正しいこと
みえみえの強がりは余計にカッコ悪い。言ってから後悔したけど研磨はわかっているようだった。
もっと落ち着いても親には何も言うつもりがない。叱られたからって泣きつくなんてカッコ悪い。
まして自分は悪くないと今だって思ってる。謝りはしても納得はしていない。意味がわからない。でも、子ども同士で勝手に当番を代わったことはいけなかったらしい、というのはおぼろげにわかっていて、納得には遠くても自分がちっとも悪くないという考えが微かに揺らいでいた。池谷は嘘をついてるんだと思ってたのが勘違いしていただけだと言われたことも、時間が経つにつれて「もしかしたら、そうなのか」と怪しくなってくる。
もし、本当に自分が悪かったなら、余計に親には言いたくなかった。よっぽど悪いことなら黙ってたって先生から連絡されるだろうし、今回はそこまで大事じゃないと思う。
できることなら研磨にも知られたくなかったけど当事者なのだからどうしようもない。情けないところなんか少しも見せたくないのに上手くいかない。
少し落ち着いたつもりで一つ一つ思い出すとまた黒い熱が頭をいっぱいにする。ぐちゃぐちゃしたものを吐き出してしまいたいのに口からも目からも鼻からも出ていかない。出せない。
空気に混ぜて呼吸の度に少しずつ排出するのはとても時間がかかりそうできが遠くなる。アイスの容器をゴミ箱に放り込んで背中を預けたベッドに反り返った。
「あのさ」
頭を傾けて見ても研磨はこちらを見ていなかった。体育座りでまた手を温めながらアイスを溶かしている。
「クロは間違ってないよ」
「……もういいんだよ。一度ごめんって言ったら二度と言ってこないから」
「そうじゃなくて……クロが当番を頼まれた時のことも俺覚えてるよ。クロがちゃんと一回だけって約束したのも。それに、アイツも勘違いじゃないよ。アイツも覚えてるよ」
「勘違いじゃない?」
「うん……だってアイツ、ずっと目を逸らしてクロのこと見なかったのに、俺がちょっと声を出したら睨んできた。早口で焦ってて、嘘つくときの顔だったよ」
ゆっくりだけどしっかり話すので驚いた。ベッドから起き上がったとき足に当たったバレーボールが転がって近くへ行くのを研磨がおっとりした猫みたいな目で追う。
「今の話、先生にしてもいいよ。クロがしてほしかったら、……人と話すの苦手だけど、俺が先生に全部話すよ。………あの先生は俺みたいなヤツの話は真面目に聞かないかもしれないけど」
見た目からして優しそうな人ではないから苦手だろうとは思っていた。でも、そういうことじゃない。
「聞かないって、さっき研磨に話を聞こうとしてただろ?」
首を振って口をへの字にして頭を傾げた。
「多分、俺がなんて言ってもクロに反省しろって言ったと思う。もう考えが決まっちゃってて、俺がそこにいたから一応訊いただけ。前にも別の人を怒ってるの見たけど子どもの話を聞いてすぐしゃべるんだよ。先に言う事を決めたまま一応聞いてるかんじ」
心当たりがあった。言われてみるとそうだ。何かあると話を聞いてくれる人なのに何だかモヤモヤしていた正体はそれだ。
本題を逸れて感心していると珍しくまともにこちらを見据えてもう一度言った。
「ねぇ、クロがしてほしかったら、俺ちゃんと話すよ」
苦手なくせに。見つめ合うのも長く続かずすぐに視線が外された。背中を丸めて大きな目で瞬きする。
ずっと誰より一緒だったのに、研磨がこんなに色んな人のことをよく見ているなんて知らなかった。一度にこんなに喋るのもほとんど見たことがない。一生懸命庇おうとしてくれているのも新鮮だった。驚きのせいか、頭の中の熱が逃げていった。
「研磨」
手招きすると狭い部屋の中を膝で這ってきた。すぐとなりにきた頭を手荒く撫でて寄りかかった。小さい方は思っていたよりしっかりしていた。
「研磨が信じてくれるなら、もうそれでいい」
「クロは間違ったことないよ?」
「うん、それで十分だから無理して他のヤツに話してくれなくていい」
先生に話して研磨が嘘つき扱いされたりしたらそれこそたまらない。研磨の言うとおり、もう先生の中では結論の出ている終わった話だ。蒸し返しても嫌な顔しかされないと思う。
研磨は首を傾げて顔を覗き、それ以上は言わなかった。今までもこうして観察してたんだろう。
そういえば、いつからかはわからないけれど、大事な場面で研磨が無神経なことをしたことがない。いつも邪魔にならない場所にいて黙っている。喋るのが得意じゃないからそうなのだと思っていた。でも、それだけじゃなかったのかもしれない。
間違えないのも正しいのも、本当は自分じゃなく研磨だ。本当のことを見ようとせず自分の答えだけ押し付ける大人と違う。ジッと見つめて正しいことだけ言う研磨の方だ。
正しい研磨が「間違ってない」と言うのだから大丈夫だと思った。間違っている連中の言うことなんかにドス黒く燃え上がっていたものが急速に熱を失って透明になっていく。
静かだった部屋に蝉の声が響いてきた。家の外壁に取り付いているのか、窓を隔てているけど近い。夏の声だ。
だけど、この部屋の中は涼しいから温かな体にひっついていても居心地がいい。
中学では予定通りバレー部に入った。最初は乗り気ではなかった研磨もこじんまりしたバレー部は性に合ったようで楽しそうだった。
きちんとしたチームメイトができていくらか試合ができるようになると研磨は時々鋭いことを言うようになった。チームメイトの苦手にしていること、無自覚に得意なこと、試合相手の弱点。人数もギリギリで決して地力は高くなく、小規模だからと初心者の先生を顧問にあてがわれた弱小チームが勝ちを拾えたのは研磨のおかげだ。いつも勝てたわけじゃないけれど、研磨が重い口を開いて言ったことはいつだって当たっていた。
高校に入るとそれが仇になってやっかまれるようになった。生意気だと言われるのは指摘したことが図星だったからだ。研磨より二つも上のセンパイは研磨の言うことを馬鹿にしたり笑ったりしない。怒る。それが研磨が正しい証拠だった。
三年生が引退して研磨が軸に収まるとギクシャクしていたチームがゆっくりと滑らかに回りだした。研磨が進む方向を示す。精確な一言一言がメンバーの背中を押して全体が動き出す。
研磨は“背骨”で“脳”で“心臓”だ。
今ではチームの。鉄朗にとっては小学生の夏からずっと。細くて温かな体によりかかり続けている。