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IS  バニシングトルーパー α 002

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 「勝手におやつ買ったりするなよ?」
 「買いません!!」
 冗談めいた返事を返しつつ、クリスは少し体を屈めてセシリアの顔を覗き込むと、セシリアはまるで逃げるように身を翻して、振り返らずに本屋へ駆け出した。

 「ふっ……」
 長い金髪の揺れるその後姿を眺めて、クリスの表情はすぐ安堵したようなものに変わった。一回だけ深呼吸して、空へ白い息を吐き出す。
 心臓がドキドキしてるのを気付かれてないのが幸いだった。後はセシリアが戻ってくる前に、顔が赤いのをなんとかしないと。



 *



 大量の荷物を引きずって、セシリアと一緒に待ち合わせ場所で向こうが手配した車を待つ。しかし約束時刻から三十分以上が過ぎても、研究所の車両らしきものはどこにも見当たらなかった。
 午前十一時四十分。
 霧が少し濃い今では、少々の遅れは仕方ないかもしれないが、連絡の一つくらいよこさないのがおかしい。そう思った瞬間に、屋敷にいるはずのチェルシーから電話が来た。

 「なに? 手違いだと……?!」
 携帯電話の向こうの相手に、クリスは素っ頓狂な声を上げた。
 『はい、そうです。本当に申し訳ありませんが、私が研究所に伝えるべき日程を間違いまして……』
 「何とかできないのか?」
 『先ほど研究所と連絡したのですが、今から運転手と車を手配してはおそらく到着は午後六時、さらに研究所に戻ってはもう深夜になってしまうとのことです』
 「そんな……じゃ俺たちは……」
 眉の間に皺をきつく寄せて、クリスは肩を深く落とした。
 研究所は市区から遠く離れた場所にある。バスなんてないし、この霧ではあそこまで乗せてくれるタクシーもいないだろう。
 いつも完璧なチェルシーにらしからぬミスだったが、今から追及しても問題解決にならない。
 横にいるセシリアを一瞥すると、なぜか彼女はすぐに顔を逸らした。

 『本当に申し訳ありません。研究所の方は明日の朝一に車を寄越すと仰ってましたので、今夜は市区のホテルに泊まれば大丈夫かと』
 「えっ?」
 『勝手ながら、すでにオルコット家と契約したホテルの支店にお嬢様の名前で予約を入れておきました。詳細位置はメールでお送り致します』
 「ちょ、ちょっと待て」
 『天気が寒いようですし、くれぐれも風邪を引かないようにしてください』
 クリスの返事を聞かずに、チェルシーはどこか妙に楽しげな声で既定事項のようにことを述べる。

 『では、失礼します』
 「待てって! おい!……あっ」
 最後に大声で呼びかけても、切られた電話の向こうからはすでに不通音しか聞こえなくなった。

 「チェルシーさんが日程を間違えたから、研究所の車は明日。今夜はこっちに泊まるしかない」
 表示の消えたディスプレイを数秒間虚しく睨めた後、クリスは現状をありのままセシリアに伝えた。

 「あ、あら、そうですか」
 「……うんっ?」
 相変わらずバスケットを大事そうに携えて顔がそっぽを向いたまま、セシリアは簡潔に返事をした。しかしこころなしか、声が僅かに裏返っていても、彼女は特に驚く様子はなかった。
 チェルシーだけじゃなく、セシリアの態度までちょっとおかしく思えてきた。
 昨夜チェルシーと二人でこそこそ何かをしてたのも踏まえて、一つの仮説がクリスの脳内に浮かび上がる。
 今日のこの事態を、このふたりはある程度予測していた可能性がある。
 しかしだとしたら、なぜ黙っていた。その理由が思いつかない。

 (……考えすぎ、か)
 苦笑して、クリスは自分の疑念を振り払い、通りかかるタクシーを呼び止めたのだった。



 *



 チェルシーが予約したホテルにチェックインすると、二人はホテル上層のスィートルームへ案内された。
 さすがはオルコット家と契約しただけあって、部屋の中はなかなかに広くて、内装もかなり凝っている。寝室は二つもあり、やや狭い方が付き人用になっていて、広くて豪華な方が主人用である。

 部屋に入ってドアを閉めた途端、二人の間に妙な沈黙が訪れた。
 クリスは黙って二人のコートをハンガーにかけ、荷物をそれぞれの部屋に運んだ後、電気ポットに水を入れる。
 セシリアはずっと持ってきたバスケットをテーブルに置いて、椅子に腰をかけて外を眺めたまま押し黙った。
 屋敷でも二人の部屋がかなり近かったりするし、いまさら変に意識するようなことはしないつもりだったか、この空気が微妙だ。

 「……とりあえず飯だな」
 電気ポットのボタンを入れた後、クリスはリビングのテーブルまで歩いて、注文できるメニューがないかを確かめる。
 今は丁度昼飯の時間、そして午前の重労働のせいでクリスのお腹は強烈な空腹感に襲われている。なんでもいいから、とにかく食べ物が欲しい。
 テーブルの上には、食事のメニューが置いてあった。

 「中華とイタリアンの良さそうのがある。セシリアはどっちがいい?」
 一通りメニューを見たあと、クリスは近くに座っているセシリアの意見を求めた。
 食文化の乏しいイギリスでは外国の料理を好むイギリス人が多くて、外国料理のできるコックさんを雇うホテルも少なくない。その中でも中華料理が特に種類豊富で、若者たちの間で人気になっており、クリスもその例外ではない。
 それでも一応レディファーストの精神に則って、選択権をセシリアに委ねる。

 「あっ、それでしたら……」
 少々緊張気味な声で、セシリアはそう言った後、ずっと自分が持ってきたバスケットの蓋を開けて、中身をクリスに見せた。
 その中には、美味しそうなサンドイッチがみっしりと詰まってあった。ぎっしり挟んだ肉や野菜の鮮やかな色が、見た人の食欲をそそる。

 「サンドイッチを用意してきましたわ。わたくし一人では食べ切れませんし、あなたも手伝いなさい」
 「それはありがたいな。チェルシーさんのサンドイッチは相変わらず美味そうだ」
 「……ふんっ!」
 チェルシーの名前を聞いた途端セシリアはいきなり眉を吊り上げて、サンドイッチを取ろうとするクリスの手を蓋で叩いて、バスケットを閉じた。

 「ど、どうしたんだ?!」
 目を丸くして、クリスは睨んでくるセシリアの顔をまじまじと見る。
 それほど力を入れていないため、大した痛みは感じないが、セシリアが急に怒った理由が思い当たらない。
 しばらく睨めっこを続けた後、セシリアは口を開けた。

 「……今日のサンドイッチはチェルシーではなく、このわたくしが作ったものです!」
 「はあ~?」
 サンドイッチ。噂ではイギリスのとある分の悪いギャンブルが嫌いではない伯爵がシェフに指示して開発した、トランプを遊びながら食べられる料理。
 軽食ってイメージはあるけど立派な「料理」。
 そして「料理」と「セシリア」が交差するとき、恐ろしい化学反応が始まる。
 危うくまた死ぬところだった。
 手を叩いて止めてくれたセシリアに、感謝を。

 「さあ、このわ・た・く・しが作ったということを踏まえた上で、しっかり味わって召し上がりなさい。温かい紅茶もありますから」
 もう一度蓋を開けて、セシリアはドヤ顔でサンドイッチをクリスへ押し出す。