アリスが一番好きなのは誰か?
★ ブラッドの妨害 ★
「お嬢さん、どこへ行くんだ?」
廊下を曲がったところで急に目の前に立ち塞がってきたブラッド。勤務が終わって、素早く着替えて出かけるところだった。この男に見つかる前に。
「ハートの城へ出かけるんだけど。ビバルディとお茶の約束なの。急いでるの。」
彼はあからさまに嫌そうな顔をする。それでも無視をして、彼を避けて出口へ向かう。肩をガチッと掴まれた。
「用事があるんだ。私に付き合ってもらうよ。」
「何だって言うのよ。プライベートまで貴方の指図は受けたくないの。他の人に頼んで頂戴。」
家主・上司に対して失礼極まりない態度。そして帽子屋ファミリーのトップ相手に恐れを知らぬ言動。此処だけを見れば確かにそうなのだが、アリスがこんな態度なのには理由がある。
例の一件以来、外出に対する締め付けが厳し過ぎる。外出の度に、何処から嗅ぎつけるのか邪魔をする。例外無く、いつでもこんな風に、言外に出掛けるなと漂わせてくる。特にハートの城へ行く時は大変なのだ。ならば行き先を告げなければ良いではないか、という安易な発想は既にお試し済みである。
城門手前で尾行してきた構成員による拉致、ブラッドの部屋で軟禁状態・・これは嘘を吐いたことへのお説教だったのだが、長くてまあ大変だった。反論は一切無視された。
そんな経緯もあって現在に至る。
とにかく、これではペーター=ホワイトが二人居るのと変わらない。住居が同じなだけ、此方の方が厄介かもしれない。うんざりする。以前の快適に過ごせるお互いの距離感は何処へ消えたのか。
「ねえ、お願い。ビバルディとのお茶会は本当に久しぶりなの。一杯話したいことがあるのよ。」
「話したいことなら私に言えばいいいだろう。わざわざウサギの皮を被った狼の居る城に行くことはあるまい。それとも・・」
此処で言葉を区切ると意地の悪い光の瞳が、これからもっと苛めてやると言っているように見える。
「わざわざ食われるために行くのか。奴に食われたいのか?君は。」
「・・・女同士の話をしたいのよ。貴方が邪魔ばかりするから本当に久しぶりなの。ウサギには会いません。絶対に。」
ブラッドの前では、ペーターの名を呼ぶことすら禁じられている。もう笑えるような本当の話だ。
いつまでもねちねちと危険だとか用事に付き合えと連発する男にアリスは溜息を吐くと、その袖口を掴んで彼の部屋へ向かう。まるで母に手を引かれる子供のように、満足そうな顔をした男は大人しく付いて来る。
部屋に入るなり、彼女は怒り始めた。
「ねえ、用事って何?」
ブラッドはそれには答えず、唇の端を上げて哂う。その余裕の顔にますますキィキィとアリスの声が高くなる。心が狭いだの、疑り深いと嫌われるだの、男ならもっと余裕を見せろだの、終いには此れじゃ滞在地を変えないとやっていけない等々、それはもう散々な言い草を披露したのだが、それを面白いものでも見るかのように聞き終えると、これまたアリスが怒り狂うような、外出を引き止めた用事とやらを言い出した。
「暇で退屈だったからな、君の顔をずっと見ていたかったんだ。私にとってはとても大事な用事だ。」
じゃあ見せない。そう言って男の背中に手をまわして、胸に顔を埋めた。温もりと仄かな薔薇の香り。アリスはこの薔薇の香りが大好きだ。彼女の背にも腕が回される。
この男の腕の中が安心だと思い始めたのはいつからだろう。今だってずっとこうしていたいと思ってしまう。
「私が好きなのは、貴方だけって知ってるでしょう?」
「君は嘘が上手い。私から逃げてばかりいる。」
「私が嘘吐きなら、貴方はずるい男よ。」
アリスは胸から顔を離して、ブラッドを見上げる。彼も此方を見つめていた。ずるい男と言われて心外なようだ。少し眉を寄せて不満そうな表情を見せている。そんな表情さえ、愛しい。
恋愛も結婚も、目の前の男と顔は似ているが性格は正反対の元家庭教師タイプか、ペーターの方が自分には似合っている気がする。理屈ではなく直感がそう知らせるのだ。この男は自分を包んで丸ごと温かく愛してくれるような、そんな柔らかな愛をくれはしないと。
それでも惹かれる。
「君は、私に何もくれない。」
そう言いながらブラッドの手が頬を撫でる。何か言葉を返したいのに出てこない。そこまで出掛かった言葉が取り出せない。いつものことだ。彼が目の前から立ち去ってから、ああ言えば良かった、こう言えば良かったと浮かんでくるのだ。一緒に居ると、何処か浮ついて冷静ではいられない。
顔が近づいてきて唇が重なる。軽く触れるように数回。たったこれだけでのことで、緊張して身体中が硬くなる。下唇をチュッと吸われて再度抱き締められる。胸が爆発しそうなくらいバクバクしている。
「こんなキスくらい、いい加減慣れろ。でないとこれ以上何も出来ないだろう。」
「な、ななな慣れたわよ。平気よっ。」
嘘だ。頭の中がグルグルしている。もっとスマートに格好良くしたいのに、どうしてこんな情けないことになってしまうのか。キスくらい出来るわよ。アリスはブラッドの首に腕を回すと引き寄せた。勢いで顔を近づけると目を閉じながらキスをする。ちゃんと大人のキスだって出来るのよ。相手の口の中に舌を入れる。難なく迎え入れられた口内で直ぐに別の舌が慣れた動きで絡んできた。思わずビクッと離れそうになるアリスの頭を後ろから支えると、そのまま続けられる。貪欲なほどに求められて、されるがままに何度も応じる。
「好き。大好き。」
思わず声が漏れる。その声をブラッドは封じ込める。本当に想う人とするキスが、こんなに幸せを感じるものだと初めて知った。離れたくない。それでも唇は離れ、二人は抱き合う。アリスは床の上に座り込んでいた。彼も片膝を突いている。先に立ち上がり手を差し伸べてきたが、身体に力が入らずお姫様抱きでソファに運ばれた。そのまま寝かされ、上に覆い被さってきたブラッドが嬉しそうに耳元に囁く。
「立てないんじゃ、城には行けないな。」
「!」
私が斬首刑になってもいいの?と言うと、もう城に行かなければいい。此処に居れば私が護ってやると澄まして答える。彼が話すたびに耳元に息が掛かる。その刺激にも低い声にも頭がぼおっとする。身体の力が抜けて重くなる。
皮膚を這う舌の感触に反応して、自分が出しているとは思い難い声が段々大きくなってゆく。自らの意思では止められない。我慢して息を止める度、次の声がより甘く大きくなってゆく。
露出している腕を持ち上げ、此方に見えるように舌先で舐め上げる。アリスの方を見ながら、自分の行為で乱れてゆく様を観察する男の目が異様に冷静なように見える。このまま自分の全てを支配されるのだ。それでいい。自分はそれを望んでいる。
背中に手を差し込まれグイと抱き起こされた。身体を九十度回されアリスの足は床に着く。背中は背もたれに密着した。
「?」
作品名:アリスが一番好きなのは誰か? 作家名:沙羅紅月