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IS  バニシングトルーパー α 002

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Stage-002

 



 一月のイギリスは、厚い灰色の雲に空が覆われて曇っている場合が多く、名物の冷たい霧と相俟って、人をややブルーな気分にさせてくれる。
 それはもちろん、両手に荷物を引きずって人波を掻き分けて。駅から出たばかりのクリスも例外ではなかった。

 「チッ、たったの三日なのに、なんだってこんなに……」
 灰色の雲を見上げて、クリスは愚痴と共にため息をつく。冷たい空気の中、吐き出した息は白くなって、午前の空へ上がって行く。
 視線を落とすと、特大サイズのキャリーケース二つとバイオリンケースのベルトが目に入る。
 三日間にこれを運ぶのが自分だけだと思うと、駅からずっと自分の後を歩いてきた少女――セシリアに恨めしげな視線を送らずには居られなかった。

 「大体さ、この状態はちょっとおかしくないか?」
 「な、何のことです?」
 なぜかチョロチョロしていたセシリアは慌てた声で、そう聞き返した。
 セシリアの荷物を全部引き受けたクリスと対照的に、セシリアが持っているのはバスケット一つだけだった。
 「確かに俺も一緒に来たいとは言ったけどさ……」
 立場と性別を考えると別におかしくはないが、問題はそこじゃない。

 「なんで俺とお前以外誰も来ないんだよ! メイドたちはどうした?!」
 不満げな視線でセシリアを睨みながら、クリスは朝からずっと抱えていた疑念を口にした。
 今日が屋敷を離れてこの町に来たのは、セシリア専用に開発したISを受け取るためだった。微調整なども含めて、三日ほどこちらに滞在する予定になっている。
 三日くらいなら、着替えなどはケース一つで十分だろうけど、セシリアみたいなお嬢様となるとそう簡単にはいかない。服とアクセサリーだけでケース二つ、さらに練習もしたいからと言ってバイオリンまで持参してきた。

 「み、みんなさんはその……お、大掃除です。そう、この三日間で庭も含めて大掃除をする予定ですから来れません!」
 「なんだその今考えたみたいな返事。昨夜は仕事も来ないでチェルシーさんと何かやってたみたいだし、何か企んでるっぽいな」
 「そそそ、そんなことありません! さあ、行きましょう!!」
 「ちょっと待て」
 何かを誤魔化すように、相手との待ち合わせ場所へ急ごうとするセシリアを、クリスは呼び止めた。

 「……何ですの?」
 「ちょっと雑誌を買ってきてくれ」
 「雑誌?」
 「そうだ雑誌だ。『月刊・男のホビー』、ちょっと買って来てくれない」
 顎で十メートル先にある小さな本屋を指して、クリスはセシリアにそう指示した。

 「あなた、主を相手に買って来いですって?」
 「いやなら俺が買ってくるから、荷物を持てここで待って」
 なにやら文句ありげに眉を吊り上げるセシリアに、クリスはキャリーケースとバイオリンケースを差し出す。
 いかにも重労働と無縁そうな可愛い美少女がそれらを全部装備したら、さぞシュールな光景になるだろう。
 しかしセシリアは両手が持っているバスケットを見せて、拒絶の意を見せた。

 「雑誌なんていつでも買えますでしょう?!」
 「今月のは改造キットがついてるんだから、遅れるとなくなるって! 後で合流したら市区外の研究所へ直行だし、買うなら今しかない! ほらそこの棚に並んでるし、十メートルくらいしか離れてないのに買わないとかどんな拷問だよ!」
 「また模型ですか!はいはい、もう分かりましたわよ! まったく、買ってくればよろしいでしょう!」
 ふんっ、といかにもご機嫌斜めに鼻を大きく鳴らして、セシリアは背を向けた。
 読書もスポーツもそれなりに嗜んでいるが、クリスの趣味らしい趣味といえば模型作りしかない。模型一個の製作に最低でも二、三日がかかるし、この間に余程のことじゃないと、クリスは誰とも話さない。
 個人趣味に口出しはしたくないけど、構ってくれないのは気に入らない。
 従って、模型なんて大嫌いだ。

 「ちょっと待て。あんな小さな本屋じゃカードは使えないから、俺の財布を使え」
 さっさと本屋へ向かおうとするセシリアをもう一度呼び止めて、振り返った彼女にクリスは自分の正面を向ける。
 セシリアのことだ。現金なんて絶対持ってない。

 「内ポケットにあるから」
 「……えっ」
 荷物で塞がった両手を広げたクリスの顔と彼の胸元を交互して見て、セシリアは目を丸くした。
 クリスの態度は明らかに“コートのチャックを開いてその中に手を入れて財布を取り出せ”、と言っている。
 恋人か家族なら、これくらい簡単にできるだろう。しかしクリスがセシリアにとって、そのどちらでもない。
 オルコット家の使用人はみんな家族という理屈から強いて言えば、クリスは家族に近いかもしれないけれど、そんな風に割り切れないから困る。

 「さっさと取れって」
 「わ、分かってますわよ」
 クリスに催促されて、セシリアは生唾を飲み込んで、彼へ一歩近づいた。
 その紺色のコートを睨んだまま少し躊躇った後、何か覚悟を決めたような表情を浮かべた。片手の指でガチガチとした動きで、コートのチャックをゆっくり下ろす。

(本当にやるとはね……)
 一方、される側のクリスは少し驚いていた。
 半分はセシリアをからかうつもりで言ってみたものの、まさかセシリアが本当に実行に移すとは、少々意外だった。
 今の二人の身長差は殆どなくて、一緒に立っているとすぐ視線が合ってしまう。しかし端から見れば寄り添っているようなこの距離で見詰め合うのも恥ずかしくて、思わず視線を上へ逸らしてしまった。
 セシリアの髪から漂うほんのりとした香りが、鼻を突いてくる。

 「か、固いですわよ、このチャック。仮にもオルコット家の人間なのですから、ちゃんとしたブランド品を買いなさい」
 「別にいいよ、そんなの」
 ぶつぶつと文句をこぼしながら、セシリアはチャックをクリスの胸元まで開き、まるで猛獣の巣に探検でもするような慎重さで、手をクリスの服の中に入れて財布の位置を探る。
 シャツ越しに感じるセシリアの手が、ひんやりとしていて寒気を感じた。
 この間は珍しく暖かかったけど、今日の空気はかなり冷えているから、無理もない。

 「手が冷たいぞ。大丈夫か?」
 「だ、大丈夫ですわよ」
 顔を深く伏せて表情を見せないまま、セシリアはどこかぎこちない返事をした。
 セシリアが男の子とこうして触れ合いの経験は、おそらく今までなかったんだろう。そしてクリスにとっても、そんな風に触られても抵抗を感じない相手はセシリアくらいしか居ない。
 胸板に沿って指を這わせて、財布を探ってくるセシリアの顔は、見る見るうちに赤くなっていく。そのソワソワとした様子が妙に可愛くて、両手が塞がっていなければ、今の彼女の頭を撫でてみたい。
 もちろんそんなことは、口が裂けても言わないけど。

 「財布までこんな安物を……まったく、本当に仕方ない男ですわね」
 少しだけ探ると、セシリアはすぐにクリスの財布を見つけることができた。指でそれを摘み出してコートのチャックを元に戻すと、彼女はすぐ目を逸らして、顔を隠したままそう言った。

 「……で、では買ってきて差し上げますから、ここで待ってなさい」