たとえばこんな間桐の話の蛇足の話(後)
私は多分、何も見ていなかったのだと思う。
そして、深く考え様ともしていなかった。
間桐雁夜。私の幼馴染み。家を嫌い、魔術を嫌い、出奔した、夫の事も嫌いだと明言していた子。
「……そっか。葵さんは、魔術師と結婚するんだね」
「……雁夜君。確かに時臣さんは魔術師よ?でも……」
「ああ、わかってる。大丈夫だよ、俺は魔術師は嫌いだし、それを誇りにしている時臣も理解する気は無いしやっぱり嫌いだけど、葵さんはあいつを好きで、一緒になるんだろ?なら、それでいいと思う。おめでとう、葵さん」
彼は、にっこり笑ってそう言った。
祝福してくれたのは嘘ではなかったと思う。
俺も葵さんが初恋だったのになぁ、なんて言われたけれど、笑ってそう言うから、私も流してしまった。実際、そこまで強い想いではなかったみたいだし。
それはいい。魔術師嫌いでも夫に好まれていなくても、彼が私の大切な幼馴染みだという事は事実だったのだから。
……大事なのは、その後だ。
その時には既に、雁夜君は間桐の家を出ていた。夫は魔術から逃げ出した落伍者だと言っていて、雁夜君も何も言わなくて、私も詳しく聞かなかったから、その背景に何があったのか、それこそ考える事さえせずに。
定期的に冬木へと彼は帰って来ていた。私にルポライターの仕事で訪れた国や街の事を面白おかしく話し、お土産を渡してくれた。
その際に、決まって聞いてくるのだ。
間桐の家の事を。家に置いてきた、兄の事を。
控え目に、決まり悪げに、俯きながら、目を逸らしながら。
そんなに気にするのなら、帰ってあげればいいのに。
そう言った私に、彼は泣きそうな顔になって。
……何も言えないでいる私に、彼はすぐに笑って、言った。
俺にそんな資格はないよ、と。
きっとその時に、何があったのか、何を思っていたのか、私は聞いておくべきだった。
だけど私は流してしまって。……そしてそれから暫く、雁夜君は姿を見せなくなった。
次に会ったのは、凛と桜を出産してからだ。
二人を連れて公園に来たら、久し振りにその姿を見掛けて。
……傷だらけだった彼に絶句した。
ちょっと紛争地帯に行ってたんだ、と何でもないように告げられ、眩暈さえした。
だから連絡も出来ないでごめん、なんて謝られてしまえば、何も言えなかった。無茶しちゃ駄目よ!!とお姉さん風を吹かせて少し叱ってはみたけれど。
その時の私は、間桐の家の情報なんて呼べるものは一つも持ち合わせてなくて。
彼はそれ程期待していなかったのか、諦めた様に笑って、いいんだ、と呟いて。
凛と桜に自己紹介をして、それからちょくちょくお土産を持って、会いに来てくれた。
その度に新しい傷を負っていたのは、何故だったのか。
海外で少し面倒事に巻き込まれた、とか。ドジ踏んだんだよ、とか。雁夜君はそう言うだけで。
こんなのどうでもいいよ、と笑って言うあの子は本当にどうでもよさそうで。でも子供達に笑い掛けるその顔はとても優しくて。
思考を停止させたまま、理解しようともしないまま、そんな風に、私達の交流は続いていた。
そしてあの日。
得た情報を伝えた。お兄さんが結婚したらしい、という事を。更には、子供まで産まれていたという事を。
遠坂には間桐との不可侵条約はあったけれど、いつか雁夜君に伝えてあげたいからと、何とか夫から聞き出して、更にはご近所の噂話から得たものだった。
それを伝えると、彼は驚いて、真っ青になった。
教えてくれてありがとう、と言ってくれたけれど、凛と桜への挨拶もそこそこに、足早に歩き去って。
何故あの時、雁夜君があんな顔をしたのか。そしてその後、ぱったりと姿を見せなくなったのか。
それを私が知るには、もう暫くの時を要した。
そして、聖杯戦争停戦後。
蟲爺に悟られない様にと監視の目を潰し、再会した時に短い時間で語られた真実と、状況と。
すっかり間桐の色に染まった娘の姿に動揺する暇も無く、矢継ぎ早に明かされるそれぞれに。
葵は耐え切れず、行動に出た。
「………ごめんなさいいぃぃぃぃ!!!」
「ウワアアアア何そのスライディング土下座ァァァ!?やめてやめて葵さんやめてぇぇ!!」
「ウワアアアア人妻の土下座!!なんておにちくなんだ雁夜ァァ!?」
「えええ俺の所為!?俺の所為なのコレ!?」
物の見事に土下座である。
地に額を擦り付けつつ、葵の口から激情が言葉となって迸る。
「鶴野君もごめんなさい!!慎二君も桜の為に……!!皆がそこまでしてくれたのに母親である私は何も知らずにのうのうと……!!もういっそ殺してぇぇぇ!!!」
「葵さんが大変な事に!!たっ、助けて桜ちゃーん!!」
「今桜は、凛……だっけ?とにかく、実の姉ちゃんと感動の再会してるから。大人は大人で話つけなよ。あ、僕は余生だから。気にしてないから」
「うちの息子超クール!!」
「流石慎二君……」
「何て冷静な子なの……。……そうよね、死んで逃げるなんて卑怯者のする事だわ……。雁夜君、鶴野君も……本当にごめんなさい。そして、あの子を守ってくれて、ありがとう……」
潤んだ瞳で、それでも涙は零すまいと堪えながら、皆の瞳を見詰めながら、心の底からの感謝を述べる。
そしてそのまま頭を下げる……のだが。
「いいから立って!!また土下座の形になってるよ葵さん!?」
「これ桜と凛ちゃんに見られたら修羅場だな!!」
「親父、それフラグ」
慎二のその突っ込みの後。
「あっ、あんた達お母様に何してるのよーっ!?」
怒れる凛のご登場である。
「……どうしたの?」
その後ろで桜が不思議そうに首を傾げているが、なんとなく葵の土下座の理由はわかっている。
しかし絨毯が焼け焦げているのは何故だろうか、と。
……葵さんのスライディング土下座は凄まじい勢いを持っていたらしい。
何かもうてんやわんやだったが、その後。
様々な面子で集まって、色々と台本練ってビデオも撮った、時臣挑発して蟲爺焼いてもらおうぜ!!作戦の際に、彼女は更に詳しい事情を知り、次は夫に向けて殺気さえ放ちつつ、それはもう素晴らしくはっちゃけたのだった。
──そうして、今。
幸せそうな、娘がいる。
雁夜君と並んで、幸せそうに、笑っている。
ああ、桜。
私を今でも母と呼んでくれる貴女。
幸せに、幸せになってほしい。
「………雁夜君」
「葵さん」
私の声はもう、涙声で。
気を抜けば涙が零れそうで。
それを堪えて、祈る様に、願う様に。
「……桜を……お願いします」
雁夜君と桜が、幸せそうに、奇麗な笑みで、私に言う。
「はい。勿論。……桜を産んでくれて、ありがとう。葵さん」
「お母さん……。私を産んでくれて、雁夜さんに逢わせてくれて、ありがとう」
ああ、これはずるい。
二人とも、これ全力で泣かせにきてるわよね?
だから、これは仕方ないの。
娘と、そのお相手の為に泣くなんて、母親としては当然の事だもの。
そうやって、私は二人の所為にしながら。
桜と雁夜君がこれから先、幸せに、幸せに生きていける様に。
祈りながら、願いながら、泣いていた。
作品名:たとえばこんな間桐の話の蛇足の話(後) 作家名:柳野 雫