いつものあなた
「さて、と。じゃあ、そこに座って」
アンディを手近な椅子に座らせて、アンナは机の上に袋を置き、また鞄をごそごそし出す。
「化粧もしてって言われたんだけど、かえって変になっちゃいそうだよね。アンディは肌キレイだし……もったいないから、ここは色つきリップクリーム程度で……」
「ちょっ、アンナ、それ君が使ってたやつじゃっ……」
唇にリップクリームを突き出されて、アンディが慌てて久々に声を出す。
ここは黙っていられない。
だが。
「黙って」
くいとあごをつかまれ、無理やり口を閉じさせられる。
容赦がない。
「そんなにギュッと閉じないで。唇噛まないで。薄く開いて……ちょっと、アンディ! おとなしくしてて。そう……」
アンナはアンディの唇にリップクリームを押し付けて撫でるように引いた。
「大丈夫よ、コレ、新品だから。ツヤ出し、ツヤ出し。うるうるぷるぷるの唇になるように。チェリーピンクでね。ちなみにコレ味もさくらんぼなんだけど、……アンディ? 薬用リップくらいなら男子だってつけるでしょ? どうしたの?」
どうしたもこうしたも……。
当然リップクリームなんて今まで塗ったことがないし、もちろん塗られたことなどないアンディは、羞恥と屈辱に下を向いて震える。
ぷるぷるしているのは唇だけじゃなくその持ち主もだ。
味がさくらんぼだからといってなんだ。
塗り終わってアンディを解放したアンナがそれを鞄にしまって、今度は小さな丸いプラスチックのケースを取り出す。
「何ソレ?」
危機感を覚えたアンディが警戒して訊ねる。
服を着るくらいならいい。笑われるのは嫌だけど。いや、女物も嫌だけど。でも、服は服だ。脱げばいい。脱げる。だが、体に何かつけられるのは嫌だ。それだって洗えばいいけれど、『体につく』てことがもうたまらなく不快だ。
身をできる限り引いて『ううー……』と半眼でアンナを見上げ、目で訴える。
ストップ、と。
アンナはくるくるとケースのフタを回して開け、中の半固形状の物体をすくい取って指に乗せる。
そしてアンディに近付いた。
「練り香水よ。これも香水なの。これだと普通の香水よりも軽いし邪魔にならないしこぼれることもないし……それに何よりつけたい場所にしっかりつけやすいしね。便利だから使ってるの。私が使ってるものだけど、これは気にならないでしょ? 薬とかと同じだし……ねぇ、アンディ、動かないでってば! つけられないじゃない」
「だって……」
練り香水をつけた指から身をよじって逃げていたアンディがその手を両手をあげて遮って、ぶんぶんと首を横に振る。
「必要ないよ、香水なんて。つけなくたっていいでしょ?」
「ダメよ! 女の子はみんなつけるんだから」
「ボクは女の子じゃないよ」
「だから、女の子のフリするんでしょ? つけた方がいいって、絶対! そうじゃないと、女の子と間違えて襲ってもらえないよ? それじゃ困るでしょ。何のためにこんなことしてると思ってるの。仕事なんでしょ?」
「それは……でも……」
「えいっ!!」
「あ」
アンナはぐいとアンディの手をつかんで引っ張ってその手首の裏に練り香水をなすりつける。
「ふふふ……往生際が悪いわよ、アンディ。っていうか、大袈裟よ!! 別に注射しようってわけじゃないんだから、そんなに嫌がらないの! ……ほら、いい匂いでしょう?」
香水をつけられた手首を鼻に持っていって、クンクンとかぐアンディに、アンナは得意げに言う。
「ラベンダーなんかもあるんだけど、アンディには淡いバラの香りが似合うかなって。コレ、キツクくないし、ほのかに甘いくらいで、……ね?」
その『ね?』がいい匂いの同意を求めているのだと気付いたアンディはしかめ面で不機嫌にぼそりと言う。
「なんかくさい」
アンナの目が吊り上がる。
「臭くないわよ、失礼ね!! わたしも使ってるんだってば! そんなこと言うと貸してあげないぞ」
「いいよ、別に。香水なんて」
「服のことよ! 裸で出されたいか?」
「……その方がまだマシ」
つーんとしてそっぽを向いて、椅子の上に足を乗せて、膝を抱えるアンディ。
その反対側の手首と耳の後ろに練香水をつけたアンナが、目をすがめてうんざりとして言う。
「アンディ……ズボンじゃないんだから、椅子の上に足を乗せるのやめて。見えるわよ、ちょっと……。あっ、私は見てないけど!! ほら、立って。出来たから」
言われてしぶしぶ床に足をおろして立つ。
続く。