追憶の花
少女というのは、不思議な生きものだ。
その日、いつもと同じ出勤途中で見かけた小さな店に、ギャリーはつと足を止めた。ログハウス風の作りのそれは、恐らくは花屋なのだろう。店員らしき女性が、花の入ったブリキのバケツをいくつか、通りへと運び出していた。
その中にある、大輪の花。華やかではあるがありふれたその花にどうして目を惹かれたのか考えて、口唇に笑みを浮かべる。
その少女に出会ったのは、つい先日のことだ。ギャリーが勤めるサロンにやって来た、幼くも可愛らしいお客様。イヴという名の彼女は、なかなかに印象深い少女だった。
そもそもギャリーの勤務先は、けして十代の少女向けの店ではない。個性と落ち着きを併せ持った店構えは、むしろ幼い少女を萎縮させてしまいそうなものだ。そこに、大人に連れられるでもなくひとりでやって来た少女は、まるで迷い込んだアリスのようですらあった。
来店予約の電話を受けたときから、ずいぶん幼い声だとは思ったものの、きちんとした受け答えから、もう少しは大きな子だろうと思っていたのに。実際の彼女は、まさに予想外。聞けば、まだ十三歳でしかないという。
ただ、年齢の割りに落ち着いた挙措を見せるイヴは、大人ばかりの店内でも変に浮き上がるではなく、不思議と、一幅の絵のように馴染んでいた。
きっと、良い家のお嬢様なのだろう、と思う。物腰も淑やかだし、身につけていたブラウスもスカートも上質のものだった。あんなにも鮮やかな赤をああも上品に着こなすなど、並みの育ちで出来るとも思えない。
何より、大輪の薔薇を手にした姿が、幼い少女にしては板につきすぎていた。
どうやら彼女は赤い薔薇が好きらしく、なぜか一輪携えていた花も、服の飾りも、薔薇をモチーフにしたものばかりで、まるでこの美しい季節をそのまま纏ったかのようだった。
その華やかな装いとは裏腹に、清楚にただ伸ばされた髪はギャリーの手にもよく馴染み、さてどんなふうに少女を引き立てようかとわくわくさせられる。
ゆるやかに巻いて流行りの形にしても似合ったことだろうが、漠然と、それは違うと感じられた。それは彼女らしくない。身に纏うのが華ならば、彼女はそれを受け止め潤す、そう、涼やかな水のように清しくあるべきだ。
彼女から預かってグラスに挿した薔薇を眺めながら、鏡越しにそんな言葉を交わすと、少女はきょとんとした後、ふわりと綻ぶようにはにかんだ。
「この前、このお店の前を通ったとき、とっても素敵なお店だと思って。このお店に似合うような女の子になりたいと思ったんです」
そうして言ってくれたのは、何とも可愛らしい言葉。そのまま額縁に収めて、店の前に飾っておきたいような賛辞だった。
ちらりと、リボンを飾った薔薇に視線を走らせて、イヴは頬を染めたまま、ちょこんと上目遣いに頭を下げた。
「だから……お願いします。……ギャリー、さん」
こんなことを言われて、張り切らない人間がいるわけがない。もちろん、全力でその期待に応えるべくギャリーは鋏を取った。
まだ幼い彼女は、髪を巻いたり染めたりはしないから、掛かった時間など、そう長いものでもない。それでも、驚くほどに楽しい時間だった。彼女の年齢はちょうどギャリーの半分、本当なら話題を見つけるのもひと苦労のはずなのだが、どうにもイヴはひと味違う。
何より、彼女はギャリーと同じく、美術鑑賞を好むようだった。学校では美術クラブに所属していると教えられ、一体彼女はどんな作品を作るのだろうと、素直に興味を惹かれる。
そして、全体のシルエットはそのままに、前髪と顔周りを調えた少女を鏡の中に見たとき、自分の仕事だというのに、思わず息を呑んだのだ。
来店したときには、真っ直ぐに切り揃えたスタイルが愛らしくも幼く見えていたのに、それに動きをつけただけで、こうも印象が変わるとは。
軽やかな前髪の奥からのぞく瞳はみずみずしく、ふっくらした頬に落ちる影が、大人びた雰囲気を演出している。
それこそ薔薇にも負けない大輪の蕾が、どこか不安げにギャリーを見つめていた。
大事に飾っておきたいような美しい少女だ。そう思って、ギャリーは苦笑した。少女とは、飾っておくような、飾っておけるようなものではないというのに。
「さ、どうかしら? 自分では、もう満点! な出来栄えだと思うのよねぇ。素敵よ、イヴ」
ケープを外し、肩に手を置いて覗き込む。ちょいちょいと毛先をいじっていた少女がやがて笑い返してくれるのに、おかしいほどに心が浮き立った。人を美しくするというのは、素晴らしいことだ。
「これなら、このお店から出てきても、変じゃない?」
「当たり前よ! 変どころか、まわりの人みーんな、イヴに釘付けよ。間違いないわ」
「ふふ。ありがとう、ギャリー」
美容師と顧客という関係だからなのか、それとも彼女だからなのか。この短い間に、イヴと名前を呼び合うことが、とても自然なことに感じられていた。
一時間足らずでふたつみっつも大人びたような少女の手を取って、立ち上がらせる。それから、サイドテーブルにあったガラス細工の入れ物を差し出すと、彼女は素直に覗き込んできた。
「……キャンディ?」
「お客様に、サーヴィスよ。イヴはどれがいいかしら?」
言いながら、きっと彼女は苺味を選ぶのだろうと思っていた。何せ、イヴは赤が好きだから。
実際、彼女の指は赤い包み紙の上で止まり──けれど結局、その隣にあった、黄色のキャンディを摘み上げた。
「あら。レモンキャンディ、好きなの?」
「うん。苺も、好きなんだけど……何だか、選んじゃうの」
「へえ……でも、偶然ね」
「ぐうぜん?」
「ええ。アタシも好きなのよ。レモンキャンディ」
しげしげとキャンディを眺める少女の横顔は、まるで大人びた愁いの中に、幼い無邪気さを包んでいるようで。
思わずその髪を撫でてしまってから、内心で焦った。
「ギャリー?」
「あ、えっと……何でもないの! そう、イヴと同じ味が好きで、嬉しく、なっちゃって……」
そう言ったときに浮かんだ彼女の表情に、目を奪われたのだ。
嬉しそうな、戸惑うような、恐ろしく艷やかなその顔に。
「私も……嬉しい、かな」
彼女の髪に触れた手を離さなくては、手を放したくない。そんな相反する感情が生まれる。
まったく、少女というのは不思議な生きものだ。宝石とも花とも違う、一瞬ごとに変わる輝きを見せつける、生きた芸術。
赤い薔薇のような、あの少女。
イヴが次にサロンに来るのはいつだろう。そう考えて、ギャリーはまた歩き出した。