崖っぷちの恋
予想できるはずがない。どこの高校生男子が、中学生男子に足をひっかけられて転ばされたあげくに上からのしかかられて、しかもその体勢で告白されると思うのか。最初はプロレスごっこでもしたいのか、それともOMCチャンピオン復帰に向けてのシミュレーションを現実でやっておきたくなったのか、もしくはまったく自覚はなかったけど佳主馬を怒らせるようなことでもしたのかと思った。
ある意味、最後がいちばん正解には近かったのだろう。でも、まさかそんな事実があり得るなんて思ってもみなかったし、そもそも健二に恋愛ごとにおける機転を求められても困るというものだ。鈍感さにかけては、ある程度自信がある。
(数式も方程式もないんだもんな、恋愛って。あれ、でも一応あるのか? 普通、同性相手じゃ成立しないはずなんだけどな)
ということはつまり前提条件から覆されているということで、新たな数式を考案しなければならないということか。それは、なかなか骨が折れる。2056桁の暗号を解くほうが、もしかしたら楽かもしれない。少なくとも、すでに発表されているありとあらゆる法則を当てはめていけばいつかは解ける可能性があるのだから。
(困ったなあ)
夏用の薄いポロシャツを通して、湿った熱さが伝わってくる。
(泣かせちゃったのかな)
四つも年下の子どもを泣かせるなんて、最低だ。まるで、健二が佳主馬をいじめたみたいではないか。
実際はそういうわけでもないというか、どちらかというと逆なのだが。
(あ、でも、佳主馬くんから見るとそうでもないのかも)
突き詰めれば、健二が悪いということになるのかもしれない。
特になにかをした覚えもないが、こうやって13歳の中学生に、ものの見事に道を誤るようなことをさせている以上、責任がないとも言い切れないような気もしてきた。
(いや、でもなあ)
とはいえ、佳主馬の背中を押した記憶がない以上、どうしたものか。
というかそもそも、責任とかどうやって取れと。
(ほんと、困ったなあ)
いちばん困るのは、決して『気持ち悪い』とも『嫌だ』とも『冗談だろ』とも思わなかった、自分自身だ。
だから結局、こうやって佳主馬を上に乗せたまま、健二は身動きひとつ取れないでいる。佳主馬のためを思うなら、すぐにでも否定するなり拒絶するなりしたほうがいいはずなのに。
本当に、困る。どうすればいいのだ。
これが悪戯や冗談ではないことも、ましてやいわゆる思春期にありがちな勘違いではないこともわかっている。
たしかに、佳主馬はまだ子どもだ。だけど、こんなにも苦しさばかりが伝わってくる勘違いは、子どもだったらやっていられないだろう。
これがもっと夢見がちで、憧れや綿飴のような甘さばかりの気持ちだったら、健二もあっさりと勘違いですませたかもしれない。
でも、佳主馬が今ぶつけてきた感情は、そう判断するにはあまりに夢がなさすぎた。
健二が夏希に抱いている感情よりよほど深く、熱く、そしてその感情を抱える本人にもどうしようもないほど勝手に荒れ狂う。
たぶん佳主馬は、健二よりもこういった面でははるかに大人なのだろう。
(どうすればいいんだ、これ)
とりあえず、困ったまま。
健二はそろそろと右手を動かして、ポロシャツをきつく掴んだまま胸の上からどこうとしない佳主馬の頭の上に、そっと降ろす。
触れてみた髪の感触は、思っていた以上にさらさらとしていた。
「…………っ」
ぴくり、と。
完全に健二の上に乗っている佳主馬の身体が、動く。
(困ったなあ)
頭を撫でてみたら、より強い力でしがみつかれた。
さて、どうしたものか。まったく、頭が働かない。
(困ったなあ)
だから、せめて口を開く。
主に、自分自身へと言い聞かせるために。
「……とりあえず、落ち着きなよ」
そのせいなのか。
口から出たのは、出会ってすぐに何回も佳主馬から言われた記憶のある──そんな、台詞だった。
「逃げたりしないから」
たった今、気づいたけど。
そんな選択肢は、どうせ最初から用意していなかったのだし。