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きみが他の誰かと恋に落ちても

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 謙也さんの顔は強張っていた。
 何時ものようなアホっぽくて朗らかな顔なんかじゃなく、まるで恐ろしいものを見ているかのような表情で、俺を見つめる。
 なんでそんな顔をするのか分からないが、手元に握られている彼と色違いの携帯電話がきつく握りしめられ、キシリという音を発していた。
 何か言おうとして口を開きかけた俺の言葉を遮るようにして、謙也さんは言葉を繋げる。
 
「なあ、俺、ホンマにお前をちゃんと愛せてるか?」
「…俺は…」
「俺アホやねん。走ってばっかで、ゆったり景色を見る余裕もなくて、せやからこうやって同じケータイにお前がこっそり機種変してくれてた事も気付けんかった」
 
 謙也さんは悔しそうに眉を顰めながら、ギリギリと唇をかみしめる。
 どうしてそんな顔をするんですか、と尋ねようにも上手く声が喉を通ってくれない。
 胸にシンシンと積もるように溜まっていき、それは吐き気を催す程に深く、重い。
 
「なあ、ちゃんと言ってくれや」
 
 再び視界がグルグルと回転を始める。
 謙也さんが先程まで優しく撫でてくれた頬に、冷たい汗が一筋流れるのを感じた。
「謙也さんは俺をちゃんと見てくれています」と言えばいいのに、ふと胸に浮かんだ『もっと見て欲しい』というわがままな心に邪魔されて、その言葉もまた胸に積もっていった。
 
 俺は思わず謙也さんの手から自分の携帯電話を奪い去り、床に向かって思いっきり投げつける。
 当然、固いタイルに叩きつけられた携帯電話はガシャンという音と共に真っ二つに割れ、細かい部品が床へと広がって行った。
 
「なっ…光!」
 
 駆け出した俺の腕を掴もうとした謙也さんの手を振り切り、俺はトイレの中へと飛び込む。
 入ったと同時にガチャリと鍵をかけ、そのまま洋式便器に顔を突っ込むようにして、胃の中のものを全部水の中へとぶちまけた。
 その間にも外からザワザワと騒がしい声と、謙也さんがそれに詫びるような声が聞こえてくるが、もう何も聞きたくなんかなかった
 
 耳を塞ぐように両手で覆い、目をギュッと閉じる。
 
「謙也さん、好き、一人にせんといて、寂しい、もっと一緒におって、好き、好きやから、嫌わんといて、気付いて、俺めっちゃ好きやねん、もうあかんねん…」

 言えなかった沢山の言葉は、便器を通じて吐瀉物と共に下水道の中へと落ちていく。
 俺も一緒にこの中へと流せればいいのに。
 こんな気持ち悪くてカッコ悪い俺なんか、謙也さんにはただの重荷にしかならないだろう。
 そんな事を考えながらトイレの床にペシャンと座りこむと、今度は涙が次から次へと溢れ出していった。
 
「謙也さん、けん、やっ…」
 
 二畳ほどの狭いトイレの中で俺は一人、子供のように大声を上げてわんわんと泣いた。
 謙也さんドアを蹴破って俺に会いに来て。俺をギュッて抱きしめて、一日中ずっと傍におってよ。
 みっともない泣き声の中にたくさんの言葉を詰め込み、俺は再び下水道の中にそれを流し込んだ。
 そしてズルリと伸ばした手でガチャンと流水レバーを引き、それと共に流れていく水をキッと睨み上げる。
 
 もう、外からは何も聞こえない。