デッドロック
3
へとへとになった。
ネウロは『謎』がある現場にとにかく飛び回って、とにかく食べて、今までの分を補うかのように私は振り回された。
足ががんがんと痛む。その痛みすらぼうっとしているのは、あまり眠っていないためだろう。
このままじゃ倒れてしまうと訴えて、なんとかネウロから許してもらえた時間はたったの34分。どんな基準だ。
「ほんとうにさ、ネウロは、変わらないね」
事務所のソファにぐったりと寄りかかったまま、トロイに居るネウロに向かってぼやく。
「貴様もな。人を見ようとする姿勢は変わってなくて安心したぞ」
「言ったじゃない。もっと輝いてみせるって」
その結果に、こうしてネウロが戻ってきてくれた。それは、ほんのちょっとした自信にも繋がった。
進化すること。
きっとそれは、どんな人間でも望んでいることなのだろう。
自分が変えたいと願う部分を、成長したいと思うところを、望んで努力すればきっと進化はできる。
たとえそれが失敗しても、それは必ず糧となる。どんなに小さくとも。
きっとまずいのは、無関心。無感動。停滞し、その場から動かないこと。ネウロから離れる唯一の方法は、きっとこれしかないだろう。
人の心を知りたいと思って進んできた三年間。今は、自分を知りたい。
ならば、今一度、自分について考えてみよう。
「ぐほっ」
「おやおや、どうしたんです? そんな肺がひしゃげたような声を出して。カエルの方がもうちょっといい声で鳴くと思いますが」
「実際つぶしてるし! ああ、もうちょっと眠らせてよ!」
目を閉じて、出来るだけネウロのちょっかいに意識を向けないようにする。
今まで交渉人のような仕事をしてきた。その際に、いつもやることがある。
まず第一に、相手の立場や状況になって考えること。基本中の基本。
考えるだけで、完全に理解することなんて絶対に不可能だけれど、それでも想像の尽くす限り、相手を理解しようとする。
だから、ひたすら考える。
ここ数日ずっと悩んできたこと。
ネウロと、ずっと一緒に居たいか、と。
それは、居たいと思う。何故か。それは好きという気持ちからか。
好きだとしたら、第一、こいつを好きだの何だのの前に、障害が多すぎるし大きすぎる。
いつもながらのネウロの趣味の虐待。関節技をかけられる。これが一生? たまったものではない。
そもそも種族が違う。そして、私が先に居なくなるだろう。そして、そして。いくらでも壁が思いつく。
それよりも、何よりも、一番の不安は。
「ねえ、ネウロ」
「なんだウジムシ」
「ネウロはさ、人を理解したい?」
天井に逆さまに立つネウロは、知っているはずだが、と前置きして。
「する必要はない。無論、謎解きに必要なものならば考えないこともない。だが、今は謎でこの脳髄の空腹を満たすこと。優先順位はこちらだ。これぐらいは貴様のちっぽけ頭脳でも分かりそうなものだが?」
「そっか」
なら、私の仕事はまだ奪わないでいてくれるらしい。
ネウロに、この感情が理解できるだろうか。
私にもまだ、きちんとまとまっていないことなのに。
「でも、これからどうなるかは、分からないよね」
「何が言いたい」
「ううん、何でも」
ネウロだって、変わるのだ。
最初に出会った頃と、私もネウロもずいぶんと変わった。
変わっていなければ、私は事務所を飛び出したとき、もう二度とここには戻ってこなかっただろう。ネウロがアイさんのところに来たからこそ、私は戻ってこれたのだと言えるのだ。
だからこれから先、ネウロがもっと理解しようとするかもしれない。
けれどそれはどこまでも「かもしれない」という推測の域を出ない。
期待。希望的観測。持っているだけで、苦しくなるだけのもの。
成長しないものは居ない。それはネウロとて同じ。
ただ、魔人の寿命は途方も無く長い。きっと想像も出来ないぐらい。だから、ゆっくりなのだろう。その成長も。
理解するかもしれない、という可能性だけがある。
ただ、それだけだ。
それなのに、一方だけの想いなんて、辛すぎる。
もしかしたら、無意識に悟っていたのかもしれない。
好きになっても、辛いのだと。
きっと私が怯えていたのは、このことだ。
まったく。
変わっていたと思っていた。変われてた部分も確かにあった。
けれど、怖がりな部分はまだ。
変えたくない日常。
今のままでいいという、停滞。
進化を妨げるもの。
では、ネウロがこんな私に気づいたら、離れていくのだろうか。
それとも待っていてくれるだろうか。
待っているのは、ネウロだけではないってことに、気づいてくれるだろうか。