隘路に
休日に玄関のチャイムがなるのは珍しい。というものの、平日だったとしてもテニス部のメンバーが部活に来るように呼び出すためだったり、月に一度送られてくる実家からの荷物を届けに来る宅配便のお兄さんだったり、数えるほどしかここには人は訪れない。決して非社交的ではない、とは言い切れないが、わざわざ休日に家を訪ねてくる友人がいないのは事実だ。寝ぼけた視界に時計を入れると、プラスチックの針は9時を少し過ぎたところを指している。寝癖のついた髪を申し訳程度に撫でて整え、こみ上げてくる欠伸を殺して玄関の鍵を開けた。
「…どちらさん?」
「なんだ、まだ寝てたのか」
寝ぼけていた頭が一瞬で目覚めた。玄関の先に立っていたのは部員でも宅配便でもない。これが夢でなければ、目の前にいるのは、まぎれもなく、
「久しぶりだな、千歳」
橘桔平だった。
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桔平は持っていた近所のスーパーの袋を俺に押し付けて、あがっていいか?と尋ねながら靴を脱ぎだした。いいかもなにも、もうあがる気じゃないか、とも言えないまま、桔平の足は部屋の床を鳴らす。少し膨らんだスポーツバックのドスンという音。あまりの突然の出来事に気持ちと言葉が追いつかない。とりあえず受け取ったスーパーの袋がひんやりと重いのが、かろうじて幻ではないということを教えてくれる。混乱でぐるぐると思考が回る中、冷蔵庫にその袋の中身を詰めて、普段ほとんど開けることのない食器棚から湯呑みを取り出した。急須はどこにやったのだろうか。
机越しに向かいあい、茶をすする。はあ、と一息つくと、やっと己の中の疑問が口から零れた。
「なんね、突然来て」
茶をすすりながら、部屋の中をじっくり眺めていた桔平は少し不思議そうな顔をしてこちらを見る。
「来ちゃ悪いことでもあるのか?」
「いや、そういうわけじゃなかと。ただ……」
どうしてわざわざ大阪に?そう尋ねると、桔平はまあな、と言葉を濁すようにしてまた湯呑みに口をつける。時計の針の音がやけに響いて聞こえた。
昼には少し早かったが、俺は朝食を食べていなかったし、桔平も夜行バスで着いてすぐこちらに来たと言っていたので朝食を兼ねた昼食を作ることにした。さっき買ってきたスーパーの袋の中身は、どうやらこちらで料理をするつもりで色々買ってきたものらしい。二人分にしては多いな、と思っていると、顔に出ていたのか、晩にも飯は食うだろうと言われた。なるほど。
一人暮らし用の寮なので、台所に男が二人並ぶと非常に窮屈だった。俺はただ調味料はどこにあるだとか、菜箸はどこにあるだとか、横に並んで話すだけで、実際は何もしていなかったけれど。初めて母親の手伝いをする子どもの用にそわそわしながら、桔平が料理をするのを見ていた。桔平は一言もそんな俺を邪魔だとは言わず、淡々と手を動かしていた。
出来上がったのは親子丼だった。ネギが少し多めで、半熟の卵が白米の上で揺れている。手を合わせていただきます、と言い、箸を持った。口に入れてすぐ素直に旨いと思った。
「桔平!うまかね、これ!」
「そうか?」
少し照れた顔で笑いながら、こちらを見た。でもまたすぐに、言葉は途切れる。箸が丼に当たる音がする。不思議な静寂だった。
食べ終わった食器を流しに持っていき、せめて洗い物くらいは、と思い二人分の食器を洗った。静かな空間を背に、水が食器にあたって排水溝に流れていく音の中で、もやもやとした思考が膨らんでは泡のように弾けていく。なんだろう。突然の来訪が嫌なわけではなかった。ただ、手放しで喜べないのも事実だった。突然会いに来たくせに、全く嬉しそうでも、楽しそうでもない親友が不思議だった。それ以上に久々に会った親友を前に、自分も同じような顔をしているのが不思議だった。
洗い物を済ませてリビングに戻ると、桔平は疲れたのか寝てしまっていた。布団にしていたタオルケットをかけて、静かに寝息を立てる親友の顔を見る。ああここは昔のままだとか、ここらへんは変わったのかな、なんて思っていると、いつの間にか自分も眠りの世界におちていった。