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ハイドロゲン
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novelistID. 3680
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ストレンヂ

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喉から胃液が這い上がって、息になりかけた悲鳴が劈いた。アーサーが死んでいた。ただそれだけだ。それだけだった。アーサーが死んでいた。それだけだ。それだけだ。ただそれだけ。アーサーが死んでいる。それだけ。
 (俺と彼の奇妙な一生は、予想を遥に乗り越えて早く終わった。きっと未だ俺は折り返し地点にも来ていなくて、1000年位生きてしまった彼はもしかしたら半生くらいは終えていたかもしれないけれど、それでももっと遠くにゴールがあるものだと思っていたのに。いたのに)


 喉から胃液が這い上がって、息になりかけた悲鳴が劈いた。アーサーが死んでいた。ただそれだけだ。それだけだった。アーサーが死んでいた。それだけだ。それだけだ。ただそれだけ。アーサーが死んでいる。それだけ。アーサーは死んだ。
 (俺と彼の平凡な一生は、予定通り早く終わった。結局、与えられた余暇を全うすることは無かったけれど、ただ少しだけ想定外にゴールが近くにあって彼の方が近くにいてしまったことが無念で仕方ないけれど、俺は満足している。きみと出会えてよかったと心底思っている。)


 喉から胃液が這い上がって、息になりかけた悲鳴が劈いた。アーサーが死んでいた。ただそれだけだ。それだけだった。アーサーが死んでいた。それだけだ。それだけだ。ただそれだけ。アーサーが死んでいる。それだけ。アーサーは死んだ。アーサーは死んでしまった。
 (俺と彼の怠惰な一生が、終わるとは意外だった。命なんて意味のない場所に居たはずなのに、きみが死んでしまうなんて誠に滑稽だ。だから、俺は未だによくわかっていない。これがどういうことを意味しているのかわからない。ただ、何か奇妙な力が働いていることはよくわかっている。)





 喉から胃液が這い上がって、息になりかけた悲鳴が劈いた。アーサーが死んでいる。













 「また、お兄さんの勝ちだね」
 
 フランシスは手持ちの青い薔薇を一本手折って、アーサーのジャケットのポケットに差し込んだ。アーサーはひたすらに沈黙を守っていた。又、彼の足下には彩り豊かな薔薇が散りばめられている。どれも幹がぽっきりと折られていた。
 くすんだブロンドの、愛らしい童顔と厳つい眉根にギャップがある青年はいったん何かを言いかけて、すぐ噤んだ。黒ずんだクマが痛々しく存在を主張している。そして木製の椅子に姿勢良く背を伸ばしていた。着用している服にも皺一つ見当たらず、神経質な性分が見て取れた。

 「もうやめればいいのに」
 「無理だ」
 「なんで?」
 「無理だから」
 「可哀想に」
 
 アーサーはかさついた唇に、舌を当てた。それから大きくため息をつきながら額を覆い隠した。小さな頭部が僅かに振れて、フランシスはたまらなくなる。自分なら幸せにしてやれるのにと思いかけてとどまった。それが出来ないことは、出来ようもないことはフランシスはよく知っている。

 アーサー・カークランドとアルフレッド・F・ジョーンズという二人がいる。

 否、それは時に平凡な学生だったりもしたけれど、国という生命体だったり悪魔になってみたり忙しい変貌があったから助数詞としてはふさわしくないかもしれない。
 兎角、その「二人」は、共にする。
 放っておいていても、いたずらを仕掛けてみても、結局は一緒にいる。珍妙なさだめや試練を越えて、生涯を共にしている。国に生まれ変わった時なんか、あれは気の遠くなるほどの星霜だったのに、とアーサーは懐いて吐き気を催した。
 100年間ぐらい疎遠になったことがあった。
 アーサーは歓喜した。ようやく、遠ざかった。アーサー・カークランドとアルフレッド・F・ジョーンズという二人を繋ぐふてぶてしい赤い糸が切断されたと舞い上がった。アルフレッドは彼を仇敵としてあだ名したし、彼はアルフレッドに無関心になっていた。しかし結局、騒々しい物語の末、二人は手を取り合うようになり、やはり彼が逝く時となりにはアルフレッドがいた。そして今、アーサーが彼らに抱くものは紛れも無い畏怖である。彼らの前では全ての妨害は意味をなさなかった。
 
 そんな「アーサー」は、たましいとか運命とかを処理する仕事をしている。神だとか、天国だとか、そういう概念よりもっと上のところで色んなものを見据えている。ありとあらゆる機会だとか縁だとかを試しながら、もっとも良い組み合わせを探すことが彼の仕事だ。ひとつ弄るのが失敗するだけで、地球が終わることも何度か見てきた。他方で至高の選択が出来ると、給料があがる。至高か否かの判断は全て上司がするので、彼の知るところではない。
 初め「アーサー・カークランド」を受け持った時のことはよく覚えていない。ただ名前と、外見が自分とそっくりで、もしくはほぼ同じなのでなるほど驚いたことだけ感覚に残っている。今ではとんでもない問題児であるので、その同一感も憎たらしくなりつつあるけれど。
 
 「アーサー・カークランドとアルフレッド・F・ジョーンズが一緒になると地球は終わる、ねえ」 
 「そりゃ、まだいいほうだ。人外になったらまた違うだろうと思ったら、こいつらの世界を構成している要素を全て破壊しやがった」
 「何を根拠に?坊ちゃん二人が一緒にいたら、さしあたり愛し合うと決定的な破滅が起こるなんて規則があるとは到底思えないね。お兄さんも、この仕事を長いことをやっているがそんなパターン」
 「そう思うならお前が受け持てよ、髭」

 顎の下で咲き誇る一輪を握り潰して、アーサーは冷たく笑った。部屋の奥方にあるちっぽけな箱型テレビにアルフレッドの隣で横たえて死んでいるアーサー・カークランドが映っている。もう何回見たかもわからなかった。自分にそっくりな、自分と同じ名前を持っている誰かが決まって同じ最期を遂げるのは実に気色が悪い。
 アルフレッドがしゃがみ込んで、何か悲痛に叫んでいる。
 耐えかねてチャンネルを変えかけたところで、円らでどこかほの暗さの残る緑色の瞳が痛々しく見開かれた。フランシスが疑念に抱いてぐしゃぐしゃにされた花弁を拾う手を止めて、覗きこむ。アーサーの肩はわなないていた。顎に汗が伝っている。顔色が悪い。奥歯ががちがちと鳴っている。何かが可笑しいのは容易くわかっていた。
 導かれるようにフランシスがテレビを一瞥すると、青い双眸がこちらを睨んでいた。

 「アーサーはここかい?」

  切迫する場の空気に見合わない、晴れ晴れしい声音が響いた。フランシスは呆然として振り返る。アーサーは想定外のことに頭が回っていないようだった。当然だ、隔たれている筈の世界で。運命を弄ばれている側の住人がこちらにアプローチが取れる訳がない。それにしては怒気を孕んだ視線であったのが気にかかるが、とフランシスは頭の片隅で反芻しながら快活な調子の青年を窺った。
 気品のあるハニーブロンドに、端正で甘い顔立ちをしているが眼鏡で実年齢より幾分か大人びた印象が受け取れる。茶色のライダースジャケットは気に入っているのだろうか、使い込まれた感のあった。
作品名:ストレンヂ 作家名:ハイドロゲン