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ヒズ・リーズン’~ニュー・リーズン~

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 雨脚が強くなり、雨粒が廊下に降り込んだ。のろのろと立ち上がったエレンは突っかい棒を外し、雨戸を低く下ろした。薄暗くなった廊下に雨戸を打ち付ける激しい雨音だけが響く中で、背を向けたまま静かに尋ねる。
「ハリードにとってさ、姫って何?」
 少しの沈黙の後、ハリードは言った。
「おれにとって、姫は故郷のゲッシアそのものだ。だが、故郷は、もうない」
 失われた黄金の故郷。ゲッシアのトルネードといえば、ナジュ砂漠においてその名を知らぬ者はなく、ゲッシアのために生き、ゲッシアのために死ぬと信じて疑わなかった頃の幸せな日々。未来は輝かしい光に満ち溢れ、その先にはいつもファティーマ姫のいたずらっぽい笑顔があった。
 夢に見る過去は鮮明さを失わず、美しい姫は狂おしいばかりの愛おしさで微笑み、朝の絶望的な光の中で起き抜けの無防備な心は、とっくの昔に全て滅んだという現実をわざわざ思い出す。
 ゲッシア朝の死にぞこないと後ろ指を指され、姫を見つけることもできず、神王教団への復讐も意味をなさぬようになった今、こんなむなしさを抱えたまま生きていくことはもうたくさんだった。
 国を失った負け犬としての惨めな人生に価値を見出すことは、自尊心が許さなかったのだ。
 しかし、犬死はしたくない。だから、サラを助け出し、アビスから世界を守るために戦うことは、名誉ある死を迎える絶好の機会であった。
「そっかあ」
 雨戸に体を向けたままエレンは言った。
 その言葉を聞いてハリードは顔を上げた。あることに気がついたのであった。
 そういえば、勝気で、意地っ張りで、好奇心の強い当歳馬の様に活発なこの少女が旅の共となってから、そのような懐かしい夢や、反対に死んだはずの王や、部下、民から声高に責め立てられるような悪夢を見て夜中に目を覚ますといったことは、昔に比べて少なくなっているということに。
 寂しさが極限にまで達し、ロアーヌの内乱を征した勝利の美酒でさえむなしくなっていた時に、この少女に声をかけたのはほんの気まぐれであった。
 旅の共がいれば少しは気がまぎれるかもしれないと思っただけで、そばにいてくれるのなら誰でもよかった。
 エレンと出会うことと、アビスの脅威を知ることがたまたま同時期だったということもあるかも知れないが、様々な経験の中で過去を振り返る時間は次第に少なくなり、代りに新たな怒りや悲しみ、そうして楽しさや喜びを感じることができるようになっていた。そしてそう感じるためには、この少女がいつのまにか自分にとって不可欠な存在になっていることに改めて気づいたのである。
 ハリードはまじまじと、すらりとしたエレンの後ろ姿を見つめた。
 この少女や、他の仲間たちがいるのなら、このまま傭兵家業を続けていくことも悪くないと思えた。
 悪くないどころか、新たに生き甲斐を見つけてゲッシアのトルネードの名に恥じぬように生きていくことは、本当の意味で名誉を取り戻すことになるのではないか。死に名誉を見出すのは楽だが、自分勝手で卑怯ではないかということに気づいたのだ。
 死ぬために戦うのではない、生きるために戦うのだ。
 どしゃ降りの雨の音を聞きながら、小さく揺れているエレンの髪を見上げるハリードの中に、新たな戦う理由が明瞭に確立された。
「だけど、だけどあたしだってあんたやトムに負けないからね。なんてったって、サラはたった一人のあたしの大事な妹だもん」
 突然、エレンは勢いよく言った。
「……そうだな」
 やさしくハリードはうなずいた。負けん気の強いその口調が、ハリードの決意をさらに固めさせてくれる。
 今度の戦いがアビスとの最後の戦いであり、苦戦を強いられるだろうことは承知している。
 しかし、例えそれで命を失うようなことになっても悔いはなかった。言いかえれば、今度の戦いで勝つことができれば、それは姫や死んだ人々が許してくれたのだと信じようと決めた。
 長い間鬱積していた胸のつかえが下りたようであった。
 褐色の戦士トルネードとして最後にひとあばれしてやるのは、望むところだ。
 ここまで前向きに考えられるようになったのはすべて、エレンのおかげである。ハリードはためらいながらも礼を言おうと、口を開いた。が、 
「トムたち遅いね。ちょっと見てくるよ」
と元気に言い放ったかと思うと、エレンはハリードが返事をする前に体をひるがえして階段へと向かった。
 真後ろにあった椅子はエレンに乱暴に押しのけられて床と擦れて激しくきしむ。
 そのときハリードは気がついた。エレンの声が破綻するようにやけに甲高かったことと、ずっと背中を向けたままだったことを。いつもは、きらきらと輝く瞳でまっすぐ人の目を見て話す少女である。
「おい――」
 だが、まるでつむじ風のようにすばやくエレンは階段を降りていってしまった。
 ため息をつきながらカムシーンを壁に立てかけてハリードは立ち上がり、椅子を元の位置に直す。後で改めて礼を言っても遅くはないだろう。
「相変わらず忙しい奴だ。雨の中を行くこともないだろうに」
 肩をすくめながらそうつぶやくハリードの顔には、久しぶりに晴れやかな笑みが浮かんでいた。

 ──終──