動揺
『原田巧様』
直接渡しに来ればいいのに。お人よしにも受け取った沢口が気の毒になる。
「いらないよそんなの」
沢口は困ったように少しの間思案した後、巧の鞄にその手紙を入れた。そして再びため息をもらす。
巧の前に仁王立ちになり、ラブレターをもらったばかりで喜びもしない人物を見上げた。
「俺は原田が羨ましいぞ」
そしていきなり声色を変え、手を胸の前に当てながらこう言った。
「きゃー沢口君素敵!!好きになっちゃった!!」
思いがけない沢口の言動に、一瞬の沈黙が走る。巧は思わず吹き出した。
沢口が面白くないという顔でにらんでくる。その形相に笑いをこらえようとするが、一度こみ上げた可笑しさはなかなか消えない。喉の奥からくつくつと漏れてくる。
「そういうこと俺だって言われてみたいんじゃ」
沢口は頬をふくらませる。いたって真面目な顔で、巧に問いかけてくる。
「なぁ、どうしたら原田みたくなれるんじゃ」
巧は近づいてくる沢口を押し返す。何も言わないと、ユニフォームの裾を引っ張ってくる。
「知らないよ」
スパイクを取るために歩き出そうとしても、それを許さない。
「原田はいつもそうやってー」
ブーイングする沢口の手が、巧の右腕をつかむ。
強めに腕を振り払うと、沢口ははっと気づいて腕を離した。振り返ると、目の奥にわずかな後悔が揺れている。
訪れる沈黙に、今度は巧がため息をつく番だ。何故ここまで女子にこだわるのか分からない。
覗き込む沢口の視線を避ける。窓に映る夕日がやけに紅く見える。もう、日暮れが近い。
沢口が巧に答えを求めることは今までに何度もあったけれど、巧に答えられることなどない。
第一、2人の人物が複製品のように同じであるわけがない。沢口が欲しい答えなど、出せるわけがないだろう。
「沢口さ」
沢口が目を見開き、うなずく。すがるような視線とぶつかり、巧は無意識に不敵な笑みをこぼした。
「俺が惚れてやろうか」
表情が瞬く間に固まり、呆けた顔で巧を見上げる。そしてすぐに、頬から耳まで、赤くなる。
何か言おうと、沢口は口をぱくぱくと動かした。
「ばっ・・・・ばかお前っ、何言うとんじゃ!」
言いながら、ごしごしと顔をこすっている。動揺を隠せないようで、頭をかいたり汗を拭ったり、手の動きが忙しない。
言われたことにここまで真っ直ぐな反応を返されると、面白い。
「本気にするなよ」
見下ろす巧に、ますます赤くなった。
「するわけないじゃろ!」
「・・・・て、いうかさ」
沢口をじっと見つめる。動揺する沢口とは目があわない。
ここまで真っ直ぐな奴が、こんなに捻くれた奴のためにラブレターの仲介人をするなんて、どこまでお人よしなんだ。
巧は手紙などいらないし、愛情などもらっても嬉しくないけれど、沢口は違うのだ。
「お前はお前だろ、別におれになる必要もないし、そのままで十分いいと思うけど」
ふと口をついて出たのは本音だった。沢口が巧を珍しそうに見上げる。その視線がくすぐったくてふいと踵を返す。
沢口はまた頬を赤くして、ぽつりとつぶやいた。
「・・・・・・・・な、なんなんじゃ」
陽は沈みかけている。もう1時間もすれば夜の闇が訪れるだろう。
巧はスパイクを鞄の中にしまい、クーラーの電源を切った。