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雨と雷と、思いがけないもの

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『随分風が強いけど、そっちは大丈夫?』
「何言ってるの、つい数年前に建て替えたばかりなのよ。これっくらいの風でどうにかなるはずないでしょう」
『あはは、そりゃ確かにそうだよね』

 びしゃり、ごう、びしゃり。電話から聞こえてくる声とは別に、そんな音が背後からひっきりなしに聞こえてくる。
 何の気なしに振り返ってみれば、茶色いステンレスの枠に縁取られた窓の向こうに黒い雲の群れが見えた。吹き付ける大粒の雨が絶え間なく透明な硝子を流れ落ちてゆき、微妙に景色を歪ませていたけれど天気が悪いのは誰が言うまでもなく明白だ。
 ここ最近、異常気象だか何だかよく分からないが、急な大雨が多い。おまけに風も結構強かったりするものだから、その時外にいようものなら傘があっても濡れ鼠になるのを覚悟しなければならない程だ。季節柄天気が不安定なのは知っているが、それにしたって曇り始めてから降り出すまでの間が悲しいくらい短い。
 そのせいで学校の帰り道に降られる羽目となり、制服を濡らしてしまってからは天気予報、特に雨に関する情報のチェックは欠かせなかった。今日が休日だというのに、外に出ずにいたのは今の状況を知っていたからに他ならない。
 内心助かったと思っていた矢先、不意に机の上に置いておいた携帯が着信を告げた。ディスプレイに表示された名前は、言わずと知れた幼馴染のもの。
 こんな時間にどうしたのだろうと思いつつも、迷うことなくショウコは電話を取った。そして今の状況に至るというわけだ。

『でも、家にいたのならよかったよ。外にいたら濡れちゃってただろうしね』
「さすがに、もうこれ以上濡れ鼠になるのは勘弁して欲しいもの」
『ああ、そっか。ショウコちゃん前に降られちゃったことがあったって、言ってたっけ』
「そうよ。あの時はホント参ったわ…」

 思い出すと同時に溜息が口から滑り出す。
 予備の制服も丁度クリーニングに出していたから、ドライヤーで必死に乾かしていた記憶しかない。…次の日も例に漏れず天気が悪かったので、大急ぎで帰ってきたのは言うまでもなかった。

『まあ、今の天気は不安定で変わりやすいって言われてるからね。今度天気悪くて傘がなさそうな時は、メールしてくれれば傘持ってそっち行くよ?』
「…ソラ君、学校に傘二本も置いてあるの?」
『うん、実はうっかり置き傘してるの忘れてもう一本持ってっちゃったから、そのまま置いてあるんだ』
「……そういう所は本当に相変わらずよね…」

 少しばかり呆れはしつつも、ソラらしいと言えばソラらしいので自然と笑みが浮かんでくるのが分かる。とは言っても、電話の向こうにいる相手にその表情は見えるはずもなく。ただ伝わるのは声だけだ。
 しかしなんというか、いつも直接会って話をしているのが普通だったので、こんな風に電話をするなんてどれ位ぶりだろう。考えてみると、もう数年は軽く昔のことだったような気がする。
 お互い家も近いし、親同士も仲がいいので遊びに行ったり一緒に食事をしたりすることなんてしょっちゅうだ。何かしら伝言があれば、自分に直接伝えずとも親が代わりに聞いてくれることもよくあったし、今にして思えば殆ど自分達の間に距離なんてまるでなかったような。こうして声だけを聞く状況になってみれば、今まで気づかなかった事実に改めて気付かされる。

『そういえば、ショウコちゃん』
「何?」
『さっきテレビでこの辺り雷警報出てたけど』

 そう聞こえた刹那、視界が一瞬白で埋め尽くされる。突然の光に思考が停止したのも束の間、数秒の間を置いて太鼓を思いっきり叩いたかのような重低音が耳に響いた。

『…言った傍から落ちたね』
「そうみたい」

 そんな会話を交わす間にも、また白い光が窓越しに駆け抜けていく。音が聞こえてくるまでに割と間があったので、まだそんなに近くはないだろう。風向きによっては雲がこっちに流れてくる可能性もあるが、その時はその時だ。出来るだけ自分の家の近くに落ちることのないよう祈るくらいしか、ショウコには出来ない。

「ところで、雷がどうしたの? まさか電化製品の心配でもしてるんじゃないでしょうね」
『…それはショウコちゃんのことだから、雨降り始めた時にコンセント抜いてると思うけど』
「分かってるじゃないの」
『んー……まぁそれもちょっとあったかもしれないけど、本当は違うこと』

 ちょっとあった、ということは言うつもりだったのかと少し突っ込みたい気がしなくもないが、そう言ったところでどうしようもないだろう。むしろ、違うことが何なのかが今は気になる。

『ちょっと、思い出したんだ。昔、ショウコちゃんて雷怖がっていたことがあったよね』
「…………そういえば、そんなこともあったわね」

 そう口にしながら、なんとなく顔が引きつっていくのを感じる。ソラの一言で一瞬にして手繰り寄せられた記憶は、確かまだ小学校に上がって間もなかった頃のことだ。
 あの日はお互いの両親が急な用事で出かけることになって、けれどそんなに長くかかる用でもなかったから、一緒に連れていくよりは二人でどちらかの家にいた方がいいと判断されたのだと思う。
 そんなこんなでソラの家にショウコが行くことになったのだが、両親達が出かけてから十数分も経った頃突然の土砂降りが襲ってきた。今みたいにざんざん降りの雨に加えて、ひっきりなしに光っては落ちた雷。今でこそすっかり慣れたとはいえ、幼心にはさぞかし怖かったに違いない。
 思い出すと同時に、どうしようもなく恥ずかしくなる。あまり鮮明に覚えてはいないが、悲鳴を上げてソラに抱きついていたような、果ては泣いていたような。……駄目だ、これ以上思い出すと確実に自分が発狂しそうな気がする。
 本能的にそう察知し、ショウコはそれ以上考えるのをやめた。それまでの間とんでもない百面相をしていたかもしれないが、幸いなことにソラは此処にはいない。見られずに済んだことに、こうまでも安堵したことはなかっただろう。

『……あのさ、ショウコちゃん。もしかして物凄く動揺してたりしない?』

 しかしながら悲しいことに、的確すぎる位に見抜いた言葉が電話越しに聞こえた。内心ほっと胸を撫で下ろした矢先だったので、思わず言葉に詰まる。

「……何を根拠にそう言ってるのかしら」
『だってほら、ショウコちゃんて思考がフリーズしたり予想外のことが起きて動揺したりすると確実に黙っちゃうから』

 さすが幼馴染、自分の一挙一動をすっかり分かっている。尤も、こんな時ばかりは黙っていて欲しい気がしなくもないが。
 とはいえ、今更言った所でどうにかなるわけでもないので、諦めて腹を括ることにする。でないと、自分から泥沼に嵌ってしまうのは火を見るよりも明らかなのだから。
 肯定の代わりに、溜息をひとつ。それで向こうも察したのか、それ以上追及してくることはない。

「…もしかしてとは思うけど、それを思い出したから電話してきたの?」

 けれど少しばかり悔しい気もするので、意趣返しとばかりに言葉を返せば電話の向こうで苦笑したような気配がする。

『……………やっぱり、ばれちゃうかあ』