落椿
ぽつり、と何かが地面に落ちる音が聞こえた。
平古場は首を巡らして周囲を確認したが音の原因は分からなかった。音から察するに何か小さくて軽いものが落ちたようだったが、それらしいものは何も落ちていなかった。
選抜メンバーに選ばれて、同士打ちにも勝ち残った平古場は合宿に引き続き参加していた。山の中にある施設らしく、周りは草木ばかりが植えられているが全て綺麗に手入れされている。自然の中にあって不自然なそれは、自由を愛する平古場にしてみれば窮屈なものにしか見えなかった。 自主トレをするためにトレーニングルームへ移動し、練習メニューを一通り終えて、休憩がてら新鮮な空気を吸うために建物の外へと足を運んだ。雨が避けられる場所で休んでいる所へ先ほどの小さな音が聞こえたのだった。
外は小雨が降っており、雨粒が草木に落ちた音かもしれないと結論付けて、建物の壁に寄りかかりどこを見つめるでもなく視線を彷徨わせた。
平古場が壁に背を預けて休んでいるとまた、ぽつり、と何かが落ちる音が聞こえてきた。不思議に思い、壁から背を離した平古場は軒下の雨に濡れないぎりぎりの所まで歩き辺りを見回す。音のする方へ近づいたはずだが、肝心の音の原因は分からなかった。雨の降る音と冷たい空気だけが平古場を包み込んでいる。首をかしげた所で後ろから声をかけられ、驚いて振り返るとそこには木手の姿があった。
「何をそんなに驚いているんです」
過剰反応を示した平古場が予想外だったらしく、木手も驚いた顔をして疑問を口にした。
「やーこそ、何でこんな所にいるんばぁよ」
「君がサボろうとしてるのかと思いまして」
外へ出た平古場を連れ戻すために、わざわざ追いかけてきたらしい。相変わらず変な所で面倒見がいいと思った。自分以外の他人など踏み台にしか思ってないだろう男が見せるそんな姿に苛立ちを覚える。まだ、部長として振舞う癖が捨てきれていないのかもしれないが、平古場としてはやっと部長としての殻を捨てた木手と向き合えると思っていた。だから、そんな態度を見せられると埋まらない距離を、変わることの無い関係を思い知らされる。
「サボってないやっし!きゅーけい!」
「まぁ、そういうことにしておきますか」
「あぁ?」
まったく信用してない木手の口調に苛立ち睨みつける。木手は口元に薄く笑みを浮かべただけだった。軽く流されてささくれ立つ感情を持て余すように、また壁際まで戻り数歩分、木手から距離を開けて座り込む。そんな様子を見守っていた木手は、思わず吐息を含んだ様な小さな笑い声を零してしまった。平古場自身も子供っぽい態度を取っていると自覚していたが、その笑い声でより態度を硬化させたように不貞腐れた顔をした。そんな平古場を少し困ったような、それでいてどこか楽しそうな表情で木手は平古場を見つめていた。もちろん、木手の存在を無視しようと躍起になっている平古場は、優しく笑う木手を知らない。
「何を見ていたんですか?」
話題を変えた木手に、何のことだと横目で睨みつけると、先ほど平古場が立っていた場所を真っ直ぐに見つめる横顔が視界に入った。すっかり木手の登場で忘れてしまっていたことを思い出した。本当はすぐに会話するのは嫌だったが、一度思い出すと好奇心の方が勝ってしまい、平古場は今まで聞こえた音について木手に説明した。すると、拍子抜けするほど簡単に答えを返されてしまった。
「そこの椿でしょう」
そう言って木手が指差した先には、赤い椿の花が雨に濡れて咲いていた。そして、地面には花の形を保ったままの椿がいくつも落ちていて、まるで血が飛散しているように赤が散っていた。確かに、そこには今しがた落ちたであろう瑞々しい花が落ちている。
「今の季節に咲くなんて珍しいですね」
「そうなのか?」
「ええ、秋に咲く椿もあると聞いたことがありますが……。それでしょうかね」
「へぇ……」
そんな会話をしている最中にまた一つ、ぽつり、と音を立てて椿の花が落下した。地面が赤で染まっていく。その様子に、吸い込まれるかの様に立ち上がり木手の隣に並び立つ。見つめていた平古場に木手が声をかけた。
「知ってますか?」
平古場が首を横に向けると、目を細めて暗く笑う木手と目があった。コートに立ち対戦相手を威圧する時に見せる瞳で平古場を射る様に見つめていた。平古場の中に眠る闘争心を呼び起こすその瞳から目を逸らすことが出来なかった。背筋から全身へと這い伝う高揚感に酔いそうになる。
「椿の花が落ちるさまは、首が落ちる様子を連想させるそうですよ」
木手は平古場の首を人差し指でゆっくりと真横になぞる。ひんやりと冷たい感触が喉を刺激する。まるでこれから喉笛を噛み切られるのかと錯覚しそうになる程、木手の低い声は意味深に鼓膜へと響いた。
「……そりゃ物騒な」
引き攣るような笑みを浮かべて、かすれそうになる声で答えた。そんな平古場を心底楽しそうに眺めている顔から視線を外せなかった。急所を触れられている所為なのか分からなかったが、視線を外せば、本当に首筋を切られて殺されるのでは無いかという重圧が漂っていた。
「ふふっ、そうですね。でも今の俺達の状況に喩えられると思いませんか」
「?」
一瞬で消えた重圧感と喉に当たる冷たい感触に、全身の力が抜けた。知らずの内に緊張して筋肉が固まっていたと気がつく。呼吸すら楽に吸えるようになったと感じた。無意識に喉へと手を当てて木手から椿へと視線を移す。
「あの地面に落ちた花は、俺達が蹴落としてきた人達だと思いませんか」
平古場は無言のまま、地面に落ちている椿の花を静かに見つめた。
始めに脳裏に浮かんだのは甲斐と田仁志の顔だった。そして、去っていった中学生達の後ろ姿と、シャッフルコートで負けた高校生達の顔だった。悲愴と苛立ちが入り混じった諦めきれないものを抱えた感情を、消化しきれず胸の内で渦巻いているのが彼らから伝わってきていた。
花弁を散らすことなく落ちた花は、形を保ったまま朽ちていく。鮮やかな色が、地面へ接触して傷が出来た場所から変色し濁り、きっと最後にはその形すら保てなくなり崩れていく。
そんな風に、痛みを抱えたまま感情の発露を奪われて、行き場をなくして、ただ腐って行くだけの末路なんて死んでも御免だと思った。
「あんな風に、首が落ちることになりたくはないですね」
口元には笑みを浮かべていたが、目は鋭さと冷酷さを宿していた。ぞっとするほどの輝きを放つ黒の瞳から目が離せなかった。コートの外からそして内からいつも見ていた瞳だった。その瞳をもっと見たいという感情が沸き起こった。
敵としてでも構わない。たった一人の為だけに向けられる、その全てを奪われるような瞳が欲しいと心が叫ぶ。部長としての瞳ではなく、仲間としての瞳でもない。ましてや、女子に向ける優しい眼差しや微笑み、紳士的な態度すら欠片も羨ましいと思ったことはなかった。
木手は自分自身の魅力をより効果的に見せる方法を知っている。だから、せいぜい愛想を振りまいてご機嫌でも何でも取っていればいい。そんなものきっと全部、木手永四郎という表面にある殻の一部でしかないのだ。欲しいものはもっと奥底に静かに眠っている感情だ。
平古場は首を巡らして周囲を確認したが音の原因は分からなかった。音から察するに何か小さくて軽いものが落ちたようだったが、それらしいものは何も落ちていなかった。
選抜メンバーに選ばれて、同士打ちにも勝ち残った平古場は合宿に引き続き参加していた。山の中にある施設らしく、周りは草木ばかりが植えられているが全て綺麗に手入れされている。自然の中にあって不自然なそれは、自由を愛する平古場にしてみれば窮屈なものにしか見えなかった。 自主トレをするためにトレーニングルームへ移動し、練習メニューを一通り終えて、休憩がてら新鮮な空気を吸うために建物の外へと足を運んだ。雨が避けられる場所で休んでいる所へ先ほどの小さな音が聞こえたのだった。
外は小雨が降っており、雨粒が草木に落ちた音かもしれないと結論付けて、建物の壁に寄りかかりどこを見つめるでもなく視線を彷徨わせた。
平古場が壁に背を預けて休んでいるとまた、ぽつり、と何かが落ちる音が聞こえてきた。不思議に思い、壁から背を離した平古場は軒下の雨に濡れないぎりぎりの所まで歩き辺りを見回す。音のする方へ近づいたはずだが、肝心の音の原因は分からなかった。雨の降る音と冷たい空気だけが平古場を包み込んでいる。首をかしげた所で後ろから声をかけられ、驚いて振り返るとそこには木手の姿があった。
「何をそんなに驚いているんです」
過剰反応を示した平古場が予想外だったらしく、木手も驚いた顔をして疑問を口にした。
「やーこそ、何でこんな所にいるんばぁよ」
「君がサボろうとしてるのかと思いまして」
外へ出た平古場を連れ戻すために、わざわざ追いかけてきたらしい。相変わらず変な所で面倒見がいいと思った。自分以外の他人など踏み台にしか思ってないだろう男が見せるそんな姿に苛立ちを覚える。まだ、部長として振舞う癖が捨てきれていないのかもしれないが、平古場としてはやっと部長としての殻を捨てた木手と向き合えると思っていた。だから、そんな態度を見せられると埋まらない距離を、変わることの無い関係を思い知らされる。
「サボってないやっし!きゅーけい!」
「まぁ、そういうことにしておきますか」
「あぁ?」
まったく信用してない木手の口調に苛立ち睨みつける。木手は口元に薄く笑みを浮かべただけだった。軽く流されてささくれ立つ感情を持て余すように、また壁際まで戻り数歩分、木手から距離を開けて座り込む。そんな様子を見守っていた木手は、思わず吐息を含んだ様な小さな笑い声を零してしまった。平古場自身も子供っぽい態度を取っていると自覚していたが、その笑い声でより態度を硬化させたように不貞腐れた顔をした。そんな平古場を少し困ったような、それでいてどこか楽しそうな表情で木手は平古場を見つめていた。もちろん、木手の存在を無視しようと躍起になっている平古場は、優しく笑う木手を知らない。
「何を見ていたんですか?」
話題を変えた木手に、何のことだと横目で睨みつけると、先ほど平古場が立っていた場所を真っ直ぐに見つめる横顔が視界に入った。すっかり木手の登場で忘れてしまっていたことを思い出した。本当はすぐに会話するのは嫌だったが、一度思い出すと好奇心の方が勝ってしまい、平古場は今まで聞こえた音について木手に説明した。すると、拍子抜けするほど簡単に答えを返されてしまった。
「そこの椿でしょう」
そう言って木手が指差した先には、赤い椿の花が雨に濡れて咲いていた。そして、地面には花の形を保ったままの椿がいくつも落ちていて、まるで血が飛散しているように赤が散っていた。確かに、そこには今しがた落ちたであろう瑞々しい花が落ちている。
「今の季節に咲くなんて珍しいですね」
「そうなのか?」
「ええ、秋に咲く椿もあると聞いたことがありますが……。それでしょうかね」
「へぇ……」
そんな会話をしている最中にまた一つ、ぽつり、と音を立てて椿の花が落下した。地面が赤で染まっていく。その様子に、吸い込まれるかの様に立ち上がり木手の隣に並び立つ。見つめていた平古場に木手が声をかけた。
「知ってますか?」
平古場が首を横に向けると、目を細めて暗く笑う木手と目があった。コートに立ち対戦相手を威圧する時に見せる瞳で平古場を射る様に見つめていた。平古場の中に眠る闘争心を呼び起こすその瞳から目を逸らすことが出来なかった。背筋から全身へと這い伝う高揚感に酔いそうになる。
「椿の花が落ちるさまは、首が落ちる様子を連想させるそうですよ」
木手は平古場の首を人差し指でゆっくりと真横になぞる。ひんやりと冷たい感触が喉を刺激する。まるでこれから喉笛を噛み切られるのかと錯覚しそうになる程、木手の低い声は意味深に鼓膜へと響いた。
「……そりゃ物騒な」
引き攣るような笑みを浮かべて、かすれそうになる声で答えた。そんな平古場を心底楽しそうに眺めている顔から視線を外せなかった。急所を触れられている所為なのか分からなかったが、視線を外せば、本当に首筋を切られて殺されるのでは無いかという重圧が漂っていた。
「ふふっ、そうですね。でも今の俺達の状況に喩えられると思いませんか」
「?」
一瞬で消えた重圧感と喉に当たる冷たい感触に、全身の力が抜けた。知らずの内に緊張して筋肉が固まっていたと気がつく。呼吸すら楽に吸えるようになったと感じた。無意識に喉へと手を当てて木手から椿へと視線を移す。
「あの地面に落ちた花は、俺達が蹴落としてきた人達だと思いませんか」
平古場は無言のまま、地面に落ちている椿の花を静かに見つめた。
始めに脳裏に浮かんだのは甲斐と田仁志の顔だった。そして、去っていった中学生達の後ろ姿と、シャッフルコートで負けた高校生達の顔だった。悲愴と苛立ちが入り混じった諦めきれないものを抱えた感情を、消化しきれず胸の内で渦巻いているのが彼らから伝わってきていた。
花弁を散らすことなく落ちた花は、形を保ったまま朽ちていく。鮮やかな色が、地面へ接触して傷が出来た場所から変色し濁り、きっと最後にはその形すら保てなくなり崩れていく。
そんな風に、痛みを抱えたまま感情の発露を奪われて、行き場をなくして、ただ腐って行くだけの末路なんて死んでも御免だと思った。
「あんな風に、首が落ちることになりたくはないですね」
口元には笑みを浮かべていたが、目は鋭さと冷酷さを宿していた。ぞっとするほどの輝きを放つ黒の瞳から目が離せなかった。コートの外からそして内からいつも見ていた瞳だった。その瞳をもっと見たいという感情が沸き起こった。
敵としてでも構わない。たった一人の為だけに向けられる、その全てを奪われるような瞳が欲しいと心が叫ぶ。部長としての瞳ではなく、仲間としての瞳でもない。ましてや、女子に向ける優しい眼差しや微笑み、紳士的な態度すら欠片も羨ましいと思ったことはなかった。
木手は自分自身の魅力をより効果的に見せる方法を知っている。だから、せいぜい愛想を振りまいてご機嫌でも何でも取っていればいい。そんなものきっと全部、木手永四郎という表面にある殻の一部でしかないのだ。欲しいものはもっと奥底に静かに眠っている感情だ。