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ヒズ・リーズン’~ニュー・リーズン~

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 霧のように細かな雨が、静謐な街を白く煙らせている。
 東の玄城は、西側の街の多くに見られるような賑やかな活気はないが、趣のある典雅な街である。
「静かで、落ち着いた街だね」
 客室の前の広い廊下で壁に背を向けてあぐらを組み、刀を研いでいるハリードに、出し抜けにエレンが話し掛けた。トーマスや他の仲間たちは黄京突入の最後の打合せをするために、衛将軍ヤンファンの所に行っている。
 が、一心不乱に作業を続けているハリードは返事をしなかった。刀を研ぐということは精神を研ぎ清めることであり、カムシーンという愛刀を神聖化している彼はその大事な最中に、どうでもいいたわ言などに付き合うつもりはなかった。
 特に、大きな戦いを控えた今は、集中力を高めるためにも一人にしておいて欲しい。
 だがそんなハリードの無言の抵抗にも気づかないのか、無神経なこの少女は椅子に背中を預けてさらに続けた。
「砂漠を越えた向こうにこんな立派な街があったなんて、想像もしなかった」
 小さなため息をつき、ハリードは水に濡らしたカムシーンのぎらりとした刃の角度を確かめながら言った。
「文明は西側だけにあると思っていたのか? バイメイニャンなどの話によると、ロアーヌなどよりもはるかに長い歴史を持つそうだ」
 小うるさい言葉に黙ったままいらいらとするよりも、相手をしたほうが精神上にもいい。それに、この勝気な少女と小気味のよい会話をすることは、ささくれた心がまぎれる様で決して嫌いではない。気を利かしてその時期を見計らってくれれば、そういった会話はもっと好きになれるのだが。
 エレンは軽く眉を上げてハリードを見つめ、それから肩をすくめた。
「そういうわけじゃないけど……。すごく遠くまで来たんだなあと思って」
 ためらうように椅子の下の足をぶらぶらと振って、それからまじめな口調になって言った。
「あの、ありがとうね。こんな所まで来てくれて」
 再び砥石に刃を当てながらあっさりとハリードは言った。
「別におまえのために来たんじゃないさ」
 むっとしたようにエレンは言う。
「分かってるわよ。サラのためってことは。あたしはあの子の姉としてお礼を言ったのよ」
 しばらくハリードは黙って刃を研いでいたが、ふと手を止めて顔を上げ、目の前にある格子造りの扉を見つめた。
「いや、どちらかというと……トーマスのためかもしれない」
「はぁ?」
 エレンはけげんそうに眉をしかめた。
「トーマスって、トムのこと?」
 当たり前のその言葉に、憮然とした表情でハリードはエレンを見た。が、エレンはそんな彼の態度にひるむことなく椅子から滑り降りて、ハリードの隣に膝をつき顔を覗き込む。
「ハリードって、まさか、トムのこと……?」
「ばかか、おまえは」
 あきれたハリードは侮蔑の表情を浮かべたが、すぐに軽く首をかしげた。
「いや違う……おれ自身のために、かな」
 その言葉に、エレンは同じように首をかしげる。
 ハリードはカムシーンを膝の上におき、床に目を落とした。
「死に物狂いでサラの行方を探しているトーマスを見ているのがつらいんだよ。おまえも古い付き合いなら、あいつが必死になって焦りや苛立ちを押さえているのが分かるだろう」
 トーマスはヨハンネスから残酷な真実を告げられても、悲痛な光を一瞬瞳に宿しただけで、すぐさま次に打つ手を探して行動に移した。その姿は、彼をよく知らない者から見れば、淡々とした態度に見えるかもしれない。それほどトーマスは感情を表に表さず、例えるならば、次の戦略を考えている老巧な軍師のような落ち着き払った冷静さに徹していた。
 勇気とは大胆な敢為の行動だけをいうのではない。平静を保つということは勇気の静止的状態であり、真に勇敢である者はうろたえず、動揺せず、常に沈着であるといえるかもしれない。
 しかしハリードの言う通り、彼の本質と、サラへの深い想いを知っている者の目には、その姿はむしろ痛々しく映る。
 戸惑うようにエレンは言った。
「でも……それはあたしも一緒よ。比べるわけじゃないけど、サラを心配する気持ちはあたしだってトムに負けないつもりだよ」
「それはそうだろうが」
 ハリードは苦笑した。
「おまえや他の奴らがサラの心配をしていないとは言っていない。だが、トーマスやおれが大事な人間を失った気持ちとは少し違う気がするんだ」
 ハリードは一度言葉を切って、それから続けた。これを口にすることは、自分の心を切り開いて見せるようで気が重いが、心の整理のためにもあえて言葉にしてみせた。
「一生、守ってみせると自負していた者がいなくなってしまった焦り、悔い、苛立ちを、おれも知っているからな」
 胸に込み上げてくる思いをこらえながら、ハリードはさらに続ける。
「今ごろどうしているだろう、寂しさに泣いているんじゃないか、ひどい目にあっているんじゃないか、怯えながらおれの名を呼んでいるんじゃないか、そう考えると焦燥感で気が狂いそうになる。こんなに苦しいのなら、いっそ目の前で死んでくれていたらあきらめがついたのにと、思えるほどにな。あいつの、何かに必死に耐えているような目を見ているとその気持ちがまざまざと蘇ってくる」
 膝の上のカムシーンを目の前に立て、猛々しくも優美な曲線を持つ刀を見つめながら柄を握る手に力をこめた。
「諸王の都へおれが行ったように、手がかりがある以上、行かずにはいられないという気持ちが痛いほどに分かる」
 鋭い目でハリードはカムシーンを睨みつける。
「だから、サラを見つけ出すことはおれの、あの方へのつぐないというわけだ。今度こそは見つけ出してみせる。そのためには、サラを助け出すためには、この命を捧げても構わないとさえ思っている」
 エレンは目を見開いた。
「あの方への、つぐない……?」
 カムシーンを睨みつけたままハリードは返事をしなかった。
 サラを見つけ出すこととファティーマ姫を見つけ出せなかったことはまったく別問題である。それは分かっている。
 だが、ハリードは命を持ってつぐなうことが、姫への誠意の証になると信じたかった。
 それが、おれ自身のために来た、という理由であった。