約束
僕はうつむいた額に手で支えた。うまくいえない。やっぱり、町長さんから見れば“僕の都合”に過ぎないだろう。黙っていた町長さんが再び口を開いた。
「お前さんの気持ちは分かった。」
「え?」
「まだ、お前さんの希望を受け入れることはできんがの。」
僕は町長さんの目を見た。真剣な目。
「あの森には私も付き合う。付き合うが、まだ認めん。」
「つまり、どういうことですか。」
「あの森で、お前さんと、・・・『カエサル』がどう振舞うか、見てからじゃ。」
あの森の前には相変わらず、冷たい看板が立っていた。後ろからはお目付け役の三人がついてきている。
――私が気に入らなかったらすぐさま、行動をやめる。これが条件じゃ。守れるか?――
森の深いところまで来た。懐かしい、思わず口から漏れた。ここで僕らは出会ったんだ。そしてここでカエサルは・・・。
「おいで、カエサル。」
僕はボールからカエサルを出した。まだ逃がしてはいない。
気を使ったの草むらに隠れているようだ。
「約束の時か来たんだよ。カエサル。」
僕は大きなカエサルを抱きしめた。カエサルは手を僕の頭と背中にまわした。そして吠えた、帰宅を告げる父親のように。
その声に驚いたのか数匹の鳥ポケモンたちが木の枝から空へと飛び立った。僕らが抱擁を止め、その翼のざわめきが静まった頃、彼女たちが現れた。リングマとヒメグマの母子。間違いなかった。彼女たちがカエサルの家族だ。
まだ幼さの残るヒメグマがカエサルとリングマを交互に見て首をかしげた。父親の顔も覚えないうちから、引き離してしまったのか。もしかしたら、と思っていたことを証明されてしまった。
カエサルは動かなかった。家族の顔を見つめるカエサルの顔は僕のほうからは見えない。しかしきっと、愛しい、愛しい娘の顔をじっと見ながら、その場に立っているのだろう。
母が娘に何かを教えるようになく声が聞こえる。娘は首をかしげ、目をぱちぱちして、母に聞き返した。母は力強くうなずいた。
とてとて、と娘はカエサル、父の元に駆け寄って足のところを抱きしめた。その子の父親は、カエサルが僕にそうしてくれたように、娘をその腕で優しく包んだ。
僕は町長さんの方をみた。目を閉じた彼は目を開けたときうなずいて口を動かした。声も聞こえない、遠くからだったのに不思議とその言葉が何か分かった。
――や む を え な い――
「本当にごめんなさい。ご主人を、僕のワガママにつき合わせてすみませんでした。」
二つの言葉を頭を下げて言った。謝っても謝っても足りないことは分かっている。けれども告げたかった。告げなくてはならなかった。
「カエサル、ほんとにありがとう。」
目を閉じれば、甦る旅の記憶。バトルに勝ったり負けたりしたこと。 飯時にいつもけんかする仲間たちの仲裁をふたりでしたこと。スランプに陥ったやつを影でカエサルが励ましていたのを見つけたこと。カエサルが卵からかえったばかりのポケモンの面倒を良く見ていたこと。
・・・やっぱり父親なんだな。不意に納得した。
「お別れだよ。君は父親に、ほんとの父親に戻って、幸せになって。」
涙は見せないつもりだった。背を向けて必死にこらえる。ほら、愉快なことを思い出して。
飯の取り合いになり、走り回ったこと。ちょこちょことカエサルの後追いをしていた幼い顔。ムードメーカでいたずら好きの子に手を焼かされたこと。ほら、わらって、わらって。
ぽんと肩に手を置かれた。
「カエ、サル。」
カエサルの手が僕の顔を撫でる。涙を拭うように。
「はは、泣かないって決めてたのに。君が、安心して、家族と暮らせるように。」
すん、と鼻を鳴らした。
「大丈夫だから、もう大丈夫だから。バイバイ、カエサル。」
僕はボールのボタンに指を伸ばした。
「あ。」
腕をカエサルがつかむ。そして手を振った。家族に向けて。
「どうして?」
「『カエサル』はお前さんと旅がまだしたいんじゃな。」
「町長さん。」
隠れていた三人が気がつくと隣にいた。
「ポケモンたちのこと仲間ちゅうたな。」
「ええ。」
「ポケモンたちにとってもお前さんは仲間なんじゃな。」
――僕はカエサルたちを道具だなんて思ってはいない。けれどポケモンは“保護”されるほど弱いのだろうか。人間が“保護”してやらなきゃいけない存在なのだろうか。――
――僕はヒトとポケモンは対等だと思っています。――
「昔の約束にこだわっていたのは僕だったんだね。」
一方的に負い目を感じて、一方的に自分を責めて、耳をふさいだ。
「君は今、僕らと旅を続けたいんだね。」
優しくカエサルは僕を抱きしめる。
「戻れ、カエサル。」
僕はカエサルをボールに戻したあと、リングマのほうを向いていった。
「ごめんなさい。やっぱり、僕たちにはカエサルが必要です。 また、必ず、ここに来ます。逃がしにくるんじゃなくて里帰りです。次、来た時は僕らの仲間を紹介します。だからふたりとも、それまで元気で。」
リングマはうなずいたように見えた。 そして僕らに背を向けヒメグマをつれて歩き出した。
僕らも町へと歩き出した。
「ごめんなさい。みなさん。迷惑かけるだけかけて。」
「いいのよ、気にしないでくださいね。」
「迷うだけ、迷って、最善の選択をする。それもトレーナーの資質よ。」
「あの、町長さん。」
おずおずと僕は声をかけた。
「ポケモンとヒトとのかかわり方は変わっていくんじゃなぁ。」
町長さんはいった。
「あの森もあり方が変わっていくんじゃな。」
「それじゃあ。」
「まだ分からんよ。」
ふっと笑った。
「分からんけど、もう少しだけ形を変えてゆこうかの。」
優しい夕焼け空がこの町を染め上げていった。
翌朝――
「それじゃあ、またリーグ挑戦するのね。」
ジョーイさんは僕を見送りながらたずねた。
「はい。まだまだ16より上があるんです。ここまで来たら、優勝を狙いますよ。」
そう、僕らの旅はまだまだ続く。