追憶の花
後ろ手に薔薇を握り締め、少しばかり背伸びをするようにして、たどり着いたサロンの中を覗き込む。個性的で、涼しげなデザインのガラス扉の中にはちらほらとお客がいるようで、イヴは大きく息を吸った。
そうして、足を踏み出す寸前。
ふと、こちらを見た店員と目が合った。
ちょっと驚いたように目を瞠ったその人は、すぐににっこりと笑ってこちらに歩いてきて、躊躇いも見せずに扉を開けた。
ふわふわゆらゆらとしたような髪型に、すっきりと動きやすそうな服装、ちょうどイヴの視線からはすぐ下、腰のところには鋏や櫛の入った物入れが提げられていて、その人がサロンの従業員なのだ、ということを示している。
「いらっしゃい、可愛いお嬢さん。お店にご用かしら?」
店へと続く、ほんの三段ほどの低い段差から見下ろされ、イヴは眩暈を覚えた。手にした薔薇を握り締め、その冷たさに、励まされてこくんと頷く。
「あらあら。もしかして、イヴちゃん? 今日、予約をくれた子?」
「……は、い」
「まあ! 待ってたのよ。どうぞ入って、外は暑かったでしょう」
嬉しそうにぱちんと手を合わせた人は、笑みを深めてイヴを店内に誘った。その手に引かれて歩きながら、彼女は目の奥に覚えた疼きに戸惑う。
大きな手は、あくまでやさしく少女を促すだけで、店内のソファに案内するとすぐに放されてしまったのに、まるで、今までずっとその手を繋いでいたような、今もずっと、その手に導かれているような。
その戸惑いは、何やら紙挟みとペンを持ってイヴの前に戻ってきたその人の顔を見れば、ますます大きくなった。
イヴがこのサロンを見つけたのは、ほんのひと月ほど前。そのときにも、この人は店の中にいて、楽しそうに、誰かの髪に鋏を滑らせていた。
そのとき、イヴは思ったのだ、この店に入ってみたいと。この店に入らなければならないと、強く強く思ったのだ。
「ご予約、ありがとう。このお店は初めてよね? 初めまして、今日は、アタシがイヴちゃんの担当をさせてもらうわね。ギャリーよ、どうぞよろしく」
「あ……イヴ、です。よろしくお願いします」
「まあ、お行儀の良い子ね。そんなに緊張しなくていいわよ、アタシが絶対に可愛くしてあげるから!」
軽くウインクを寄越すその人に笑い返して、少女は小さく息をついた。
イヴは、薔薇が好きだ。赤い色が好きだ。
理由なんて、わからない。本当に好きなのかもわからないくらい、苦しくなったり、痛かったりすることもあるけれど、それがなかったらもっと辛いと思うくらいに、それらが好きだ。
そして、今日、イヴは確信する。
イヴは、このサロンが好きだ。きっと、このサロンは……いいや、この人は、赤い薔薇と同じくらいに、イヴにとって、痛くて大好きなものになるのだろう。
理由なんて、知らない。でもそれは、イヴにとっては、説明する必要もないと思うくらいに、確かなことだとしか思えなかった。