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たとえばこんな間桐の話の蛇足の話(前)

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 兄貴は覚えていないだろう。
 忘れているのだろうし、思い出す必要だって無い事だ。
 でも、俺は覚えている。
 俺の為に泣いてくれたのは、兄貴が初めてで、唯一だったという事を。

 蟲蔵にぶち込まれて死に掛けて。
 その後、ぼんやりした意識の中で、誰かの泣き声を聞いていた。
 あれが兄の声だと気付いたのは、何度目の時だったか。
 その時には抱き締められていた事を知った。
 爺が諦めたのか飽きたのか、蟲蔵に入れるのを止めた後。
 兄とはあまり話さなかったし、いつしか酒浸りになってしまったけれど、それでも兄貴は俺のただ一人の家族で。
 ……あの家から連れ出したかった。
 でも駄目で。どうしても、駄目で。
 俺は自棄になって、そして。

 ……本当に、俺は生かされていた。
 救われて、助けられて。
 死んでも構わなかったのに。
 俺の命なんて、何の価値も無いものだったのに。
 あのおぞましい蟲以下の存在だったのに。
 それなのに。

 兄が、俺の事を気に掛けてくれていて。
 甥っ子が、俺なんかを凄いって言ってくれて。
 姪っ子が……あの子が、俺を愛してくれて。

 大切な人達がいるんだ。
 大事な家族がいるんだ。
 愛しい人がいるんだ。
 俺は、その人達と、幸せになりたいんだ。

「まぁ、そこにアンタは入ってない訳だが」
「何故わざわざそれをワシに言いおった」
 苦虫を噛み潰した様な表情で、蟲爺が言う。
 本体は封印されて某所に保管されているから、これはただの意識体らしいけど。
 相も変わらず手の平サイズ。
 もう爺も色々と諦めたらしく、嘗ての化け物っぷりは鳴りを潜めて、最近は特に大人しい。
 小さい身体でうんせうんせと茶を淹れて飲む姿にほのぼのしては負けなのだろうが。
「いや、意趣返し?俺は幸せだし、これからも幸せになるよって宣言でもあるかな。爺ざまぁ」
「性格悪ッ!!貴様はどう足掻いても間桐じゃボケェ!!」
「何言ってんだよ、今更」
 鼻で笑う。
 本気で今更だ。
 アンタみたいに腐ってる気は無いけど、結局俺達は歪んで狂って壊れてる。
 それでも、幸せにはなれるんだって、アンタに思い知らせてやるよ。
「俺達は間桐のまま、それでも幸せに生きてやるよ、間桐臓硯。いや、マキリ・ゾォルケンか?……理想を劣化させて、魂を腐らせた哀れな爺」
「………ふん」
 アインツベルンやら間桐の資料やら遠坂やら時計塔の教師やら生徒やら。それらが集まって調べられない事もそう多くなく。
 この爺の過去もその範疇にあり、嘗ての爺の姿に間桐一同えー……なんて言いつつ何とも言えない空気になったりもしたのだが。
「……アンタは指咥えて見てればいいさ。俺達の幸せを。アンタが嘗ての自分を忘れて、自分と同じく腐らせようとして、でも腐らせられなかったもの達を」
 爺は何も言わない。
 沈黙し、こちらを睨むその双眸にも力が無い。
 いや、もう見る価値も無いと断じたか?
 それでも構わないさ。
「……羨ましくなったら寄ってくるといい。弾いて蹴り飛ばして投げ捨てて、それに飽きたら受け入れてやるよ」
 せせら笑いながら、言ってみる。
 ああ、アンタは俺の幸せには入ってないからな。仕方ない。
 アンタはいらないからな。………今は。
 だけど、いつか。そう、いつか。
「……自惚れるでないわ。どうせ貴様等も腐り堕ちるだろうて。……それが、間桐よ」
「抜かせ。俺達が今の間桐だ。幸せになってやるよ。アンタが羨ましくなって、自分も入れてくれって泣き喚く様になる程度にはな」
「………ほざけ」
 いつか。
 アンタも嘗ての幸せを思い出して、こちら側にこれるといいとは、思っといてやるよ。
 勿論それを言葉にしてやる事も無く。
 俺は爺の前で、ただ嗤っていた。