Eile mit Weile.
「無理すると長引きますから、瀬良垣さんからも気をつけるよう、言ってあげて下さいね。」
言葉の途中から、それまで仄かに赤かった蒼葉の顔から一気に血の気が引いたのが見て取れた。
失態だとか、迂闊だとか、今まで縁の無かったそれらの言葉が初めて意味を伴い脳裏を駆け巡る。
よりにもよって、と。
何故このタイミングで、と。
プラチナジェイルから脱出して、どうやら痛みで気を失った俺は、気付いた時には病院のベッドの上に居た。何日か眠っていた事実は、俺が起きたことに慌てふためいてナーススーテションに駆け込んだ蒼葉から、その後色々医者の診察やら検査やらが一通り終わってから漸く聞くことが出来た。
蒼葉は俺が起きるまで、ずっと付いていたらしい。何れ起きる、と医者に言われていたから、すぐ起きると思ったのに、お前ずーっとぐーすか寝てるから、待ってた。
そう言われた瞬間のあのどうしようもない胸の内の感情に意味を持たせるなら、これが日本語で言うところの「情けない」という概念なんだろう。
待ってた、とだけ蒼葉は言ったが、瞳の下に薄くあるくまや、時折ほんの僅かに顰められる眉間や怪我をしている脇腹を庇うような仕草が見えてしまい、もやもやとした感情の波が強くなる。
考え込むように押し黙った俺に、蒼葉は何を勘違いしたのか疲れたんだろ、起きたばっかで色々ごめんな。などと何に対して謝っているのかいまいち分からないことを言いながら、身体に障るから大人しくしてろよ、と年上ぶった物言いで急いで帰っていった。
何も言う隙が無かった。というか何逃げるように居なくなってんだよわけわかんねぇ。
イライラしているのに、ようやくまともに感じ始めた痛みで身体は殆ど動かせず、その日は夕方に蒼葉から『明日バイト終わってから見舞いに行くから、安静にしてろよ。何か欲しいもんある?』というメールがコイルに届くまで気分は降下したままだった。
その後、ほぼ毎日蒼葉は見舞いに来た。自分の診察もあるからな、と笑ってはいたが。
蒼葉と俺の病院での位置づけは「親戚」という扱いになっていた。手続きやらを進める上で、ばあさんの世話にもなったようだが、色々進めていくうちに「身内」という位置づけになってしまっていた。そっちの方が面倒が少なかったみたいだ、とは書類系の記入は全てばあさんに任せた蒼葉の談だ。と言っても、必要な物を集めるのは専ら蒼葉がやったようであった。
蒼葉に任せてしまったことを謝った。物心ついてからそんなことまともにしたことがなかったから、きちんと出来てなかったんだろう。変な顔をされた。怪我人は大人しく人に頼っとけばいーんだよ、と言われたが、アンタだって怪我人だろうに。
その日からは徐々に食事を取って、ある程度怪我が治ってからリハビリを始め、最近漸く一人で歩行移動が出来るようになった。色んな痛みがあるのは面白くもあったが、上手く身体が動かせないことは面白くなかった。
面白くは無かったが、リハビリの状況を蒼葉に話すと何故だかとても嬉しそうに笑うので、まぁこんな不自由だがしょうがないとも思えた。
ある程度怪我も治り痛みも減り、骨も少しずつ固まってきて、退院はまだかと医者に尋ねたらあと2週間か1ヶ月は待て。無理をすれば余計に酷くなると言われ、人間の怪我が意外と面倒だと思い知る。目覚めた直後は怪我の状況から痛みが分からず、そのまま立ち上がろうとしてその場に頽れてしまったので、流石にあの時のような無様な格好は蒼葉の前に晒せない。渋々頷くと、医者は人好きのする(と院内では言われているようだが俺には胡散臭くしか見えない)顔で、もう暫くの辛抱ですから。と当たり障り無いことを言った。
それでも多少行動の制限が取れてきたのと、ある程度検診等も落ち着いて色々考える時間が増えてきたので、昨日漸く蒼葉に触れることが出来た。
完治してはいなかったから、動作諸々でもどかしく思わなかったわけでもないが、あの温かさに触れることが出来たから十分だった。取り合えず、今は。
昨日のことを思い出しながら定時のリハビリを終え、部屋に戻ろうとする俺に理学療法士が声をかけてきた。
「ノイズさん、足と腕の怪我の所、少し筋痛めてませんか?無理して一人でリハビリしたんじゃないですか?」
未だに痛みの細やかな違いまでは分からない俺には、ただ「痛み」としか認識できていない為、別段変わりないとしかに思えなかったが、どうやらリハビリ中の反応や動作で、この理学療法士はそう思い至ったらしい。思い当たることと言えば一つくらいしか浮かばないが、面倒なので頷いておいた。
「無理すると、退院延びますからね~。千里の道も一歩から、ですよ。」
笑って日本の格言を言われた。格言全部を把握しているわけでもなく、そしてこれも面倒なので適当に頷いておいた。
簡易のシャワールームを経由して部屋に戻る途中、蒼葉を見つけた。早過ぎないかと思ったが、そういえばこの前最後の診察がどうのと言っていたから、今日がそうなのかもしれない。
蒼葉は誰かと話しているため俺には気付いていない。どうせ行く先は同じなのだから一緒に行っても良いだろうと、蒼葉に近付いていく。
「ノイズさんの調子ですか?順調ですよ。あ、でも…。」
「何か、あったんですか?」
「昨日、リハビリを頑張りすぎちゃったみたいで。少し足の筋とか痛めてるようなんですよ。」
そんな会話が聞こえる程の距離には来ているのに、蒼葉は俺に気づかない。つか、何か顔赤くね?
近付いてみて分かったが、蒼葉が話しているのはさっきまで俺に付いていた奴だった。
「無理すると長引きますから、瀬良垣さんからも気をつけるよう、言ってあげて下さいね。」
一瞬で、朱を刷いていた蒼葉の頬から血の気が失せたのが見て取れる。
「瀬良垣さん?」
「…あ、いえ、そう…ですね。あいつ、無茶ばっかりするから。」
俺からも、言っておきます。と力なく笑う蒼葉を見て、即座に────しくじった、迂闊だったと思った時には蒼葉の手を取っていた。
「ノイズ!?」
「あら、ノイズさん。」
「…何、今日診察だったっけ?」
取り合えず何とか言葉を出す。つか、此処まで近付いて目線の先に居たのに接触するまで気付かないとかどんだけ注意力無いんだ、コイツ。
「あ、うん。さっき…終わった。」
ほんの一瞬目を合わせた蒼葉がすぐに視線を外した。たったそれだけのことに酷くイラつく。
「それじゃ瀬良垣さん、お大事に。」
それだけ言って、そいつは仕事に戻っていった。
すぐに蒼葉の手を引き移動する。蒼葉が何かを言いかけては辞めるのが背後に感じ取れたが、結局何も言ってこないのでそのまま部屋まで連れて行った。まだ歩行補助に道具を使っているので、部屋までの道のりに時間が掛かり、それが更に機嫌の降下に拍車をかける。
漸く辿り着いた部屋の扉を閉めて蒼葉から手を離すと、明らかに気落ちした様子の声が届く。
「ごめん。」
「…何に対して謝ってんの?」
「さっき、病院の人に言われて、さ…。お前が足とか痛めてるみたいだって。それって昨日の」
「それがどうかした?」
言葉の途中から、それまで仄かに赤かった蒼葉の顔から一気に血の気が引いたのが見て取れた。
失態だとか、迂闊だとか、今まで縁の無かったそれらの言葉が初めて意味を伴い脳裏を駆け巡る。
よりにもよって、と。
何故このタイミングで、と。
プラチナジェイルから脱出して、どうやら痛みで気を失った俺は、気付いた時には病院のベッドの上に居た。何日か眠っていた事実は、俺が起きたことに慌てふためいてナーススーテションに駆け込んだ蒼葉から、その後色々医者の診察やら検査やらが一通り終わってから漸く聞くことが出来た。
蒼葉は俺が起きるまで、ずっと付いていたらしい。何れ起きる、と医者に言われていたから、すぐ起きると思ったのに、お前ずーっとぐーすか寝てるから、待ってた。
そう言われた瞬間のあのどうしようもない胸の内の感情に意味を持たせるなら、これが日本語で言うところの「情けない」という概念なんだろう。
待ってた、とだけ蒼葉は言ったが、瞳の下に薄くあるくまや、時折ほんの僅かに顰められる眉間や怪我をしている脇腹を庇うような仕草が見えてしまい、もやもやとした感情の波が強くなる。
考え込むように押し黙った俺に、蒼葉は何を勘違いしたのか疲れたんだろ、起きたばっかで色々ごめんな。などと何に対して謝っているのかいまいち分からないことを言いながら、身体に障るから大人しくしてろよ、と年上ぶった物言いで急いで帰っていった。
何も言う隙が無かった。というか何逃げるように居なくなってんだよわけわかんねぇ。
イライラしているのに、ようやくまともに感じ始めた痛みで身体は殆ど動かせず、その日は夕方に蒼葉から『明日バイト終わってから見舞いに行くから、安静にしてろよ。何か欲しいもんある?』というメールがコイルに届くまで気分は降下したままだった。
その後、ほぼ毎日蒼葉は見舞いに来た。自分の診察もあるからな、と笑ってはいたが。
蒼葉と俺の病院での位置づけは「親戚」という扱いになっていた。手続きやらを進める上で、ばあさんの世話にもなったようだが、色々進めていくうちに「身内」という位置づけになってしまっていた。そっちの方が面倒が少なかったみたいだ、とは書類系の記入は全てばあさんに任せた蒼葉の談だ。と言っても、必要な物を集めるのは専ら蒼葉がやったようであった。
蒼葉に任せてしまったことを謝った。物心ついてからそんなことまともにしたことがなかったから、きちんと出来てなかったんだろう。変な顔をされた。怪我人は大人しく人に頼っとけばいーんだよ、と言われたが、アンタだって怪我人だろうに。
その日からは徐々に食事を取って、ある程度怪我が治ってからリハビリを始め、最近漸く一人で歩行移動が出来るようになった。色んな痛みがあるのは面白くもあったが、上手く身体が動かせないことは面白くなかった。
面白くは無かったが、リハビリの状況を蒼葉に話すと何故だかとても嬉しそうに笑うので、まぁこんな不自由だがしょうがないとも思えた。
ある程度怪我も治り痛みも減り、骨も少しずつ固まってきて、退院はまだかと医者に尋ねたらあと2週間か1ヶ月は待て。無理をすれば余計に酷くなると言われ、人間の怪我が意外と面倒だと思い知る。目覚めた直後は怪我の状況から痛みが分からず、そのまま立ち上がろうとしてその場に頽れてしまったので、流石にあの時のような無様な格好は蒼葉の前に晒せない。渋々頷くと、医者は人好きのする(と院内では言われているようだが俺には胡散臭くしか見えない)顔で、もう暫くの辛抱ですから。と当たり障り無いことを言った。
それでも多少行動の制限が取れてきたのと、ある程度検診等も落ち着いて色々考える時間が増えてきたので、昨日漸く蒼葉に触れることが出来た。
完治してはいなかったから、動作諸々でもどかしく思わなかったわけでもないが、あの温かさに触れることが出来たから十分だった。取り合えず、今は。
昨日のことを思い出しながら定時のリハビリを終え、部屋に戻ろうとする俺に理学療法士が声をかけてきた。
「ノイズさん、足と腕の怪我の所、少し筋痛めてませんか?無理して一人でリハビリしたんじゃないですか?」
未だに痛みの細やかな違いまでは分からない俺には、ただ「痛み」としか認識できていない為、別段変わりないとしかに思えなかったが、どうやらリハビリ中の反応や動作で、この理学療法士はそう思い至ったらしい。思い当たることと言えば一つくらいしか浮かばないが、面倒なので頷いておいた。
「無理すると、退院延びますからね~。千里の道も一歩から、ですよ。」
笑って日本の格言を言われた。格言全部を把握しているわけでもなく、そしてこれも面倒なので適当に頷いておいた。
簡易のシャワールームを経由して部屋に戻る途中、蒼葉を見つけた。早過ぎないかと思ったが、そういえばこの前最後の診察がどうのと言っていたから、今日がそうなのかもしれない。
蒼葉は誰かと話しているため俺には気付いていない。どうせ行く先は同じなのだから一緒に行っても良いだろうと、蒼葉に近付いていく。
「ノイズさんの調子ですか?順調ですよ。あ、でも…。」
「何か、あったんですか?」
「昨日、リハビリを頑張りすぎちゃったみたいで。少し足の筋とか痛めてるようなんですよ。」
そんな会話が聞こえる程の距離には来ているのに、蒼葉は俺に気づかない。つか、何か顔赤くね?
近付いてみて分かったが、蒼葉が話しているのはさっきまで俺に付いていた奴だった。
「無理すると長引きますから、瀬良垣さんからも気をつけるよう、言ってあげて下さいね。」
一瞬で、朱を刷いていた蒼葉の頬から血の気が失せたのが見て取れる。
「瀬良垣さん?」
「…あ、いえ、そう…ですね。あいつ、無茶ばっかりするから。」
俺からも、言っておきます。と力なく笑う蒼葉を見て、即座に────しくじった、迂闊だったと思った時には蒼葉の手を取っていた。
「ノイズ!?」
「あら、ノイズさん。」
「…何、今日診察だったっけ?」
取り合えず何とか言葉を出す。つか、此処まで近付いて目線の先に居たのに接触するまで気付かないとかどんだけ注意力無いんだ、コイツ。
「あ、うん。さっき…終わった。」
ほんの一瞬目を合わせた蒼葉がすぐに視線を外した。たったそれだけのことに酷くイラつく。
「それじゃ瀬良垣さん、お大事に。」
それだけ言って、そいつは仕事に戻っていった。
すぐに蒼葉の手を引き移動する。蒼葉が何かを言いかけては辞めるのが背後に感じ取れたが、結局何も言ってこないのでそのまま部屋まで連れて行った。まだ歩行補助に道具を使っているので、部屋までの道のりに時間が掛かり、それが更に機嫌の降下に拍車をかける。
漸く辿り着いた部屋の扉を閉めて蒼葉から手を離すと、明らかに気落ちした様子の声が届く。
「ごめん。」
「…何に対して謝ってんの?」
「さっき、病院の人に言われて、さ…。お前が足とか痛めてるみたいだって。それって昨日の」
「それがどうかした?」
作品名:Eile mit Weile. 作家名:杜若 深緋