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ぼんくらー効果
ぼんくらー効果
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巴マミが魔法少女になる前の話

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Prologue〜いつもの日常

 




 わたしは幻想の中にいました。

 それは、目を開けた瞬間に広がる絶景。脳内のぼやけた闇も照らすまぶしさを放つその景観にわたしは思わず息を飲み、目を強く見開きました。
 わたしの目が写した像は、色を四色。”紅”と”蒼”と”白”と”緑”が視界を美しく彩り、区分し、調和して混じり合い、強烈な刺激として脳に焼き付けられます。
 わたしがたどり着いたその未踏は、まるで天国。桃源郷。そんな大袈裟な言葉がぴったりと嵌るほどの映像で、この世の自然の美がこの場所すべてに凝縮されているような。それほどの美しさでした。

 どこにもない。見たことも聞いたこともない風景。いや、これほどの絶景が後世に語られないわけがないでしょう。つまり――わたしが最初。この景色には人類の”未知”がたくさん詰まっているのでしょう。わたしの心の中には”心躍る未知”がどんどん溢れてきて、ゆくゆくはその”未知”が新たな”わたし”を生み出すのでしょう。

 わたしの目の前に広がるすべて、そのすべてがまるで夢のような光景ですが、――わたしはきっと夢じゃないんだと思います。なぜなら、もしこれが夢だと言うのなら、これはわたしの中から生まれる世界で、わたしが生み出した”未知”だと言うことになります。もしこれを生み出せる人間はおそらくなにかを超越した存在でしょう。

 だから、きっとこれは夢じゃない。

 その証明が、よりわたしの興奮を加速させて、視界が潤み、絶景が霞み、息遣いもいつのまにか荒々しいものになっていました。その鼓動を落ち着かせるために、わたしは小さな胸を手のひらで掴み、深く深呼吸をします。

 「スゥ……。ハァ…………」

 昂ぶっていた思考はこの丘の冷たい空気によって冷やされ、霞む視界も先の見えぬ想像も静まりました。それによって生まれたのはひとつの疑問でした。
 ”ここはいったいどこなのか”。それは、わたしのこれからの行動に関わる大きな問題です。

 この場所の所在を確認する。そして、ここが現実である感覚を得るために、一歩。踏み出しました。すると、足元から嗅ぎ慣れた香しい芳香に引き止められ、下方に広がる”紅”がその発生源であると知りました。それは、わたしの好きな花。薔薇でした。
 でも、無粋なトゲはなく、チューリップのように葉と茎と花冠によって構成された優しい薔薇でした。
 
 わたしも薔薇を育てていますが、トゲは好きではありません。
 ――まるで、わたしを拒んでいるかのようで。
 顔をあげ、再度息を深く吸い込み、この場所に満ちる自然を体中に取り込むようにして、ゆっくり吐き出します。二度目は身体の毒が抜けるような快感が心身を満たし、溢れ、蒼い空を見上げて、自分そのものが自然の一部になったかのような錯覚を覚えます。
 
 また一歩踏み出すと、遠くから声が聞こえます。
 ここにはわたししかいないのでは。と思っていたので、人がいたということは希望でもありました。ですが、その時のわたしは確実に落胆の気持ちが強くありました。
 【ここはわたしだけの景色じゃない】。その事実がその気持ちのすべてでした。
 わたしは、踏み出すごとに香る花畑を進み、聞こえた声を辿ると、長いが幅の短い川にたどり着きました。 その向こう岸では、二人の中年の男女が仲睦まじく歓談していました。
 女性のほうは色白で、色素が薄く、日の光で茶色に光る黒髪を持ち、白いアスパラガスのような指先で薔薇の冠を作っています。その顔は満たされた幸福を感謝するかのように柔らかな笑みで、年齢以上の若さとそれ以上の貫録が両立していました。その隣には広い背中と肩幅が特徴的な男性がメガネ越しでそれを見つめ、頼もしいその背中と印象の異なる柔和な笑みを湛えていました。
 図らずも女性が微笑むと、手元で編まれていた花々の冠を陽光に翳し、出来栄えを量るふうに目を細めると、よりいっそう幸せな笑みでその冠を男性の頭に被せました。
 男性は少し戸惑いながらも、抵抗の素振りはなく、むしろ女性が被せやすいように頭を低くします。
 女性は男性と被せた冠を交互に見つめ、改めて男性と見つめ合うと、肩を震わせ、口元を手のひらで押さえ、笑い出しました。
 それを見て、男性の頬はこれまた印象とは異なるふうに紅潮し、その振る舞いに抗議したい様子でしたが、女性があまりに楽しそうに笑うので、男性も一緒に笑い始めました。


 なんだかため息が出ます。
 でも、この感情は”不快”とは性質の異なるものです。わたしは、あの二人を見ていても不快な気分にはなりませんでした。微笑ましいと思えるような、不思議な感じ。
 それは、きっと。二人が理想の夫婦だからでしょう。けして若くはない男女が、年甲斐もなく、年相応に睦み合う様子を微笑ましく見れるというのはその証でしょう。
 その関係を、きっと誰もが応援したくなるでしょう。それほど、二人はお似合いです。

 ならば、ここにいるわたしは邪魔者です。

 そう思ったわたしは、彼らから目を反らし、もと来た道を戻り始めます。どこに帰るのか、どこにたどり着くのかわからないけれど、わたしの場所はここではない。ここにいたくないと思ったから。
ですが、わたしが背を向け、立ち去るその背中にかける声が、わたしの後ろから声がしました。

 それは男性の声。低いテノールだが、温かい口調で放たれるその声。この声の主はおそらく川岸の彼。わたしはその声に、立ち尽くしていました。

「おーい。千花もこっちへ来なさい」

 ――え?
 千花。わたしの名前――?
 ままならぬうちにもう一言。

「そうよ。千花もこっちに来なさい」

 今度は女性の声。またもわたしの名前を呼びます。
 どちらも優しい声で、わたしの名前を呼びました。いったいどういうことなのかわかりません。
 わたしは二人をしらないのに――。

「おーい。千花ー。どうしたんだ?」

 ――本当に?
 わたしは一度確認した二人の顔を、もう一度見たくなりました。

「もう、お父さん。あんまりしつこく呼んだら嫌われちゃいますよ」

 ――そんなことない。
 記憶の中の二人の顔がやたらとぼやけはじめ、もうどんな顔だかしっかりと思い出せません。
 振り返ろうとしても足は震えるばかりで、とても振り返ることはできません。
 身体を捻って振り返ろうとも足が根を張るようにこべり付いて動きません。

「おや? あそこになにかあるぞ?」

 ――待って。
 震える足はやがて力を失い、その場にへたれこんでしまいます。
 次は身体の芯から震え、首を捻ることすらできなくなります。

「まあ、素敵。行ってみましょう」

 ――待って!
 腹も顎も舌もすべて震えて、言葉が出ません。
 奥歯を噛みしめ、腕で身体を押さえても震えは止まりません。

「千花。それじゃあ行ってくるから」

 そう言われた瞬間。なにかが弾けたように震えが止まり、わたしは振り返ることができました。
 一瞬振り返った男性は、わたしが見た時にはすでにこちらを見てはいなく、ふたりで光の先へ進んでいきます。わたしは、その背中を叫びながら、追いました。しかし、わたしの叫びにその背中は答えてくれません。

「待って!!」