From dusk
今宵は国王の友人が尋ねてくるというので王宮の人々は慌ただしく立ち働いていた。国をあげての迎賓というわけではなくごく私的な訪問だ。しかし、その友人というのがさすがにただ者とはいかない。
「よく来た。トルネード」
「その呼び方やめてくれないか?」
「何を今さら」
ミカエルは玉座から立ち上がり、苦笑いする友に歩み寄ると握手の代わりに拳を打ち合い、そのまま晩餐へと誘った。
その昔ロアーヌをゴドウィンの内乱から救った英雄の一人、通り名はトルネード、生ける伝説とも称される亡国の元王族。その名に冠を事欠かないハリードは、久々に会うミカエルの和らいだ雰囲気に、結婚が彼を多少丸くしたことを見てとった。
「お幸せなようだ」
「おかげさまで」
燭台の向こうのカタリナは変わらず聡明なふうに銅杯を少し上げて応えた。こちらも以前よりは顔つきが優しくなっていた。
世界がアビスの脅威を退けた後、ハリードは一人、傭兵稼業にも見切りをつけ、世界中を飛び回っていた。そんな彼からミカエルは諸外国の動静を聞き出す。なるほど深い見識を持つ者同士、議論が途切れることはない。カタリナは側で二人の話に耳を傾け、意見を求められた時にだけ応える。宴たけなわというところでだいぶ機嫌のよくなったミカエルはふとカタリナの絵のことを思い出した。
「そういえばカタリナはあの絵を描きあげたのか?」
「え、……ええ、まあ」
唐突な夫の問いに、カタリナは戸惑った。ハリードは何ごとか理解していないようだ。
「いや、わが妻はなかなかいい絵を描くのだ。よかったら見て行くか?」
「殿、いきなり何ですの。ハリードに迷惑ですわ」
「ほう、カタリナ様の絵とは面白そうだ。ぜひ見せて頂きたい」
ハリードは突然のことにも関わらずなかなかのノリだ。カタリナが絵を描くとは知らなかったしミカエルが身内とはいえここまで褒めるのならば、よほどの見応えなのだろう、と踏んでいる。
カタリナが思いの外狼狽しているので二人ともからかい気分がより高まり、意気投合してカタリナのアトリエに向かう。大の男二人をカタリナに止められるはずも無く(実際は止められるのだろうが)彼女も仕方なくついていった。
ミカエルは勢いよくアトリエに入り、「そらっ」とカンバスにかけられた布を大仰にとりはらう。カタリナは諦めたように首を横に振って、うなだれた。
カンバスには、盛大な篝火に照らされた、一人の女性が描かれていた。少し微笑み、長い睫毛に縁取られたまぶたは伏せられているけれど、その奥の瞳はこちらを見つめている。宵闇と篝火、白い肌と踏みしだかれた葡萄の紫とのコントラストが絶妙だった。
「おお、よい出来だ」
ミカエルの賞賛には曖昧に微笑んで返すも、カタリナはハリードの様子を気にしていた。案の定、彼は絵を見つめて立ち尽くしている。表情に驚きを隠す様子も無かった。
正直言って自分でも、この絵は自信作だ。だからこそハリードには見せるべきではないと思った。彼がシノンに置きざりにした女性を描いた絵など。
カタリナの視線に気づくと、ハリードは気を取り直して絵を褒めた。
「素晴らしい絵だ。またこの豊穣の女神を拝めるとは思っていなかったよ」
「えっ?」
口元を手で抑え、思ったことを言葉にするのは止した。ハリードもうっかり一言、こぼしてしまったのを仕方無さそうに微笑んだからだ。
カタリナは自分の描いた絵を、熱いものをたたえた瞳で見つめた。
この視線の先にはもしや……そう思うとカタリナの胸に高揚感が迫った。ひょっとして私は、この世のどれとも代え難い貴重な瞬間を、このカンバスに切り取ってしまったのではないか——?
「やっと、わかりました」
彼女があの夜、あんなにも美しかった理由が。
篝火照らす、シノンの葡萄畑でどんな物語が織りなされていたのかが——