永遠と麦の穂
永劫のための刹那に生きる。刹那の見る夢こそが永遠。
彼から何もかもを奪った、それが刹那の責任と答え。
グラハムには理解されなくてもいい。無理にわかり合わなくとも、繋がりがそこにあればそれでよかった。
ただ一つ、刹那が授けることのできるものを渡すことで、彼との間には繋がりが生まれるのだ。
「今では俺の本名を知るものなど数えるほどしかいないし、今後も増えることはない。アンタには、その最後の一人になってもらいたい」
「刹那……」
何をどう答えたらいいのか、グラハムの複雑な心境が刹那には読めた。本当に十歳以上も年上なのかと疑うほど、明け透けで嘘もつけない男である。
刹那は少し笑った。彼に比べたら、自分はとんでもない嘘つきで、性根も曲がっていると言える。
「……何を笑っているのだ?」
さすがにグラハムも気づいたようだ。
「アンタは綺麗だなと思って」
「──はっ!?」
「嘘ではないけれど、俺は今、少し卑怯なことをしている」
それを疑わずにいるグラハムの真っ直ぐさに、刹那は心打たれたのだ。
「……どういうことだ?」
「その前に、俺の名前を受け取ってくれるか?」
刹那のはぐらかしに、グラハムはやや不満そうな表情も見せたけれど、最後には頷いていた。
「光栄だと言わせてもらおう! それで、君の本当の名前はなんだ?」
「ありがとう、グラハム。俺の名前は──」
『ソラン・イブラヒム』
アラブの正式な発音で打ち明けた。ちょうど太陽が砂丘の影から顔を覗かせたところで、そのタイミングのよさに、よくできた映画か何かのようだと、刹那は思った。
「ソラン・イブラヒム」
グラハムの声が、刹那のときと同じで確認するようになぞらえていく。彼の声で告げられる自分の名前には、何か不思議な力が加わっているような気がする。
「いい名前だ」
「……両親がつけてくれたからな」
「そうか。大事にさせてもらうよ」
「そうしてくれ」
刹那の犯した大罪もあり、この名を名乗るときはいつも、神に懺悔するような気持ちだった。だからこれで最後にする。グラハムならば、疎かに扱うこともないだろう。
「──で? 君の言う卑怯なこととはなんだ?」
「簡単だ。ソレスタルビーイングとして犠牲にするのは、刹那・F・セイエイの心のみだと言うことだ」
つまり、ソラン・イブラヒムの心は含まれない。言ってみれば逃げ口上だ。刹那とソランという二つの心を持つことで、自分の生き方をさまざまに模索してみようと考えたのだ。
子供の頃に確かにあった個人の夢を、もう一度思い出したくなった。それはグラハムの『空を飛びたい』という純粋な気持ちに触れたからだった。
空っぽだと言われて反論できなかったことも、刹那の心を揺さぶったのだ。そんなことは考えもしなかったのに、気づけばグラハム・エーカーの存在は、刹那にたくさんの楔を打ち込んで、疑問を投げかけていたのだった。
刹那の『卑怯』にポカンと口を開けていたグラハムも、気を取り直したように肩を竦めていた。
「なるほど……。だがまぁ、私もその気持ちはわかるよ」
「そうなのか?」
「私もそうやって生きていたからな……」
やや自嘲気味に彼は笑っている。どういうことだろうと考えて、もしかしてあの、やたらとこだわっていた武士道のことかと思い当たった。
「そろそろ出発しながら話すか」
「そうだな。遅くなってしまうな」
砂漠を照らす太陽は、東から少しずつ昇っていき、早くも熱い空気をあたりに撒き散らしている。
グラハムを逃がすためという建前でもあった旅は、もうすぐ終着点を迎える。思いも寄らない方向へ飛んだ道のりだったけど、勝手と我侭を押し通してでも行ってよかったと、刹那は思っている。
「ところで君のことは、刹那と呼んでいいのかな?」
駱駝を上手に操りながら、グラハムが聞いてきた。いつもは後ろに続く彼も、今日は刹那の隣を並んでついてくる。
「ああ、それでいい」
刹那・F・セイエイとして生きることが大前提だ。ただ、ほんの少し疲れたときに、ソランとなることがあるかもしれない。
「アンタには頼みたいことがあるんだ」
「なにかな?」
「たまに抱きしめさせてくれ」
「──は? えっ? ……何故だ?」
頬を赤らめ、目を白黒させて、グラハムはうろたえた様子をみせている。刹那に何度も興味があると言っておきながら、自分が言われるほうには慣れていないらしい。
「アンタは可愛くて面白いな」
「……答えになってないぞ!」
顔を赤らめたままやり返す彼に、フッと、刹那は笑った。
「アンタは俺に永遠を教えてくれた。俺が造る世界の、次に繋がる道を示してくれたんだ」
金色の波がくれる豊穣が、世界と人々を潤してくれる。それは争いを遠ざける一つの道。刹那の知らない永遠の形を知るグラハムが、それを可能にしてくれる。
「刹那……」
「冬になったら一緒に行って欲しい場所がある」
刹那はまだ本物のそれを見たことがない。豊かさの象徴でもある黄金色の輝きを、同じ名前を持つ彼と共に見てみたかった。
グラハムはすぐに理解してくれたようだ。
過去の中でしか見せなかった、乾いていない綺麗な笑顔で頷いていた。
「わかった。一緒に見に行こう」