ハー・リーズン
デマンダ山脈の山陰に西太洋を臨む美しい街がある。まがまがしい歴史を持つ死者の井戸を挟んで南北に広がる、モウゼスである。
モウゼスの南側にある立派な館の一角で、一人の男が浮かない顔つきで酒をあおっていた。
「ボルカノ様。あまりお酒を召されますと、体に悪いですよ」
師匠である朱鳥術士ボルカノの身を案じた弟子の一人が見かねて諌める。
ボルカノは才子肌の端正な顔をゆがめ、自嘲気味に鼻で笑った。
「ふん。魔王の盾を手に入れられない今となれば、この体などどうなっても構わん」
「まだそのことにこだわっておられるのですか?」
あきれたように弟子は言った。
「勝負に敗れてしまった以上、仕方ないじゃないですか。あの盾のことはきっぱりと忘れて、新たなる術や道具の開発に……」
「忘れろだと?」
怒りをたたえた鋭い目でボルカノは弟子を睨みつけた。
「あの盾の恐ろしいまでの威力を忘れろと言うのか? もう少しで我が手中に入っただろうに、騙されたも同様の手口で横から掻っ攫われたあの盾を」
差し込んだ斜陽が彼の白い頬を赤く染め上げ、ボルカノは怒りに燃え上がっているように見えた。いや、実際に熱を発しているのかもしれない。その証拠に部屋の温度は少し上がったように感じられる。
椅子から立ち上がったボルカノは、両手を頭に当て部屋の中を歩き回った。
「あの井戸の言い伝えをおまえも知っているだろう。死とはそれだけで莫大な力を生み出す。素質も才能も持たない三流の術士が、手っ取り早く力を手に入れるために黒魔術に手を染めるのもそのためだ。その絶好の場所に、あの、魔王の遺品があったのだぞ。あれさえ手に入れられればどれほどの力を得たかと思うと、悔しさで身が引き裂かれる思いだ。それを、忘れろだと?」
「全く、しつこいんだから。ウンディーネさんに、嫌がられるはずだよ」
小さくつぶやいた弟子の独り言さえも耳に入らぬ様子で、ボルカノはなおも言った。
「このおれともあろう男が、あんな若造に欺かれるとは……」
「ご自分の手を汚さずに、他人任せにした報いですよ。ちょっとばかり腕がたちそうだからという理由で、気前よく二千オーラムもの大金を渡しちゃったんですから」
「そうだ、二千オーラムだ。魔が差したとしか思えない……」
やれやれと肩をすくめて弟子は、その場にしゃがみ込んで頭を抱えたボルカノに言った。
「私は、さすがボルカノ様だ。度量の大きい方だ、と感心していたんですよ。その若者たちに、今まで通り術を売ることを許したんですから。なのに――」
ボルカノは屈み込んだまま、腕の隙間から弟子を見上げた。
「ウンディーネ、あいつのせいだ。あの高慢な女が奴らを許したのに、このおれがいつまでも根に持っていると知れたらボルカノ、一生の恥だ」
弟子は天井を仰いでため息をついた。そう思うのなら、もう少し建設的に物事が考えられないのであろうか。
その時、階段を誰かが駆け上がってくる音がし、勢いよく扉が叩かれた。
「ボルカノ様、街で聞いた噂なんですが……。何をしているんですか?」
扉を開けた弟子は、しゃがみ込んでいる術の師匠と、腰に手を当ててあきれ果てている兄弟子を見つめて目を丸くした。
「また、うじうじと考え込んでおられるのですか?」
ボルカノは立ち上がった。
「またとはなんだ、うじうじとはなんだ」
「あ、すみません。それより、面白い噂を聞きつけてきました。例の奴らがバンガードを動かすとかで玄武術士を集め、ウンディーネさんがそれに快く協力するだけでなく、あの方ご自身も奴らと旅を共にするらしいです」
「なんだと?」
ボルカノは目を見開いた。
「バンガードを動かすだと? バンガードといえば、聖王十二将であるヴァッサールが動かしたというあれか? いや、それより、あの女が奴らと共にバンガードに乗るだと?」
感心したように兄弟子がうなずいた。
「さすがウンディーネさんですね。玄武術士だけあって、海のように広い心を持っておられる」
「うるさいっ」
怒鳴りつけたボルカノは顎に手を当てて考え込んだ。
「あの計算高い女が何の見返りもなくそんな親切心を起こすわけがない。……これはなにか裏があるな」
きらりと目を光らせてボルカノは、奥の、もう一つの扉へと向かった。
「あの女の所へ行く」
「あの女というのは、ウンディーネさんですか?」
びっくりした兄弟子がその背中に尋ねるが、返事もなく部屋を出て行くのを見て弟弟子に言った。
「おい、私たちも行こう」
「そうですね。何かあったらいけませんし」