月と吸血鬼と
「ご、誤解だよ! こっちに来てから変なやつにつきまとわれちゃって郵便物盗られちゃうんだよ。たぶんその中に……」
「……ほんとに?」
「ほんとほんと! 魔界のルシファー様に誓う!」
「……わかった」
あ、まだちょっと疑っている。
とりあえずなにか色々なことが全部解決して良かった。いや、手紙泥棒の件は残っているけども。そもそもの発端はそのせいだし。
つまり俺のストーカーのサカナ君以外の誰かが手紙を盗み、エンマ君が不安になって誤解。ついでにサカナ君も無視されたと思って怒る。そんなときにエンマ君がお土産を店長に渡して、俺はそれを持ち帰った。サカナ君はそれを見て暴走。
俺はというとリップ君で頭がいっぱいで空腹。そして危うくサカナ君に襲われるところだったと。
誤解ってこわい。人間がこわい。
そこで思い出した。さっき、エンマ君が蹴り飛ばしたサカナ君はどこに行ったのだろう。
周囲を見渡すとゴミバケツから男性の下半身が覗いていた。
慌てて近寄るとそこには気絶したサカナ君。
「よかった。死んでない」
「ツナ君のテリトリーだと思って遠慮した」
「そ、それは良かった」
テリトリーではないけれど。
ほっと胸を撫で下ろした俺にエンマ君が不思議そうに尋ねる。
「殺しちゃだめなの?」
「だめ。死体の片付けがたいへんだから」
「燃やしちゃえば?」
「こんな街中で燃やしちゃったらにおいと煙でばれちゃうよ」
「埋めちゃえば?」
「都会に埋めるところはないよ。あるとしたら工事現場ぐらい」
「猫男か狼男にあげる」
「村と違ってほいほいいるものじゃないんだ」
「……むずかしいね」
世間知らずの吸血鬼なエンマ君は首をかしげた。
俺たちの実家は長の懐の広さにより、人口は少ないものの異種族が入り乱れているので、人間の死体のひとつやふたつなら、畑仕事が趣味の吸血鬼に肥料として内臓を進呈したり、人肉大好き猫男か狼男が喜んで受け取っていったりする。
しかしここは都会の繁華街。
人口密度の高さから俺たちのような闇の生き物が混ざって目立たなくてもさすがに死体は目立つ。
「エンマ君、どこか住むとこ決まった?」
「決まってない。お金はあるけど」
ポケットから出した財布には万札がぎっしり。
これはもしかしてコザァートさんから盗んできたのでは。
「別にここでいい。マンガ読めるし。ごはんいっぱいあるし」
ここというのは俺の職場であるネットカフェのあるビルだ。日光の入らない室内に細かく仕切られたブース。素早く食事を済ませて暗示をかけてしまえば食べ放題だ。そしてマンガもネットもやり放題。
しかし、それをネカフェ難民とひとは呼ぶ。
「うち、来る? 狭いけど」
いくらなんでも大事な幼なじみをネカフェ難民にするわけにはいかない。しかもエンマ君の育ての親にあたるコザァートさんはいつも寝てばかりいる俺の祖父の世話を毎日してくれているのだ。恩を仇で返すわけにはいかない。
三年の間に人間に溶け込んで暮らしていた俺の常識がそう訴える。
「いいの?」
「うん。日当たりの悪さが最高なんだ。そのぶん格安だし」
「それはいいね」
エンマ君もすっかり機嫌が直ったようだ。
そのとき、ぐうと腹の虫が鳴った。
ああ、そうだ。俺はおなかが空いていた。そして今なら手をつけたいけど手をつけられなかったごちそうがある。
「じゃあ、帰って、あのワインボトルをあけよう」