わかってない!
ぺちぺちとまっしろな手の甲を叩いてやると、少しだけ力が緩んだのか、握りしめられたクッションの皺が減る。深く長く吐き出された溜息は、ふるえていた。そのクッション、気に入ってるんだから鼻水つけないでくれよ、と笑うと、ドイツは顔をクッションにうずめたまま、アメリカに握られていない方の手でアメリカの膝を叩いた。
「メソメソ泣いてさ、こんなところで愚痴を言っている暇があったら、そのくだらないことを言った『兄さん』に拳のひとつやふたつ落としてくればいいじゃないか。得意だろう、殴るの」
ポテトチップスの袋をテーブルに置き、ぺちぺちとまたドイツの手を叩く。
「……泣いてない」
「突っ込むのはそこかい。もう、本当にばかだよなあドイツって」
なきむしドイツ。そう言って、アメリカはドイツががっちりとホールドしていたクッションを無理矢理奪い取ってしまった。数分ぶりに空気に触れた目はあかく充血しており、べちゃべちゃに濡れていた。
「ほらね、なきむしだ」
「うるさい、返せっ!」
「元々俺のなんだぞ! わっ、ちょっと、あー重い、重いよこのムキムキ! ばか!」
自分を隠していたクッションを奪い返そうと手を伸ばすが、アメリカは腕を上げて奪われまいと体を逸らす。ソファーに寝そべらせていた上半身を起こし、アメリカの肩を掴んで背伸びをした途端、バランスを崩してアメリカの上にドイツが覆いかぶさるように落ちてきた。
ちょうどソファーの肘かけのところにアメリカの頭が乗り、その上にドイツの大きな体が乗っかる。重い、と文句を言いながら、アメリカはドイツを跳ねのけようとはしなかった。跳ねのけるために使用しなかった両手のひらで、すぐ近くに落ちてきた金髪をくしゃくしゃと撫でる。整髪料でべたつくことにも構わず、アメリカはドイツの髪を撫でた。
「こどもみたいだな、ドイツ」
「……黙れ、ガキ」
「たいして変わんないくせに」
「俺の方が年上だ」
「すこーしだけね。でも、今は俺のほうが大人っぽいと思わないかい?」
くすくすと笑うと、アメリカの上に倒れこんできていた大きな体も、力なく笑ってアメリカの髪をぐしゃぐしゃと撫でてきた。
「……それで、どうしたいのさ、君は」
お互いくしゃくしゃに乱れた髪のままソファーに座りなおし、すっかり冷めてしまったコーヒーを啜る。冷めてしまったコーヒーに角砂糖は溶けないよ、とガムシロップを差し出してやったが、ドイツはブラックのまま口に含んだ。しかし眉間に皺をよせ、無言でガムシロップを流し込んで掻き混ぜる姿に、やっぱり俺の方が大人っぽい、とアメリカは笑った。
「どう、と言われても……な」
「何に悩んでるのさ。俺の意見としては、君が今すぐ家に帰って、プロイセンの頭でも顔でも二、三発ぶん殴れば万事解決だと思うんだけどね。だって悪いのはプロイセンだろう?」
「それは、少し違う。……悪いのは俺だ」
「ふうん?」
「俺は、あのひとにあんなことを言わせてはいけなかったんだ。俺が頼りないから、俺に力が足りない……から、兄さんは、」
「ストップ!」
ぴしゃり、とアメリカにしては低く張った、大きな声でドイツの言葉は遮られた。皺の寄ったドイツの眉間に、アメリカの指が捻じ込まれた。
「つまんないんだぞ。君の話は難しすぎる」
頬をふくれさせ、アメリカはズズーっとコーヒーを啜る。カンッとカップでテーブルを叩き、ドイツに向き直ると、ぐっと顔を近づけてドイツのあおい目を覗き込んだ。
「俺はね、ドイツ。よくイギリスと喧嘩をするんだ」
「……あ、ああ? そうだな、うるさいくらいよく喧嘩をしているな」
「そうだろう。なんでかわかるかい? 俺はイギリスが嫌いだからだよ。だいっきらいなんだ。あんな、伝統だの格式だのを重んじてばかりの時代遅れなヤツ、だいっきらいだ。いつも俺のやることなすことに文句を言ってさ、それでいてまだ俺の兄貴面をするんだよ。信じられるかい? ばかみたいだろう、というか、彼は馬鹿なんだよ。ばかでばかで、俺はイギリスが大嫌いだ」
先程テーブルに置いたポテトチップスの袋を再び抱え、乱暴に手を突っ込んでばりばりと咀嚼を始める。細かいカスを飛び散らせながら、アメリカは喋り続けた。
「俺とイギリスが喧嘩をするのは、イギリスが悪いからだ。でもね、俺だってちょっと、ほんのすこーしだけ悪かったところもある。だから喧嘩をしては、またいつも通りに喋って、ばかなイギリスに文句を言って、文句を言われて、……た、たまにね、たまにだけど、その……抱きしめてもらったり、するわけだ。なんでかわかるかい?」
ドイツが口を開こうとした瞬間、声になる前の声にアメリカが声を重ねた。
「イギリスのことが好きだからだよ」
自信に満ちた、声だった。ドイツはそれに言うべき言葉が見当たらず、唇を薄く開けたまま、その自信に満ちたアメリカの横顔を見つめていた。
「いいかい、ドイツ。イギリスはばかだけど、今の君は彼以上にばかだよ。さっきの君じゃないけどね、『難しく考えるから難しく思える』んだよ。よーく考えてごらん。ドイツ、君はさっき、どうして泣いていたんだい?」
「な、泣いてなど……っ!」
「うるさい。いいから答えて。どうして泣いていたのか、言ってごらん」
少し、怒っているような声で問い詰めていると、アメリカは自覚していた。ドイツに向き直り、唇を引き結んで戸惑うような表情を見せる年上の友人を見つめた。無言のまま答えを促すと、ドイツはゆっくりとその唇をひらく。
「……悔しかった、んだと……思う。兄さんは、何もわかっていない。俺がどれだけあのひとを好きか、俺がどれだけあのひとを守りたいと思っているか、……俺がどれだけ、あのひとに愛されたいと思っているか、兄さんは知らなすぎる。だからあんなことを言うんだ。いらないなんて、一度だって思ったことないのに。思うはずがないのに! あのひとは本当にばかだ、大馬鹿なんだ、ああくそ、思い出すだけで腹が立つ。俺がどれだけ好きか、全然伝わっていないのか、ふざけるなクソ兄貴め!」
がんっ、と半分ほど中身の減ったマグカップをテーブルに叩きつける。割らないでくれよ、というアメリカの声がドイツに聞こえていたかは、怪しいところだった。
「そうだそうだ、クソ兄貴ー!」
握りこぶしをあげ、囃したてるようにドイツの言葉を繰り返すと、ドイツはじとりと恨めしげな目でアメリカを睨みつけた。
「おまえが兄さんをクソ兄貴と言うな。イギリスを馬鹿にすると怒るくせに」
「イギリスを馬鹿にしていいのは俺だけなんだぞ」
「兄さんを馬鹿にしていいのも俺だけだ。本当に、あの馬鹿兄は……ッ! ああ、腹立たしい! なんだ、俺がいつあなたをいらないと言った、いついかなる時だって、俺はあなたが大好きで仕方がないというのに!」
「まったくだ! だから兄ってイキモノは馬鹿なんだよ、自分がいちばん弟を愛してると思いこんで、弟の言うことなんか聞いちゃくれないんだ。やんなっちゃうよな」
「ああ、本当にその通りだ。なんて馬鹿なんだあのひとは。俺の言葉を信じないのか、俺がいくら好きだと言っても伝わらないのか、……クソ、殴りたくなってきた」
「……っふ、あはは、あはははははははは!」