英雄と乙女
ロアーヌの地に行けばあの女に会えることは分かっている。だがそれは、主君であるロアーヌ侯爵に誇らしげに仕えている彼女の姿を見ることだ。別の男のそばで幸せそうにしている彼女など、死んでも見たくない。
「どうしたらいいんだ……」
頭を抱えたブラックの肩を誰かが叩いた。さっきの老人が戻ってきたのだろうか。
「向こうに行けって言うのが分からねえのかっ」
怒鳴り声とともに振り返ったブラックは呆然と見上げた。片時も忘れたことのない凛々しい女の姿がそこにある。
「カタリナ……か?」
会いたさのあまりに、幻影を見ているのかと思った。だが目の前のカタリナは面白がるように、ブラックの言葉にうなずいて言った。
「やっぱりここに来ていたのね。探す手間が省けたわ」
「ど、どうしてここに……」
カタリナは桟橋に膝をつき、ブラックの目の位置に顔を合わせる。
「決まっているでしょう。残りの魔貴族を倒すためよ」
「で、でもおまえはもう主人の元に帰ったんじゃなかったのか?」
「帰ったわ」
カタリナはうなずいた。
「命令を受けた以上、復命をするのは当然の義務でしょう? 大事なマスカレイドを他の者に託すわけにもいかないし」
「しかし――」
カタリナはその言葉を遮って、言った。
「魔貴族の一人ビューネィが町に攻めてきて、ロアーヌが大変な状況なの。何とか、防ぐことはできたのだけれど、またいつ攻めてくるか分からない。そんなとき、ここから北のルーブ山脈に巨竜ドーラの子供がいる情報をつかんだの。一緒に行ってもらえないかしら」
「ロアーヌ? なら、おまえの主人と共に戦えばいいじゃねえか」
再び会えた動揺のあまり、ブラックは心にもないことを口にしていた。カタリナは小首を傾げる。
「……あの方は一国の領主だから、そうそう国を空けてはいられないわ。それに、奴らと戦うためにはあなたのその力が必要なのを分かっているはずよ。それに、もう一つ」
カタリナはまっすぐブラックの顔を見つめた。
愛しい女に、息も触れるほどの距離からまっすぐ見つめられて、ブラックはがらにもなくうろたえた。
「な、なんだよ」
だが、上ずっていたためか、やけにかすれた声だった。
カタリナはからかうように目だけで笑った。
「まだ分からない? それとも私に全部言わせる気?」
言葉を失ったブラックは、ただカタリナの美しい瞳を見つめるだけだった。その瞳は、あなたを一人になどしない、と告げている。
「カタリナ……」
腕を伸ばして抱き寄せようとしたとき、
「ずるいよぉ、カタリナってば。船が岸に近づいた途端、荷物も持たないであっという間に行っちゃうんだから」
「ブラックは見つかったか? しかし、暑い所だなあ。とりあえず宿で冷たいもんでも飲もうぜ」
と、船着き場の方から大声が聞こえた。
「なんだ、またあいつらもいるのか」
顔を上げたブラックの目にふくれっつらのシャーベットと、ウォードが映った。その後ろに荷物を抱えた詩人と、水着姿の女の子たちを振り返っているポールの姿も見える。
「ちょっと、ポールもこの荷物を持つのを手伝ってくださいよ」
「あ? ああ、それより右の子、ニーナに似てかわいくないか?」
うんざりした表情のブラックに、カタリナは片目をつぶって微笑む。
「一人よりも二人、二人よりも大勢よ」
舌打ちしたブラックは、カタリナの頬を指ではじいた。
「相変わらず、気のきかねえ女だ」
そう言って仲間を迎えるために立ち上がったが、唇を強く噛み締めなければ喜びで笑みがこぼれてしまうのを押さえることはできそうになかった。
──終──