白夜
春。桜の下にて君を仰ぎ見。
夏。照り付ける陽の下で君と笑い。
秋。舞い散る紅葉を眺めて君を待ち。
冬。深雪の彼方へと君は消え往く。
【 白 夜 】
ギラギラと容赦無く降り注ぐ夏の日差しはいっそ凶器である。
肌を刺す痛みすら錯覚するほど。地球温暖化は一切の躊躇の欠片さえ見せない様子で進行中だ。
それは何所へ行っても同じなのだろうと彼は思った。
体感温度のことを考えれば、密度の濃い東京の土地よりも、適度な人の距離を保つことが可能なここ秋田の方がずっと過ごし易い。
時折吹き抜ける爽やかな風が、無粋なコンクリートの壁に遮られることも、陽光を吸収したコンクリートから立ち上る熱を孕むこともなく、髪を浚って遊ばせる様は酷く心地良い。
しかしながら太陽だけは変わらない。いつだってそこにあり、等しく降り注ぐ。
「暑ぃーっ・・・」
彼、紫原敦は、自身を照らす太陽光を眩しげに眇め、その大きな掌で影を作った。
高校部活の、帰宅の道中であった。
本日は顧問の教師の事情があり、丸1日掛かりで行う筈であった練習が午前中で切り上げられた。
午後を少し過ぎた所で各々解散と放り出された所で、紫原には誰かと午後の時間を共有する気も、況してや好みもしないバスケットボールの自主練習に励む気など更々有りはしなかった。
故に、帰り道、コンビニと陽泉近くに店を構えるスーパーを梯子してお菓子とアイスを調達して帰路に着く。夏の暑さに抗おうとアイス3本目を消化中であるのだが。
如何せん、暑い。つい数分前に購入したアイスキャンディーは既に汗を掻き始めている。この調子ではキャンディーがジュースになるのも時間の問題だ。
はて、どうしてだろうと紫原は思った。
昨年の夏は、東京に居た夏は、ここよりも暑かった筈なのに。
アイスが無駄になることなど終ぞありはしなかったのに。
ぼんやりと思考し首を傾げて漸く、紫原は自身の右隣を見下ろした。
当然ながら、空気しかありはしない。
そのことに、無意味な苛立ちと、空虚さと、妙な現実感を、彼は感じた。
徐に立ち止まる。
巨体から作られる大きな影が、真っ直ぐと伸びていた。
何もない。その空間。
空いたままの誰かの居場所。
「・・・あぁ。」
そうか、と納得して、紫原は再び歩きだした。
このような夏の暑い日は、ありし日を紫原に思い出させる。
いつのことだったのかは、記憶に無い。
今の様に真夏日のことだったのかもしれないし、はたまた真冬の、空気がキンと研ぎ澄まされた凍てつく日のことだったのかもしれない。
だが、夏の、取り分け猛暑などと呼ばれる日は、紫原に蜃気楼を見せる。
空気中の水分が陽光を取り込んで揺らぎ、空間を、日常を歪ませる。
生まれた陽炎が、置いてきた筈の過去を映し出すのだ。
『どうしてそこまで、頑張れるの。』
赤司監修特別強化メニューをこなした、部活の後。
体育館の床とお友達になっていた身体に嵌る、茫洋と煌く薄氷の瞳が紫原を見上げた。
何を考えているのか知れない瞳は、何を思う訳でも無く紫原を見ている。
同じ様に紫原も、特に何を思って発した言葉では無く、つい口を突いて出たものだったので、彼に負けず劣らず無表情だ。
無表情というよりかは、純粋な疑問を抱いて母親に問う子供のような声色だった。
『何がですか。』
『バスケ。』
抑揚の無い声は感情を映し出さない。
もう幾度となく問い掛けて返された問答を、また飽きずに繰り返す。
どうしたって紫原には理解し得ない。
体格も、才覚も、決して高みには届かない彼、黒子テツヤの、その想いの強さが。
『だって黒ちん、バスケ向いてないじゃん。ちっちゃいし、非力だし、運動神経だってそんなに良くないし。』
紫原の言葉に悪意はない。彼自身は事実を述べているのみだ。
他人が耳にしたら顔を顰めるであろう黒子を貶めるその言葉も、黒子自身は顔色変えず、眉1つ動かさず、淡々と受け止めている。
『影が薄いってだけで、ここまで来れちゃったこと、俺は正直、可哀想だと思うし。どうやったって黒ちんは、俺達と同じにはなれない。』
『そうですね。僕は君達には足下にも及ばないです。』
『青ちんもさぁ、少しは考えてあげれば良いじゃん。凡才が天才の傍に居たって、上手くなれる訳じゃないんだしさ。』
述べてから、紫原はそこで、黒子の顔を見た。
少しは傷付いただろうか、と思ったのだが、黒子はやはり、表情筋を動かさない。
黒子という少年は、自身を正しく理解していた。
『確かにそうですが、僕が青峰君の傍にあり友人であり続けることと、ソレは関係ありませんよ。』
『黒ちん、影でなんて言われてるか知ってる?俺達に媚売ったとか、監督に賄賂贈ったとか。この間色仕掛けで、とか聞いたけど。思わず笑っちゃったけどね。』
影が薄く、一見するとスポーツ選手として不向きな風貌で、その実力も浮かばない。
そのような人間が、全国中学バスケットボール界の頂点部位に座す伝統ある、部員数100名を優に超えるバスケットボール部の、一軍なのだ。
誹謗中傷など珍しいことではない。
吊るし上げられそうになったことも1度や2度では無い。
そうした悪意や妬みを向けられようとも、黒子が涼しい顔でやり過しているように見えることも彼らは気に食わないのだろう。
内心の黒子の考えなど、口にされない限り分からない。
別段紫原は知りたいと思ったこともない。紫原は、他人の機微を読み取るということを昔から諦めている。
黒子が暴力沙汰に遭いそうになっても、常に共に居る青峰を筆頭としたキセキの世代が誰かしら黒子を助けて来た。
故に、紫原はそれを傍観していただけで、黒子に手を貸そうと思ったことはない。
『黒ちんが、もの凄い努力して、色んなものを乗り越えて今俺達と同じ場所に立っているってことは、俺達皆よく知ってる。』
影の薄さ、その一点のみで重宝された黒子というプレイヤーが、その特性を生かして一軍で生き残る為に、彼はそれこそ死に物狂いで下から這い上がって来た。
時には体力の無さが際立つ彼には酷なのではないかと思う程、紫原達がこなすよりも更に多い練習メニューを課され、その全てを吐きながら、倒れながら、赤司の鬼のような所業に応えて来たということ。
勝利というそのただ1つの椅子を絶対とする赤司に利用されていると知っていて猶、自分を犠牲にして光を輝かし続けていること。
全ては、バスケットボールを愛しているが故に。
『だから、分かんない。何でそこまでバスケに力入れられんの。』
いっそ疎ましく思ってもいるからこそ、紫原は自らが遠ざけたいと願うバスケットボールに、縋るという言葉がぴったりな程、心を時間を傾けていることが、理解出来ないのだ。
黒子の努力の過程を知っている。だが、共感は難しい。
黒子の、キセキを支えようというその献身的な、自己犠牲的な考えを、否定したいと思う程には。
黒子の思慮深い双眸が、紫原を見詰めている。