デッドロック
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「なあ桂木、デッドロックって知ってる? たぶん知らないと思うけど」
電話先で、匪口さんは唐突にそう切り出してきた。
がらんとした事務所の中、私は匪口さんと電話で雑談していた。
一体どこからかぎつけてきたのかネウロが戻ってきたことを知っていて、それについて話を聞かれた。
いつもどおりの魔人だったと話して、その後に自分のことを、ほんの少しだけ話したとき。聞きなれない言葉を投げかけられたのだった。
「デッドロック? 何それ?」
「ロックを使用した排他制御で生じるんだけど、2つ以上のトランザクション処理が行われた際にどちらの処理も待ち状態が続く現象のことで」
「いやいやいやいや、今何処の国の言葉喋ったの? まさか宇宙語?」
わざとだろう。押し隠した笑い声が響いてきた。
「うん、簡単に言えばね、互いに相手を待っている状態がずっと続くエラーのことさ。どちらか一方が強制キャンセルしない限り、動かなくなる」
言葉が、一瞬出てこなかった。
「まるで、アンタたちみたい。ネウロは桂木の成長を。桂木もネウロの成長を。待つだけ待つだけ。いつまでも。どちらかが強制キャンセルしない限り、動かない」
互いに、待つだけ。
そう言われて、はっとした。
ネウロは、決して気づかない。人間の感情にうといから。
私がほんの少しでも動かない限り、ネウロは絶対に気づかない。逆に、進んだぶんについては、嫌になるほどじっと見て、待っている。
「ああ。でもきっと心配要らないよな? あの化け物でも桂木でも、なんかそんなの関係なしに、何かやってくれそうだ」
「……うん。そうかもね」
ほんの少しだけ、笑いをこぼす。
「大切なものが居なくならないと、前に進めない。なんてつまらない話はよしてくれよ」
どうして当たり前のことって気づかないのだろう。
日常はとても大切だ。けれど、きっと大切なものが存在することを、当然なものだと思い込むとそれは見えにくくなってしまう。
私の父もそう。居なくなってから、いろんなことに気づく。
それは今までにも、世界中に氾濫している嘘の物語で、いくらでも語られてきたこと。いくつもの大切なものを消していって。何度でもその大切さを認識する。繰り返される、気づきの連続。
「私は、ネウロと一緒に居るよ」
『謎』の気配を感じて戻ってきたネウロに、私は告げる。
自分の悩みに、ほんの少しだけ、答えを見つけた。
出来ることならば、出来るところまで、ずっと居たい。
私がどれだけ居られるかは分からないけれど。
互いに互いが必要としている、その間はずっと。そうでなくても、ずっと。
「何を当然なことを?」
ネウロはにたりと笑みを浮かべる。あざ笑っているかのようにも見えるし、ひどく歓喜した表情のようにも見える。
「当然なことでも、大切なことだからだよ」
互いに動けなくなった、見えない距離。私はそうっと足を進めていく。ネウロもネウロで、どこかでどんどん踏み出してくるかもしれない。
でもきっと、何度も何度もすれ違う。また動けなくなる。あるいはぶつかりあう。
そして、支えあう。人だから。魔人だから。きっと、関係ない。
心あるものならば、進むことはきっとできる。
「言葉にしないと、分からないんだよ」
ネウロだって成長している。変化している。
それが、いい方向に。もしも、できることなら、もっと私を大事にしてくれる方向に。
そう、それは、いろんな意味で。虐待だろうが恋だろうが、いろんな想いを込めて。
突然、頭に激痛が走った。
「痛い痛い痛い。掴むな頭を、ちょ、持ち上げるな! 首痛いって!」
「ふむ。ここ数日、貴様がむやみやたらと考え込むことが多かったのでな。我が輩、無視されて寂しいぞ?」
本当か嘘か。きっと後者の確率のほうが高い。考えるまでも無く、冗談のための表情。
けれど、もしも、ほんのわずかでも本物の気持ちがこぼれているのだとしたら。
ならば、これだけを差し出そう。
「ずっと考えてたんだけどさ」
「何だ」
「私は、ネウロと一緒に居たいんだ」
「ほお。だとしても我が輩、貴様いびりをやめるつもりは無いぞ? むしろもっと貴様が泣き叫ぶような拷問をしていくつもりだ」
「それは勘弁してほしいんだけどさ。というかそんな方向に成長しないでよ」
苦笑して、でもすぐにいろんな想いが胸に馳せて、頬をゆるめていく。
「私はね、ネウロのそばにいるのが、好きなの」
今言葉に出来る、ただ一つのそれを口にする。
おわり。
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ヒグチの名前が出ないので匪口で代用。本当は匪に竹冠です。
人間好きなネウロが好きです。