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凌霄花 《第三章 身を尽くしても …》

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祓う方法が違うと判断すると、支度をするためその場を去った。

「清澄様……」

 助けを求めた者に見捨てられたと思った早苗は、絶望し項垂れた。

 助三郎の姿をしたモノは、早苗を腕に抱きながら猛り狂っていた。

『早苗は俺のものだ! 俺だけのものだ! 絶対に誰にも渡さない!』
 
 早苗はその言葉に涙した。
 一度くらい、本物の助三郎にそう強く言ってもらいたかった。
いつも、『束縛したくない』だの、『お前が俺の事嫌いならあきらめる』だの弱々しいことしか言わない男だった。
 しかし、同時にそんなことをこの期に及んで考えてしまう自分を呪った。

 清澄は戻ってこない。

 少し落ち着居た様子のそれは、早苗の耳元で甘く囁いた。

『これで二人きりだ、早苗』

 抱きしめ方も、優しいものになっていた。

『顔を見せてくれ』

 知らないうちに、早苗は女の姿に戻っていた。
助三郎の姿のそれは彼女の頬に触れた。
 その手は恐ろしく冷たかった。

『早苗だ。俺の早苗だ…… 俺の宝。俺の命。俺のすべて……』

 そしてそっと口づけを落とした。
氷のように冷たいそれに、早苗は震えた。
 
『邪魔な物はもう全部なくなった。消した。お前の為なら、俺は鬼にでも夜叉にでもなる。お前の為なら、なんでもやる。人も殺す。だから、もうどこへも行かないでくれ……』

 これはやはり偽物。悪霊が自分を惑わせる為に見せる幻覚。
本当の助三郎ならばこんな過激な事は言わない。
 早苗はそう結論づけた。

 しかし、

『……愛してる、早苗』

 耳元でそう囁かれた瞬間、早苗の体は痺れ、意識は遠退いていった。





「おはようございます。お目覚めですか?」

 眼の前に、清澄の妻が居た。

「おはようございます。あれ、わたし……」

 早苗は何がどうなっているのか解らず、焦った。
しかし、清澄の妻は早苗を安心させるように優しく言った。

「大丈夫です。いま、夫を呼びますから」

 少しすると、清澄が現れた。

「おはようございます。昨晩は失礼をいたしました」

 深々と頭を下げる清澄。
次第に昨晩の記憶がよみがえって来た。

「……あの悪霊、相当強いのでしょうか?」

 不安そうにそう聞く早苗に、清澄は穏やかな笑みを湛えて言った。

「あれは悪霊ではありません」

「……では?」

「生霊です」

 清澄の発言に、早苗はぽかんとしてしまった。
開けた口を閉じ、彼に確認した。
 
「生霊というのは、あの源氏物語に出て来る、六条御息所のような?」

「はい。あれが一番わかりやすい例かも知れません」

 早苗は思い出した。なぜ六条御息所は生霊になったのか。

「……あの男は、わたしに恨みがあるのですか?」

 恐怖と同時に、猛烈な悲しみに襲われたが耐えた。

「いいえ。生霊というのは、恨み以外でも出てくる場合が多々あります」

「では? なぜあの男が? 理由は?」

 彼女には見当が付かなかった。

「……あなたさまへの想いが強すぎて、あなたさまを探してここまで来たようです。それ故、あなたさまの守護霊たちも、危ない物ではないと判断し、あの生霊を追い払わなかったのです」

 なぜいまさら生霊になるまで思いつめ、自分を探すのか。
早苗は疑問に思った。しかし、それ以上にどうやって自分の居場所を突き止めたのかが気になった。

「……いったい、どうやって?」

「貴女が持っておられる、櫛を頼りに探しあてたようです」

 早苗は懐からそれを取り出した。

「……これを頼りに?」

 清澄は何かに気付いた様子で、それをじっと見つめた。
 
「あの方からの贈り物ですか?」

「はい」

「あの方の強い念が籠っています。あなたさまを大切に思う気持ちで溢れんばかりです」

 早苗は驚き凝視した。

 助三郎が早苗にと購入し、贈った。
 早苗が助三郎を忘れようと、彼に付き返した。
 二度目の結婚申し込みの際に、彼から再び贈られた。
 祝言のとき、初めて身につけた……

 確かに、その櫛にはいろいろあった。
 それ故、念が籠もってしまったのだろう。
 
 清澄は何も聞かなかった。
その代わり、早苗に生霊の対処法を教えた。

「あの生霊を元の場所に戻し、二度と現れないようにする方法は、二択です」

 早苗はその方法を真剣に聞いた。

「一つは、あの方の許に戻ると約束する。もう一つは、その櫛を突き返し、引導を渡す。あなたさまにしか出来ません」

 早苗はその日一日考えに考えた。
そして、結論を出した。





 その晩遅く、生霊はやはりやってきた。
 男の姿で正座し待機していた早苗は近寄ってきたそれに、櫛と守袋を突き返し言い放った。

「今すぐ帰れ! 二度と来るな!」
 
 助三郎の生霊は泣き声を出した。
昨日の荒々しい男とはまるで違っていた。
 しかし、それこそ、本来の助三郎のはず。

『……俺が嫌いか?』

 早苗はキッと睨みつけた。

「しつこいやつは大嫌いだ」

『……直したら、好きになってくれるか?』

「無理だ」

『早苗…… ごめん…… 許してくれ……』

 伸びてきた手を、心を鬼にして振り払った。

 驚いたと見える生霊だったが、すぐさま頭を畳に擦り付けた。

『許してくれ! もう一度、あと一度でいい! お前と一緒に生きなおす機会をくれ!』

 早苗の心が一瞬動いた。
 
 その言葉が本当ならば……
 いや、本当かもしれない。
 自分が見た助三郎の行為はすべて何か理由があったのかもしれない。
 助三郎は、まだ自分を……
 
 そう思いをめぐらせたが、踏みとどまった。
 眼にしたこと、耳にしたことはすべて現実。
 淡い期待を抱いて、どれだけ裏切られたか。
 再び絶望のどん底に突き落とされるのはもうごめんだった。

「無理だ。もう疲れた…… 俺はもうお前を信じられない…… 女としてお前と一緒には生きられない……」

『お願だ、早苗……』

 助三郎の生霊に背を向け、再び怒鳴った。
 
「帰れ! 二度と来るな!」

『早苗……… 許してくれ…… 早苗…… 俺はお前無しじゃ生きていけない……』

 生霊は泣き続けた。
しかし、早苗は振り向かなかった。
 
 いつしか、夜が明け日が昇った。
 早苗はようやく振り向いた。
 生霊は居なかった。
 渡した櫛も、守袋も一緒に消えていた。

「助三郎さま!」

 早苗は声を出して泣いた。
 二人で過ごした楽しい幸せな日々が走馬灯のようによみがえり、早苗を苦しめた。

 離れたくなかった。
一生一緒に居たかった。
 
 しかし、このままでは自分が壊れる。
 それに、助三郎のためにも、水戸藩のためにも『早苗』という自分が居てはいけない。
必要なのは『格之進』

 涙をぬぐい、早苗は笑った。

「助三郎さま…… この世で誰よりも大好きです。愛しています…… だから、さようなら……」