巴マミが魔法少女になる前の話
それはさっき飛び降りたはずのシルエット。遠目では確認できなかったその姿は――天使? 朱い目を光らせ、こちらを一点に見てくるそれは四つん這いの動物で、良く見えません。ぼやけたその白い生命体の姿をよく見るためにわたしは目を凝らすと、
「千花!!」
ルミちゃんがいきなり怒鳴って、わたしは反射的に瞬きをしてしまいます。ですが――わたしが瞬きしたあとにはなにもありませんでした。
「ル、ルミちゃん? ど、どうしたの?」
「――ううん。なんでもない。いこ?」
打って変わった優しい笑顔で、わたしの手を引き、――まるで何かから逃げ出すかのように――教室を後にしようとしました。わたしは思わず立ち去る教室を見渡し、――遠く、窓際の鉢植えに隠れるように潜むなにかを――見た気がしましたが、ルミちゃんは強く手を引くので、結局それがなんなのか。確認することはできませんでした。
ルミちゃんはわたしの手を強く握りしめ、早足でどんどん進んでいきます。わたしを急かす言葉を続けるルミちゃんに、わたしは、
「――どうしたの? ルミちゃん? なんか――」
「なんでもないよ!!」
ルミちゃんはそう怒鳴ります。わたしは思わず足が竦んで、ルミちゃんも立ち止まります。一瞬見逃したルミちゃんの顔は、次に見た時はいつもどおりの優しい顔で、
「ごめん。いきなり怒鳴ったりして。わたし、変だったね……」
「う、ううん。ル、ルミちゃんがそんなに必死になるんだから、きっと正しいことなんだよ。わ、わたしこそごめんね。ルミちゃんの気持ち――わかってあげられなくて」
「いや、そんなことない。これは――わたしが悪いの。そう、わたしが悪いんだ。だから、ね? そんなこと言わないで」
そう言って励ますルミちゃんの笑顔は優しくて、――なんだか申し訳ないなあ――なんて思ってしまって。わたしはやっぱダメだなあ。と、そう思いながら、
「……うん。ありがとう。――ごめんね」
「んもう……だから」
「あっ、ご、……ごめん」
ま、間違えましたっ。と思った瞬間には次の言葉を言っていて、それを認識した時にはもう顔が真っ赤になっていて、それにルミちゃんは笑っていいました。
「ふふふ。それじゃ行こっか?」
脈絡のない話の転換。それがわたしにはとても嬉しい助け舟になります。わたしは一度深く頷き、もう一度頷いて、うん。といいます。すると、ルミちゃんはまたわたしの手をとり、
「急ごう? そして、早く終わらせて、遊びに行こう。ね?」
そう言って、廊下をゆっくりと、歩き始めます。
わたしは、これがとてもうれしくて、幸せで、――電車なんて間に合わなくていいや。なんて思っていました。
道中、ルミちゃんに今日のことを色々訊かれましたが、わたしはなんでもないとごまかして、――あの動物のことは言いませんでした。
――だって、わたしの場合だと話したほうが心配されますから。
●
中学校の教室は余程のことが無い限り放課後までずっと教室に居座る生徒はいない。
それはもちろん笠見野中学校も同じく、一年二組の教室では四時に差し掛かる時計の針の音が静かに響いていた。その廊下から稀に響く上靴の鳴らす音が静寂の学校の独特な音楽として心地よく耳に入る。
そんな教室に、なにかが存在していた。
その”なにか”はカーテンから差す暮れた太陽の日差しによって影を生まず、その朱い目が微かに煌めくのみである。その姿は白く、黄金の輪が垂れた耳を囲い、連想する正体は天使。
ふと、少年が教室に入った。
彼は鼻歌を交えながら、教卓を漁り、何気なく教室を隅々まで見渡して去って行った。
この世に”有らざる”姿をした小動物は、決して誰にも悟られない。
そう。それはこのモノが許したヒトのみ。このモノを見ることを許されたヒトのみである。
今はまだ名も知りえぬそのモノは先ほど少女に語りかけた可愛らしい声で言った。
「新髪千花――君はまだはやい」
●
今朝の午前8時。ざわめく教室の中に肘をついて眠る少女がいた。しかし、その姿には処々の違和感があった。しかし、それも当然である。これだけ騒がしい部屋の中で睡眠を補給するなど余程神経の太い人物でなければないだろう。もちろん、この少女はその類ではない。
ならば、なぜこの少女は寝るふりなど気取っているのか。それは、彼女が秘匿せねばならない事情があり、彼女がその秘匿せねばならない力を行使するのにいいカモフラージュになるからである。
『もしもし? そろそろ出てほしいなあ……。ねえ?』
『ん? なんだい。参歌?』
『遅い。2コール以内にでなさい。何回コンタクト送ったと思ってるの?』
”テレパシー”。彼女の持つ能力のひとつ。だが、これは同じ能力を持つ者しか作用しない。テレパシーの相手はその可愛らしい声で申し訳なさそうに言った。
『ごめんごめん。どうしても外せない用事があってね』
『また? ほどほどにしないと寝首掻かれるわよ。――それよりも、ちゃんと調べてくれた?』
『もちろん。見たところ午前中には出なさそうだね。だが、正午。ここからは先の時間は不明だ』
『はぁ……。嫌よ? 今日午後に数学あるのよ? これ以上欠課したらほんとに取り返せなくなるんだから……聞いてる?』
『ああ、もちろんさ。――でも、君はそういう契約でその力を、願いを達成したんじゃないか』
「……まあ、そうなんだけどね」
参歌と呼ばれた少女はそう呟いて、閉ざされていた目を開いた。目の前の教卓には担任の先生が朝のホームルームを開始していた。だが、教室のざわめきは収まらず、これがいつもならすぐに怒鳴り散らしているはずなのに、先生の顔はいつもより少し楽しそうな顔で、言った。
「転校生を紹介しまーす!!」
その瞬間、教室は歓声に包まれる。耳をつんざく黄色い悲鳴。不快な指笛も、今回ばかりは担任も許すようだ。むしろ、悩みのタネになりがちの転校生がこれほど歓迎されていることが嬉しいのだろう。見るからにごきげんである。そして、そこから察するに、転校生もそれほどの逸材なのだろう。
でなければ、ここまでハードルを上げられてごきげんとはいかないだろう。
少女はここまで思考すると、どんな美青年、もしくは美少女なのか。静かに目を閉じ、想像を膨らませ始めた。
『個人的には童顔で小さめの男の子がいいなあ……』
『……無駄なテレパシーは送らないでもらいたいね』
『あら、いいじゃない。どうせ暇してるんでしょう?』
テレパシーの相手は参歌の言葉に反論せず、代わりにややおいてから、
『そもそも、男の子といっている時点で対象を男性と見ていないんじゃないか?』
『そうねえ……。言えてるわ。なかなか確信をつくじゃない』
『それは生命の生殖活動本能としてはどうなんだい?』
『これ以上増えるもんじゃないでしょ。増えたら増えたでいいことそんなにないし。人間の絶対数が減れば、無駄な生産も無くなるし、無駄な労働も減るのよ? 資源も減らない。星の寿命も延びる』
少女はそこまで伝え、相手の返事を待つ。テレパシーの相手は先程とは違い、はっきりとそして、呆れたふうに、
作品名:巴マミが魔法少女になる前の話 作家名:ぼんくらー効果