意地ハルモ想イノタケ
「オイ、蝮」
志摩柔造の声が自分の名前を呼ぶ。この声を聞くと途端に落ち着かなくなる。
「なんや、お申《さる》」
不機嫌この上ない顔で、肩越しに柔造を見やる。どんな顔をして良いのか判らない。
にっこり愛想良うしたったら、エエのやろうけど。どうせ私《あて》には似合われへん。
呼び掛けた柔造もあまり機嫌の良い顔ではない。
「蠎《うわばみ》様が呼んだはるで」
「父様《ててさま》が?」
柔造が親指で肩越しに後ろを指す。そっちには所長室がある。つまり公の場に呼ばれたということだ。
「すぐ行く」
深部の部隊とのミーティングが始まるが、遅れると言って来なければならないだろう。一応隊長と言う役職を戴いている身だ。それに、深部の警備体制の見直し、シフト、申し送り事項のすり合わせなど、定期的に検討し直して、形骸化しないように皆の意識を引き締めるための打ち合わせだ。纏めた資料を見ながら会議室に足を向けた。
「…なんで、ついてくる」
柔造が蝮と一緒に会議室へと歩を進める。
「別にええやろ」
柔造はつまらなそうな顔をして、蝮の横を歩く。手持ち無沙汰なのか、錫杖の環をしゃりしゃりと鳴らす。
「何ぞ用でもあるのと違うか。お前も父様に呼ばれとるのやったら、先に行っとったらええやろ」
「…」
ぼそりと柔造が何か言う。
「なに?」
「…なんでもあれへん」
柔造はあらぬ方を見て、ぶっきらぼうに答える。
「さよか」
蝮も思わず張り合って、つっけんどんに返し、少し歩く速度を上げる。
他愛もないことを話せば良いのかも知れない。だが、何を喋っていいものか判らない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
最初は他愛もない子供同士の意地の張り合いだった。長い間にそれぞれの兄弟が味方について、寄ると触ると反発しあう間柄になってしまった。今更の言い訳だが、妹たちや柔造の兄弟たちまで巻き込むつもりはなかった。それが長引いた末に、もう引くに引けなくなっている。座主血統、明陀の跡継ぎである勝呂竜士や、三輪子猫丸も、志摩と宝生の諍いを呆れながらも容認してくれているが、職員の中にはこの諍いを真に受けてしまうものも居る。迷惑を広げるばかりの今となっては、自分の振る舞いが心苦しいばかりだ。
もっと素直になったらエエのやろうけど…。
もうどうしたら良いのか、それすらも判らない。
「オイ、蛇オンナ」
ぼそりと柔造が呼ぶ。
「…なんや、申」
「次の休み…」
「隊長!」
柔造の声を遮るように、深部の部下が駆け寄ってくる。二年ほど前に京都出張所配属になった若い男性だ。祓魔に関係する家の出身ではなかったが、才に恵まれ、詠唱騎士《アリア》、手騎士《テイマー》、そして竜騎士《ドラグーン》の称号《マイスター》を取った。深部隊に配属され、なぜだか蝮によく懐いていた。
すらりとした体格の青年が柔造と蝮に挨拶をする。
「なしたんや?」
「なした、やなかですよ。もうミーティング始まりますよって」
京都出身ではないが、あっさり言葉のハンデを飛び越えた。最初こそ彼の生国の言葉と、中途半端に混ざった京都の言葉をバカにする者も多かったが、実力と明るい性格が功を奏したか、最近は彼ならそれが当たり前、と言わんばかりの空気があった。
「すぐ行く」
答えた蝮が眉を顰めた。
「生島、服装」
「すいません」
放っておけば良いと思うが、つい着崩れた襟を直してやる。着物や法衣を着慣れていない者でも、もう少し慣れれば着崩れも少なくなるはずだ。だらりとボタンが外されたままのコートを留めて、これでよし、と言わんばかりにぽん、と胸元を叩く。
「窮屈やろうけど、だらしない格好したらあかんえ。私らは深部を護る立場なんや。服装が乱れとったら、肝心の護りも手抜きかと思われてまうやろ。最後の護りの私らがきちっとせな。他の者《もん》にしめしがつかんえ」
「はい」
生島が緊張からか、頬を染めてピシリと姿勢を正す。
志摩とつまらない諍いをしているにしては、随分と偉そうだったろうか。それでも、やはり深部警護は京都出張所、いや明陀の最後の砦だ。いささかの気の緩みも許されない。
「生島…」
「なしたとですか、柔造サン」
青年は志摩と宝生の諍いに無関心な態度を貫いている職員の一人だ。面倒見が良くて人好きのする柔造と交流があるのは当然だと思えた。
「飲みに行こうや」
「良かですね。『みずき』ですか」
京都出張所の職員御用達の小体な飲み屋だ。おばんざいやその日仕入れた魚が旨い。その上値段も財布に優しい。蝮も何度か行ったことがある。
「おう。二次会はいつもんとこや」
男同士の秘密と言わんばかりに、にやりと笑いあう。いつもの所とは小さなキャバクラだ。出張所の者なら誰でも知っているし、誰が店のどの女の子を指名しているのかまで全て筒抜けになっている。誰も知らないと思っているのは本人たちだけだ。
柔造は男女問わず人気がある。学生の時もそうだったが、出張所に配属されてからも彼の周りには大勢の人がいる。きっと店でも女の子たちの人気の的だろう。
「お前この前の子とイチャこらし過ぎと違うか?彼女に怒られても知らへんぞ」
「彼女なんて居てまへんて。柔造さんかて、新人の子、エラい気に入っとったやなかですか」
バカみたいに嬉しそうな顔をして笑いあう。彼女たちがきゃあきゃあ言うのは、大半が商売のウソだとちゃんと判っているのだろうが、それにしてもヤニ下がりすぎだ。
アホらし。
柔造たちのバカみたいなやり取りを放っておいて、ミーティングに向かおうとする蝮の肩に、ずしっと重みが掛かった。柔造の腕が蝮の肩に回されている。
なんなんや、これは。
「離し、申。もう酔うとるんか」
蝮を抱え込むように肩を抱く、力強い腕を抓る。
「痛った!痛いて、蝮!」
「黙りよし」
なんだか腹が立って、爪が食い込む程に腕を抓った。
「痛いて。なんや、やきもちか?」
「な…っ、誰が…っ!あ…、アホか!」
はははは、と笑いながら、柔造がぐしゃぐしゃと蝮の頭を撫でる。
「触らんとって!じゃらじゃらするんもたいがいにしぃ!」
喚き散らしながら、頭を撫でる柔造の手を叩く。
「ああ、そうや。コイツ、ミーティング遅れる、言うたって。深部部長に呼ばれたはるんや」
「は?」
がらりと変わって、すまんなぁ、と言う柔造に、生島が一瞬ぽかんとした。
「いやぁ、助かったなぁ。誰かに会うたら言付けよ思うてんのやけど、だれーも会われへんよって難儀しとったんや」
柔造が豪快に笑って、生島の肩を空いた手でばしばしと叩いた。
「あんじょう頼むわ。ほなら、行こか」
「え…、いや…」
「なんや、何ぞまだあるんか?」
柔造が蝮の顔を覗き込む。息が掛かるほど近い。線香と薄荷のような少し甘くてすぅとする匂いがして、頭の芯が痺れたようになる。柔造が触れている肩が熱い。そこから熱が顔の方まで上がってくるようだ。
「い…、…いや、なんも…あれへんけど…」
舌が縺れる。強い酒を煽って、ずっしりとした酔いが回ったようだ。
「これはエエんか?」
柔造が胸元に抱えていたファイルを指す。
「あ…、そ、そうや…」
作品名:意地ハルモ想イノタケ 作家名:せんり