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ローゼンメイデン異伝 「水銀燈の灯り」

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前編



    ローゼンメイデン異伝 「水銀燈の灯り」前編

-1

 黒き空間の中で、彼女は立っていた。
 腰まで伸ばした美しい銀の髪と、逆十字の意匠をこらした黒のドレスの
背中から黒い翼をなびかせる姿は、一見、悪魔にも見える。
 しかし、彼女の表情を見よ。
 まだ幼さを残した美しい少女の瞳に浮かぶ悲しい色を。
 悪魔と呼ぶには悲しすぎる。美しすぎる。

 彼女は生きた人形。
 大魔術士とも言われるローゼンが作製した7体の生きた人形--すなわち、
ローゼンメイデン(薔薇乙女)シリーズの誇り高き第1ドール。その名も…
「水銀燈さま」
 何も無い空間から突如聞こえた声は同時に黒いタキシード姿となって出現した。
 顔はウサギである。
「…ラプラスの魔」
「悲しみの沼に沈んだ少女のような姿で舞台に立つのはおやめくださいませ」
「…わかっているわぁ…」
「お忘れですか? ローゼン様からのお申し付けを」
 水銀燈はうつむいた。美しい瞳には涙が光っていたかもしれない。
「御姉妹にも知らされぬローゼンの使徒を守護するお役目、水銀燈さま、
 あなた様しかできぬ配役でございますぞ」
「お父様のお言葉…わかっているわぁ」
 水銀燈は顔を上げた。銀色の髪がなびく。
 その瞳にはすでに悲しみは無く、氷のように冷たい瞳へと変貌していた。
 ラプラスの魔はウサギの顔で笑顔を作った。
「よろしゅうございます。それでこそ最凶の逆十字の御配役。
 さてーーすでに舞台にあがっていらっしゃいますぞ。今宵のお相手が」

 水銀燈の瞳が闇の空間を見た。
 同時にスポットライトのごとく、円形に光が天から降り注いだ。
 その光の中心に--長い黒髪の少女が正座をしていた。
 人形であった。
 腰まで伸ばした黒髪を背に巫女の衣装を来たその人形は、座したまま、
「彼岸花と申します」
 深く頭を下げた。長く美しい黒髪がたなびく。
 この彼岸花と名乗る人形も生きているのだ。

 頭を下げ続ける彼岸花を見て、水銀燈が微笑んだ。
 とびきり冷たく、邪悪に。
 黒い羽を一度羽ばたかせ、座する彼岸花の目の前に爪先から地についた。

「私は水銀燈。闇を纏わされ逆十字を標された薔薇乙女最凶のドールよ。
 私達ローゼンメイデンに挑むなんて…おろかだわぁ。
 早くあなたのお父様のところへお帰りなさぁい」

「そうはいかんな!」
 声は背後からした。
 瞬間、水銀燈は長大な数珠に巻かれていた。
 彼岸花は、ようやく頭を上げた。
「お父上」
「なっ…」
 水銀燈は立ったまま数珠にからまれつつも、背後を見た。
 長大な数珠の先に老いた男が立っていた。白髪白髭の僧侶であった。
「ローゼンの第1ドールも噂ほどでは無い様じゃな。
 道化ウサギの誘いに乗ったのは正解であったわ。おっと」
 水銀燈は飛んで呪縛から逃れようとしたが、僧侶の数珠さばきによって
妨げられた。むしろ、体を縛る数珠がきつくなっていく。
「…ラプラス…!」
 タキシードのウサギの姿はいつのまにか消失していた。
「ははははは! この角谷道満が作りし傀儡がローゼンを超える時が来たようじゃ。
 この鞄の中身と一緒にゆっくりと分解してくれるわ!」

 僧侶が一個の鞄を投げ捨てた。
 それは薔薇乙女が眠る鞄であった。
 そして、水銀燈には解かっていた。
 その鞄は真紅の物だと。ローゼンメイデンの第5ドールである妹の物だと。
 鞄の中に真紅が眠っている事を。
「どこでこの鞄を…?」
「さきほどのウサギ様からお父上に、と」
 いつのまにか、彼岸花が水銀燈の背後に立っていた。
 巫女服の胸の合わせ目から小柄を取り出し、鞘から美しく光る刃を抜いた。
「彼岸花、そやつの首だ! まずその首を落とせ」
「水銀燈さま、おいのち頂戴いたします」
 彼岸花の刃が水銀燈の首に近づいていく。
 しかし。
 水銀燈は刃も、彼岸花も、彼岸花の製作者である角谷道満さえ見ていなかった。
 その瞳には--地にある鞄--真紅が眠る鞄のみが映っていた。

-2

 古城の一室は争いの空気に満たされていた。
「サンジェルマン伯爵! 私は貴殿を子どもの頃に見た。その少女もだ!」
 歳を重ねた老紳士が若々しいスマートな紳士向って叫んでいた。
 若い紳士の傍らに腰まで伸ばした銀の髪が美しい少女が立っていた。

「私は今年で60になる。だが、貴殿も少女も昔のままの姿ではないか!
 これはなんとしたことか? 神の御業か--否! 断じて否!
 ならば神の名において、悪魔を討つ所存…いざ!」

 老紳士の手には細身のサーベルが握られていた。
 空気を切る音と共に、瞬間、老紳士の突きが電光のごとく放たれた。
 しかし。
 サーベルの切っ先は…少女の小さな指先に挟まれていた。
 老紳士はサーベルに力をこめたが、巨岩に剣先を突き入れているかのよう
に、びくともしなかった。
「お父様、いかがいたしますか?」
「水銀燈、なにを躊躇う。人間など糧と考えよ」
 老紳士の目が見開かれた。恐怖の目であった。
 少女の黒いドレスの背中から黒い翼が広がったのである。
「わかりました…お父様」
 水銀燈は剣先を挟む腕を引いた。
 サーベルごと、老紳士の体を手前に引き込んだのだ。
 どれほどの力がこもっていたのか…老紳士は逆らうこともできず、水銀燈の
胸元に倒れこんでいた。--力なき人形のように。
「…さようならぁ…」

 夜空には満月があった。
 古城の静かな闇に悲鳴が響いたが、夜の空気はすぐに静寂として掻き消した。


 陽がそそぐ草原で5人の少女がお茶会を開いていた。
 小鳥が鳴き、心地よい風が遠くの山々から新鮮な空気を運んでくる。
 林の小枝と様々な色の葉がサワサワと音楽を奏でる。
 平和な時間であった。

 そこへ黒い翼を羽ばたかせ、黒いドレスの少女が草原に舞い降りた。
 水銀燈であった。
 その黒い姿に、二人の少女が飛びついたのだ。

「銀姉さま、おかえりかしら~」
 水銀燈の右腕に飛びついた黄色いドレスの少女。
 名前は「金糸雀(カナリア)」。ローゼンメイデンの第2ドールである。

「水銀燈~お帰りなさいなの~」
 水銀燈の左胸にとびついた桃色のドレスの少女。
 名前は「雛苺」。ローゼンメイデンの第6ドールである。
 無邪気な二人に水銀燈は…微笑んでいた。
「ただいまぁ、みんなぁ。元気だったぁ?」

 水銀燈の笑顔と明るい声に、青い帽子をかぶった少女が笑顔で答えた。
「お疲れ様です、姉さま」
 名前は「蒼星石」。ボーイッシュな雰囲気がある少女だ。
 ローゼンメイデンの第4ドールである。

「…おかえりなさいですう…翠星石がスコーンを焼いたですよ」
 蒼星石の背中に隠れながら、長い巻き毛が美しい少女が言った。
 名前は「翠星石」。ローゼンメイデンの第3ドールである。
 蒼星石と翠星石は双子の人形なのだ。
 水銀燈はそんな双子に笑顔で「ありがとう」と答えた。

「こほん」
 咳払い。
 水銀燈が振り返ると、そこには赤いドレスに長いブロンドの髪が美しい
少女が立っていた。口に手をあて、目をつぶっている。
 名前は「真紅」。ローゼンメイデンの第5ドールである。