だれが駒鳥ころしたの?
黒い羽織の袖がはたはたと鳴っている。
海から吹いてくる向かい風が強い。
桂の長い髪が顔の横で広がり舞っていた。
空は曇っていて、あたりは薄暗い空気に覆われている。
いつもはこの浜辺でよく見かける遊ぶ子供たちの姿はどこにもない。
そういえば、と桂は思い出す。
幼い頃のこと。
浜辺に行って遊ぼう、と同い年の友達に誘われた。
けれど、桂は断った。桂家の当主としての仕事があったから。
つまんねーの、そう言って友達は他の者と一緒に去った。
貧しければ自分たちぐらいの子供だって働いている、遊んでなんかいない。桂は胸の中でひそかに反論した。今から思えば、それはただの言い訳だが。無邪気に遊びたい時に遊べる友達がうらやましかったのだ。いくら背伸びをして当主の顔を作ってみても、大人たちからは侮られていた。
同年代の友達と陽が暮れるまで遊ぶことはゆるされず、大人には見下され仲間として扱ってもらえなかった。
子供の世界と大人の世界、どちらにも桂の居場所はなかった。
桂家に養子に入り、その一年後には養父、養母を相次いで亡くして家督を継いだのだから、仕方ない。
今の自分はどうなのだろうかと思う。
十二になった自分はどうなのだろうか。
幼いとはもう言えない歳で、しかしまだ大人とも言えない年齢で。
握りしめた拳は昔と比べれば大きいが、大人のそれと比べれば儚いぐらい小さい。
ふと。
背後で、ざくざくと砂浜を歩く足音がした。
桂はふり返る。
「よォ」
銀時がいた。
だから、桂は身体ごと銀時のほうを向く。
すると、銀時はニィと笑う。
「ヅラ、なんだその着物、似合わねェ」
その台詞の間に距離が詰まった。
ヅラじゃない、桂だ。
いつもの台詞が桂の喉元まであがってきた。
けれど、それは口から発せられることなく、身体の奥底に沈んでいった。
桂は眼を伏せる。
つかの間、どちらも黙っていた。
ひゅるひゅるという風の音と、桂の背後から聞こえてくる波の音が世界に満ちた。
そして。
「……親父が死んだって?」
銀時が沈黙を破った。
「ああ」
「なあ、こーゆー時ってなんつったらいいんだ?」
「ご愁傷様です、だろう」
「んじゃ、ご愁傷様です」
「そんなふうに軽く言うのはよせ。失礼だ」
「別にいいじゃねーか、ただの決まり文句だろ。みんながみんな同じ台詞言ってんだから、たまには軽く言うヤツがいたほうがおもしれェだろーが」
「そういう問題ではない」
だが、ある意味、銀時の言ったことは当たっていると思う。
ただの決まり文句なのだ。
「……で、本当はなんつったらいいんだ?」
「は?」
「決まり文句じゃねェやつ。こーゆー時に、なんつったらいいのか、俺ァ、わからねェんだよ」
銀時はぶっきらぼうに言った。
なるほど、そういう意味か、と桂は納得した。
「決まり文句じゃないやつは、自分で考えるしかないだろう」
そう銀時に伝えた。
それ以外は答えようのない問いかけだった。
もしこう言ってほしいと伝え、それをそのまま言われたとしても、嬉しくはない。
だから、答えは自分で見つけてくれないと困る。
「あー、なんか、ますますわからねェ」
銀時は銀髪を掻きむしった。
その様子を見て、桂はふっと口元をかすかに緩める。
特別な言葉はいらないような気がした。こんなふうにいつものようなやりとりをしているだけで充分な気がした。
「……銀時、お前、親は健在か?」
ふいにそんな台詞が桂の口から出ていた。
言ってしまってから、マズかったかな、と思った。
銀時はどこの家の者なのか、どこからやってきたのか、わからない。
そして、松陽先生が拾って家に住まわせるようになる前のことは、なぜだか聞いてはいけないような気がしていた。それなのに、今、つい聞いてしまった。
「んー……」
銀時はうなった。その表情はめずらしく厳しく堅い。
やはり聞いてはいけないことだったのだろうか。
「いや、まあ、貴様の親のことなどどうでもいい話だからな」
わざと素っ気なく言って、桂は話を終わらせようとした。
しかし。
「殺した」
耳障りの悪い言葉が聞こえてきた。
「俺が、殺した」
はっきりと銀時が告げた。
桂は眼を見張り、銀時を凝視する。
すると、銀時は右手をあげ、その拳で軽く自分の胸を叩いた。
「この中のことだけどな」
つまり、心の中で殺しただけで、実際に親に手をかけたというわけではないということ。
桂は少しほっとした。
だが、心の中でのことにしろ、かなり物騒な話だ。
だから、桂は銀時が詳しく話してくれるのを待った。
けれども、銀時も黙っていた。
そんなふうに二人とも無言だと、また、あたりは風と波の音ばかりになる。
お互い、じっと相手を見て立ちつくしていた。
しかし、やがて銀時が眼を逸らした。その視線は砂浜に落ちたかと思うと、すぐにあがってきて、桂とは眼を合わせないまま真横を向いた。遠くを眺める銀時の癖のある髪が風に揺れている。
「……捨てられたんだ」
ボソッと独り言のように銀時は言った。
桂は眼を細める。
捨てられたのは誰か、などとは聞かない。その問いの答えはあまりにも明白だったから。
「優しくされた記憶なんざ、かけらもねェ。だがな、捨てられた後もなんでか胸ん中にいやがる。それが邪魔で邪魔でしょうがなかった」
銀時の横顔は厳しいものになる。
「だから、殺した」
まるで研ぎ澄まされた刃のようだった。
桂はただただじっと銀時を見ていた。
海からの風は相変わらず強く、桂の黒髪を勢いよく吹きあげて視界へと乱入させる。
ふいに、銀時の表情が緩んだ。
「……けど、特になんにも思わなかった。かなしくも、なにも、なかった」
そう淡々とした口調で話す。
「あの時」
その視線は遠くに向けられ、桂のほうに投げかけられることはないままで。
そして、告げる。
「俺も殺されちまってたんだろうなァ」
それは。
それは、つまり、同じように心の中のこと。
いや、そうであってそうではなく、つまり殺されたのは、銀時の心。
桂は口を一文字にぎゅっと引き結んだ。
胸が、痛かった。
親を亡くした自分と、心の中のこととはいえ親を殺した銀時。どちらのほうがつらいかなんて比べようもないし、比べることは無意味だ。親を失ったという点では同じだが、だからといって、お前の気持ちはわかるなどと簡単に言えやしない。だがそれでも、親を心の中で殺さずにはいられなかった銀時の気持ちは理解できるし、それを伝えてやりたいとも思う。
けれども。
「……それは嘘だな」
逡巡した挙げ句に口から出てきたのはまったく考えもしなかった言葉。
銀時がようやく桂のほうを見た。その眼を桂は眼でとらえる。
「なにが、嘘だ」
「お前の言ったことの後半部分のすべてだ」
「なんだと」
「自分の本当の顔は自分では見えぬものだな。お前、自分がどんなにかなしそうな顔をしていたのか知らぬのだろう」
鏡に映せば自分の顔を見ることができるが、それは鏡に映ることを意識して作った顔でしかない。
作品名:だれが駒鳥ころしたの? 作家名:hujio