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きみが他の誰かと恋に落ちても

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 謙也さんと『恋人』という関係になってから早一ヶ月。
 ただし恋人同士になったからといって、特に日常生活が何かしらの変化を見せたかといえば、そう言う事は一切ない。普段通り朝起きて、学校近くの交差点で鉢合わせをしてそのまま一緒に登校をし、朝練に参加。
 放課後に部活が無い日は、そのまま一日会わない時だってある。
 昼食を一緒にとる時も偶にあったりもするが、謙也さんは基本的にクラスで仲の良い友人達と騒ぎながら食事をするのが好きらしいので、滅多に無いと言った方がいい。
 まあ俺は食べるスピードも遅いし、あまり気の利いた面白い事がいえないからそれで良いと言えば良いのだけれども。
 
 そういう毎日が寂しくないのかと問われればそれは多分嘘になる。
 普段毒舌家やら生意気やら言われている俺だって普通の人間だ。寂しいと思うそんな弱い部分だって沢山持ち合わせている。
 だけれどもそれ以上に、俺は恐ろしいのだ。
 俺のそういう部分を見て、謙也さんが重荷だと感じてしまう事が、震える位に怖い、のだ。
 
「…光、どないしたん?」
「別に」
 
 放課後のファーストフード店。珍しく部活終了後に寄って行こうと提案した謙也さんに乗っかり、俺は今ここでシェイクのストローを口に運んでいる。目の前のトレーには未だにたくさんのポテトと、半分食べ途中のハンバーガーが載っていた。
 逆に反対側のトレーには既にポテトの一本として残っていない。
 時間を持て余して落ち着かないのか、謙也さんは俺と時折会話する以外は携帯電話をポチポチ触っている。
 
 彼らしい黄色く明るい色をした傷だらけの、携帯電話。
 
「(実は俺も同じやつにこの前機種変をしたんですよ。あんたとは違う俺らしいつまらないシルバーの、色ですけど)」
「光?どした?お腹いっぱい?」
「いや…そうやないです。すんません、何か待たしとって」
「別にええよ。ゆっくり食い。その方が体にええって蔵も言うとったし」
 
 俺の言えなかった言葉に気付く事なく、謙也さんはニカリと笑う。
 その言葉に安心したせいか、あからさまにホッと大きく息を吐いてしまうと、謙也さんは少し驚いたように目を丸くさせて俺を見ていた。そしてプッと吹き出したあと手にしていた携帯電話をトレーの上に置き、空いた手で俺の頭をクシャリと撫でる。
 その優しいその手つきに甘いはずのシェイクが少しだけしょっぱいような気がして、一気にズズッと音を立てて飲み込めば、謙也さんは俺の頬を擦るように撫で上で、「泣きそうやん」と面白そうに笑った。
 
 謙也さんは俺の表情を読み取るのがうまい。ダブルスパートナーだからという事もあるのかもしれないが、同級生や親でさえ気付かない、ほんの一瞬の感情の変化をこの人は読みとってくれる。
 だけれど、俺の変わった携帯電話にはきっと気付いてくれない。
 俺が謙也さん以外の人と昼食を取っている時がある事にも興味を持ってくれないし、帰り道一緒に帰りましょうと誘えなくて、この人の背中を見ながら一人後ろを付いてきている事がある事も気付いてくれない。
 
 わがままだとは思っている。
 これだけ大切に愛してくれる人に対して、「もっと」と望む事は多分傲慢だ。
 俺と謙也さんは結局他人同士で、あと数カ月もすれば、こんな風に一緒に帰りに寄り道する事も、時折泊まりに行くのも、無くなってしまうのだろう。俺の事だって直ぐに『思い出』にしてしまうはずだ。
 謙也さんの人生の歯車には、俺はきっと必要ないのだろう。
 
 この人は渡り鳥のようだ。
 二度と同じ場所には戻らない、そんな自由で飛ぶ事が大好きな渡り鳥。
 
 ボーッとハンバーガーを口にする俺を横目にしながら、謙也さんは俺のトレーに散らばっている冷え切ったポテトを手に取りパクリと口に運ぶ。その表情はどことなくつまらなそうだ。
 
「ポテトって何で冷えるとボソボソになるんやろな」
「…さあ」
「…何やお前、つまらんなあ」
 
 謙也さんはそう言いながらパクリともう一つポテトを口に運び、俺の頬からスッと手を離す。
 暖かい手が離れていくのと同時に、俺の身体がビシリと凍ったように動きを止めた。
 不満げに唇を尖らせる謙也さんの顔が突然グルグルと回り始め、心臓がズキンと大きな鼓動を打つ。それをきっかけにドクドクと早鐘のように心臓が動いて、体中に血液が洪水のように流れていくような感覚が俺の身体に襲いかかった。
 
「…光?」
 
 謙也さん、謙也さん。まだ飛び立たないでください。
 俺はまだトロいし、面白くなんか泣けない、そんなアホやけど、どうか俺をまだ―…。
 
「光、おい!お前、顔真っ青やで!」
「…平気です…」
「平気やあらへんやろ!ほら、トイレ行くで。立てるか?」
 
 謙也さんは俺の目の前に手をスッと差し出す。恐らくトイレまで支えてやる、という彼の無言の意思表示なのだろう。
 俺はそんな彼の優しい手をジィと見つめた後。スッと視線を外して一人フラフラとトイレのある方へと姿勢を向けた。
 
「大丈夫です。一人で、平気ですから…」
「アホか!んなフラフラしといて平気とか嘘もええとこやで。ほら、しっかり掴まっとき」
 
 そう言って謙也さんは俺の肩を自分の方へと引き寄せ、もう片方の手で俺の腰をしっかりと支えた。
 こんなに近い距離で謙也さんを眺めるなんてほぼセックスの時位しかなくて、思わず泣きそうになる。息のかかるような距離の中、思わず逃げ出したくなるが、限界が近い体は言う事を効かない。
 しかし既に夜八時を回り人が少なくなっている店内とはいえど、チラホラ同じ学校の生徒の姿も見受けられる。
 謙也さんの声は人一倍通りやすいことが災いして、彼らの視線は確実にこちらに向けられているのを背中でヒシヒシと感じていた。謙也さんは有名人だ。もちろん全国大会に出場しているテニス部に同じく所属している俺も、学校内ではそれなりに知られてはいる。が、明るく友人も多い謙也さんとは比べ物にならない。白石部長に次いで良く知られている人物だろう。実際、ふと視線を辺りに向ければ、こちらを見て何かをボソボソと話している女子生徒の姿が目に入った。
 
 このまま謙也さんを振り切って、「キモイっすわ」って言ってしまえば、彼女たちの視線を逸らす事が出来るだろう。
 なんだ何時もの事だ、と彼女たちは元の談笑に戻るに違いない。
 だけど俺には出来なかった。でも謙也さんに縋り付く事も出来ない。怖くて怖くて体が震えて、ただ目の前に広がる汚い床を見つめながらトロトロとトイレに向かって歩を進める。
 
 途中で割れた床のタイルに躓き、ポケットの中の携帯電話がはずみで床を滑るようにして落ちて行った。
 それに気付いて足を止めた謙也さんは床に捨てられたかのようにポツンと落ちているそれを拾い上げ、何かに気付いたようにハッと少しだけ顔色を変える。
 気付かれた、んだと思う。今まで気付いてほしかった、でも今は気付いてほしくなかった変化に。
 
「ちょ、謙也さん…」
「なあ光」
 
 謙也さんが身を屈めて俺の耳元に唇を寄せる。
 そして俺にしか聞こえない程度の小さな声で、ボソリと呟いた。
 
「お前、ホンマに俺と居て楽しいか?」