さらなる問いには、口をつけた甘葛水が詰まりそうになる。が、どうにか飲み込んだ。
「……う、ええと、まあ、はい」
曖昧に笑うしかない。
三ヶ月経って、泰衡との恋人関係には、慣れてきた。泰衡がどういう人間か、以前よりも理解してきた。しかしこれで、打ち解けたと言えるのか。
泰衡は、相変わらず冷たい。優しくはない。でも、肉親や郎党、昔馴染みの九郎や弁慶にさえ、こんな態度だ。こういう人だと、今は分かってきた。
ちら、と泰衡に視線を投げかける。彼は、真正面の父親を見ている。こちらに顔を向ける気配はない。
「あのときは、神子殿も酔っておったゆえ、覚えておらぬと聞いた。しかし今は、そなたも泰衡も、そしてわしも、まだ酔っておらぬ」
「え、は、はい」
泰衡も秀衡も、まだ小さな盃一杯をたしなめた程度。望美に至っては、酒は飲んでいない。
「神子殿、改めて申そう。――我が愚息、泰衡の妻となっては頂けぬか?」
「――!」
息を呑み込む。
妻、と聞いた。泰衡の、妻。
意識してそう考えるのは、もう二度目のこと。
願い出た秀衡から顔を逸らし、それから、隣に座る人を見た。泰衡を。
今度は、こちらを見ていた。けれど、こちらはこの状況で、いつもと変わらない。平静な様子だ。
---中略------------------------
「正確には、橋を、だが」
遊びに行ったのではない、と否定される。
「そんなに川の水、増えてるんですか?」
「徐々に。今はそうでもないが、急に水が押し寄せることがある。まだ一日は警戒しなければならない」
少し面倒そうな表情で、迷惑だと言いたげな目をしている。でも、一応は質問に、答えてくれる。
「では、我々は早々に戻らねばならぬので、先に失礼する」
しかし、話し終えた途端、さっさと愛馬に騎乗してしまう。相も変わらず素っ気ない。
銀も、望美と将臣に一礼し、馬を引こうとした。
「……もしも、急な入り用があるなら、伽羅御所に立ち寄って、必要なものを持ち帰ればいい」
泰衡は、ふと思い立ったように言う。
「いいんですか?」
「御所で不足が出ぬ程度ならば、好きなようになさって構わない。御所の者には話しておく」
思いの外、彼は気を遣ってくれているようだ。
ありがとうございます、と伝えようとしたけれど、そんなこちらの反応など興味もないのか、急に手綱を取って行ってしまう。
その背中を、望美は見送ることになった。
「ラッキーだったな」
「そうだね」
将臣が笑うので、望美も笑みで返す。
川まで行かずとも、渡れないことを知ることができたし、ついでに、泰衡に必要なものは分けてくれると約束してもらえた。確かに、運がいい。
しかし、望美はしばしまっすぐ、去っていった人の背中を眺めた。
溜息を、つきたいような気分。
「淡々としたもんだよなあ」
将臣も望美のそんな様子に気づいて、そう口にした。
思わず、望美は小さく笑う。苦笑いに近い。
「いつものことだけどね」
「でも、あれが恋人への態度だろ? 変わってんなあ」
――恋人。
幼馴染みの口から聞く、まだ何とも実感の湧かない言葉には、望美も実際、頷いていいか分からない。それが、正直なところだ。
和議を成して三ヶ月。望美が、泰衡に気持ちを告げて、拒まれなかった日からも、同じだけの月日が過ぎた。
「泰衡さんだしね」
そう応えてはみたものの、本当はどうなのか、はっきりしない。
ただ、自分でもこの関係はそういう曖昧なものだと、改めて自覚する。
(私たちって、恋人なのかなあ……?)
分かっていることは、もう一つ。
望美自身は、泰衡に恋をしている、ということ。
---中略------------------------
しっかり荷物を背負うと、行こう、と将臣を促して、御所を出た。
二人で、高館への道を歩く。将臣の持つ籠の方が、たくさん入って重いようだが、彼の足取りは乱れない。望美の買い物に付き添って、荷物持ちを無理矢理させたときは、これよりもっと軽い物でも、重い重いと文句を言いながら、のったり歩いていたものだけれど。
少し先を行く将臣の背を、眺めながら歩く。望美の籠は芋がいくつか入っているだけで、大して重くない。
「なあ、望美」
周囲に人家がなくなったとき、将臣はふいに立ち止まり、背を向けたまま、呼びかけてきた。
「何?」
一拍、躊躇するような間があった。そういえば、泰衡と銀に会う直前、彼は何か言おうとしていなかったか。
「そろそろ、帰るか?」
「……ん?」
今から、目の前に見える小高い山を上がり、帰館しようとしているときに、どうしたのか。
将臣は、苦笑しながら、肩越しにこちらを見た。
「高館じゃない。――俺たちの生まれ育った世界だ」
彼の声には、もう躊躇いの欠片もないようだった。
望美も歩みを止めたまま、将臣の顔を見つめる。それ以上、どうすることもできなかった。
――帰る、と。
本当に生きていた元の世界に、帰るべきだと。
「……今?」
「今じゃなきゃ、いつになる?」
問うと、即座に訊ね返され、望美の方が答えに窮す。
将臣は、憂鬱そうに溜息をついた。
「俺だって、この世界が嫌で、すぐに帰りたいって訳じゃない。高館の仲間と離れたいんでもない。平家のことだって心配してる。けど、……俺たちは、この世界の人間じゃない」
彼の言っていることは、分かる。将臣が、八葉の仲間たちといることを、厭っているとは思えない。しかし、
「でも、もう随分長く、この世界にいて、私たちは――」
「俺たちが異物だってことじゃない。そうじゃなくて。つまりさ、俺たちにも、家があるってことだ」
---中略------------------------
しばらく他愛ない話で――最近の高館の様子などの報告だ――、食事を進めていた。
しかし秀衡は、やっと箸を手に持ちはしたが、ほとんど食べる様子はなかった。珍しい。
「神子殿が平泉に来てから、どれほどになるか?」
「去年の秋に来たので、そろそろ、七――いえ、八ヶ月は過ぎたと思います」
分かり切っていることを、何故、聞くのだろう。
「そろそろ、平泉での生活には馴染まれたであろうか?」
「そう、ですね。初めは、右も左も分からなかったですけど、毎日あちこち歩いたりしたし、平泉の人たちともたくさん会えたし」
戦の後の平穏は、望美にゆったりした時間を与えた。平泉の町を回れば、この地の人々が声をかけてくれるし、高館の皆で、農作業の手伝いをすることもあった。
この世界に来てから、これほど安定して過ごしたことは、なかったと思う。
(神子の役目も、終わってるみたいなものだし)
怨霊を封じることも、浄化することも、今はほとんどない。
「泰衡とも打ち解けてきておるか?」
さらなる問いには、口をつけた甘葛水が詰まりそうになる。が、どうにか飲み込んだ。
「……う、ええと、まあ、はい」
曖昧に笑うしかない。
三ヶ月経って、泰衡との恋人関係には、慣れてきた。泰衡がどういう人間か、以前よりも理解してきた。しかしこれで、打ち解けたと言えるのか。
泰衡は、相変わらず冷たい。優しくはない。でも、肉親や郎党、昔馴染みの九郎や弁慶にさえ、こんな態度だ。こういう人だと、今は分かってきた。
ちら、と泰衡に視線を投げかける。彼は、真正面の父親を見ている。こちらに顔を向ける気配はない。
「あのときは、神子殿も酔っておったゆえ、覚えておらぬと聞いた。しかし今は、そなたも泰衡も、そしてわしも、まだ酔っておらぬ」
「え、は、はい」
泰衡も秀衡も、まだ小さな盃一杯をたしなめた程度。望美に至っては、酒は飲んでいない。
「神子殿、改めて申そう。――我が愚息、泰衡の妻となっては頂けぬか?」
「――!」
息を呑み込む。
妻、と聞いた。泰衡の、妻。
意識してそう考えるのは、もう二度目のこと。
願い出た秀衡から顔を逸らし、それから、隣に座る人を見た。泰衡を。
今度は、こちらを見ていた。けれど、こちらはこの状況で、いつもと変わらない。平静な様子だ。
---中略------------------------
作品名:【同人誌】あなたのわたし、あなたのあなた【サンプル】 作家名:川村菜桜