わかってない!
先程アメリカに乱された金髪を自らぐしゃぐしゃと掻いて苛立ちを隠そうともせず呟くと、隣に座っていたアメリカがひどく楽しそうにけらけらと笑いだした。
目つきの悪い目をまるくするのは、今度はドイツの番だった。なんだ、突然。そう問えば、まだ笑いを殺しきれずにくつくつと漏らしながら、アメリカは眼鏡の向こうの目を悪戯っぽく光らせてばしばしとドイツの背を叩いた。
「ほらね、難しいことなんか何もないじゃないか! っはは、君はプロイセンが好きで、そのプロイセンが君のことを傷つけるようなことを言ったのが悲しくて、腹立たしくて、俺のところへ来たんだろう? これ以上ないくらい、簡単なことじゃないか。それを、『俺が悪い』だの『兄さんに言わせてはいけなかった』だの、馬鹿みたいに難しいことを考えるからぐるぐるして泣いたりするんだ。ばーか。馬鹿ドイツ」
勝ち誇ったように笑うアメリカに言うべき言葉はあったはずなのだが、ドイツの口からそれが放たれることはなかった。ただ、アメリカと同じように腹を抱えて笑い、先程まで不覚にも涙でぬれていた目元を手のひらで覆って、ひたすらに笑った。ああ、俺はなんて馬鹿なんだろう、と。
ドイツは放り投げられていた上着を着込み、珍しく玄関まで見送りに出たアメリカに礼を言ってアメリカの家を後にしようとした。
「で、殴りに行くのかい?」
「ああ。二、三発と言わず、とりあえず気が済むまで殴ってやろうと思う」
「それがいいよ。君らふたりはすごく仲が良くて、そういうところは……そうだね、少し羨ましい、けど。でもさ、だからこそくだらないことで悩みすぎなんだよ。細かいことを気にしすぎなんだぞ」
つん、と、先ほどよりもずっと浅くなった眉間のしわに人差指を押し付ける。ドイツはその手をやんわりと振り払いながら、皮肉っぽく笑った。そういう意地悪な顔は、兄にそっくりだな、とアメリカは思う。
「おまえこそ、いつもイギリスがどうこうと俺に愚痴を言いに来るくせに。こういうときだけ偉そうなことを言うな」
「うるさいよ。そういうことを言うと、教えてやらないんだからな!」
アメリカは唇を曲げて、ふい、と顔を逸らす。その口元には、僅かに笑みが浮かんでいた。悪戯を企てる、子供のような笑み。
「何を教えてやらないと、……ッ、わ、ぁっ!?」
突如、ドイツの姿がアメリカの視界から消える。しかしそれは彼にとって想定の範囲内というやつで、アメリカはくつくつと笑ってドイツを引き倒した人物に声をかける。
「プロイセン、ドイツの首が取れそうだよ」
「うっせえ。……おいヴェスト、帰ろうとすんのがおせえんだよ。いい加減にしやがれ、ほんと、何時間待たせる気だ。アメリカもアメリカだ、俺がいるって分かってたんだろ、さっさとヴェストを帰せよ」
「嫌だよ。俺の友達を泣かせるようなクソ兄貴に、なんでそんな気を使ってやらなきゃいけないんだい」
「に、いさ……っ、!? え、あ、アメリカ、兄さんが、え、え……?」
音を立てず気配を殺し、玄関のドアに背を向けていたドイツを、後ろから羽交い締めするように引き倒した張本人であるプロイセンと、プロイセンが突然現れても平然としているアメリカを、混乱したドイツは交互に見つめることしかできなかった。
「ずっといたよ。君が出てくるの、ストーカーみたいに俺の家の外でずうっと待ってた。……だろ? プロイセン」
「誰がストーカーだメタボ野郎。ヴェストに手ぇ出してねえだろうな」
「……さぁ? あ、ドイツ、君もうちょっと痩せてくれよ、押し倒された時すごく重かったんだぞ」
くすくす、とわざと含みを持たせた笑い方でドイツに笑いかけ、アメリカは玄関に倒れ込む傍迷惑な金髪と銀髪の兄弟にくるりと背を向けた。
「え、おいヴェスト! 押し倒したってなんだよ、おい、ことと次第によっちゃお兄様によるお仕置きが……!」
「プロイセン。……ドイツが、言いたいことがあるって、さ」
アメリカらしからぬ、低く落ち着いた声で名を口に出されたふたりは、ぐっと息を詰めて言葉を押しとどめた。ふたりに背を向けたアメリカからはもう見えないが、ドイツがプロイセンに向き直るのを気配で感じる。
「兄さん、……兄さん、俺はあなたが必要だ。いなくてもいいなんて、一度も思ったことはないし、俺はさっきのあなたの言葉に、凄く傷ついた。……痛かったんだ、兄さん」
「うん、……ごめんな、ヴェスト」
「……誠意が足りん」
「どうしたら許してくれる? なんでもしていいぜ、おまえの気が済むまで殴っても、……っ」
不自然に途切れる言葉。アメリカは、自分の背後でふたりだけの世界を作り上げている兄弟にわざとらしく咳払いをして無理矢理現実に引き戻してやる。
「おふたりさん。頼むからひとんちの玄関でラブシーンを始めるのはやめてくれないかな。……もうすぐイギリスが来るんだ。さっさと帰ってくれよ」
ちら、と後ろを振り返ると、やはりというか、直前までキスをしていたと丸わかりの体勢で、プロイセンとドイツは抱き合っていた。はあ、と呆れたように溜息をつき、ひらひらと手を振って動物を追い払うような仕草を見せてやると、プロイセンはようやく置き上がって玄関にへたりこむ弟の手をとった。
帰るぞ、と抱き上げるようにして弟を起こし、ぱたぱたと汚れを払ってから握ったままの手を引いて玄関をくぐる。その兄に手をひかれ、ドイツは前のめりになりながらアメリカを振り返った。
「……Danke!」
嬉しそうに口元をほころばせるドイツに、アメリカは笑ってウインクをひとつ投げてやった。
ばたん、と閉じられた扉に背を向け、アメリカは両手を頭上で組んでぐっと背伸びをする。あーあ、と誰に聞かせるでもない声を出し、くすっと笑う。
「イギリス、早く来ないかなー。俺の淹れた苦いコーヒーより、イギリスのおいしい紅茶が飲みたいんだぞー!」
本人の目の前では絶対に口にしないようなことを叫び、アメリカはリビングに置きっぱなしのマグカップを片付けに向かった。
end.