【亜種】彼岸花
「彼岸花」
伸ばした手が、空を掴む。
見開かれた目に映るのは、燃えるような夕焼けと、愛した男の顔。
『葉は花を思い、花は葉を思う』
「相思花」と呼ばれた花が咲き誇る、夏の終わりのことだった。
「おはようございます」
「おう、おはよう!」
分厚い手がカイトの肩に降り下ろされ、勢いでよろけてしまう。
「何だ、だらしねえな!男なら、もっと食わねえとな!」
「いえ、私は」
人形ですから、と返そうとした時には、相手は調子外れの歌を口ずさみながら、大股で歩き去っていく後だった。
カイトは苦笑しながら肩をさすり、再び歩き出す。
途中、男の妻が赤子を背負いながら、洗濯物を干しているところに出くわした。
「おはようございます。いい天気ですね」
「あら、おはよう。今日も鳥飼さんのところかい?」
「はい」
「あの人も、あんな外れに住まなくたっていいのにねえ。人形遣いだろうと何だろうと、言いたい奴には言わせとけばいいんだよ」
カイトは曖昧に微笑んでから、彼女の夫と行きあったことを話す。
「今朝は、随分機嫌がいいようですね」
「ああ、何だかね、夢に亡くなったお義父さんが出てきてくれたとかで。起きたときは、そりゃあ凄い顔だったわよ」
笑いながら話しているけれど、その声音は暖かかった。
若い頃に仲違いして家を飛び出し、男が戻ってきたのは父親が亡くなったという知らせを受けてから。死に目に会えなかったことをどれほど悔やんでいたか、周囲の者も痛いほど知っている。
「夢の中で、お義父さんに謝ったんだってよ。頭を下げるくらいなら死んだ方がましってなくらい、頑固者のくせにさ。あの人のあんな嬉しそうな顔、あたしは初めて見たよ」
「良かったですね」
「お彼岸だからねえ。お義父さんも顔を見せにきてくれたんだね」
その言葉に、カイトは道沿いに咲き誇る彼岸花に目を遣った。
「そうですね・・・・・・きっと、心配していたのでしょう」
「お義父さんも、生きてた頃は相当な頑固者だったそうだけど、仏様になったら丸くなるもんなんだね」
明るく笑う女に、カイトも笑って頭を下げると、その場を離れる。夢を見ない人形の自分には、きっと会いに来ることはないだろうと思いながら。
カイトの主人である沢木が、妻アオイを亡くして一年になる。
目の前で谷底に転落した妻への自責の念に苦しむ沢木を慰める手だてもなく、カイトは己の無力さに打ちのめされる思いだった。例え夢であってもアオイが現れてくれたら、沢木も少しは救われるだろうかと、当て所もなく考える。
村から外れて、一軒ぽつんと立っているあばら屋に向かったカイトは、軒下で鶏に餌を蒔いている男に声を掛けた。
「変わりはありませんか?」
「ない。毎朝毎朝しつこい奴だな。お前の主人は別にいるだろう」
鳥飼のそっけない言葉を、いつものことと聞き流す。
「貴方の身に何かあれば、困るのは沢木様です。人形の私を直せるのは、この村には貴方だけなのですから」
「別の人形遣いを呼び寄せればいい。仕事を求める者はいくらでもいる」
「しかし、それでは余計な出費になりますから」
鳥飼は顔を上げると、カイトを睨みつけ、
「人形風情が、余計な気を回すな。お前は言いつけられたことを守ればいいのだ」
と、叱りつけた。
これもまたいつものことと、カイトは軽く頭を下げ、その場を立ち去ろうとする。
だが、
「待て」
鳥飼に呼び止められ、訝しげに振り向いた。
「今時分は境界が薄くなっている、気をつけろ。お前は、この地に足をつけて生きている訳ではないからな」
「境界・・・・・・ですか?」
「この世とあの世の境だ。肉を持たぬ作り物のお前等は、境界をすり抜けてしまう。特に、この時期は迎えが来ているからな」
「誰の迎えでしょうか?」
カイトの問いに、鳥飼は首を振り、
「この世に未練を残した者、だ。釣り込まれるなよ」
そう言うと背を向けて、さっさと家に入ってしまう。
カイトは、しばしその場に佇んでいたが、諦めたように身を返した。
伸ばした手が、空を掴む。
見開かれた目に映るのは、燃えるような夕焼けと、愛した男の顔。
『葉は花を思い、花は葉を思う』
「相思花」と呼ばれた花が咲き誇る、夏の終わりのことだった。
「おはようございます」
「おう、おはよう!」
分厚い手がカイトの肩に降り下ろされ、勢いでよろけてしまう。
「何だ、だらしねえな!男なら、もっと食わねえとな!」
「いえ、私は」
人形ですから、と返そうとした時には、相手は調子外れの歌を口ずさみながら、大股で歩き去っていく後だった。
カイトは苦笑しながら肩をさすり、再び歩き出す。
途中、男の妻が赤子を背負いながら、洗濯物を干しているところに出くわした。
「おはようございます。いい天気ですね」
「あら、おはよう。今日も鳥飼さんのところかい?」
「はい」
「あの人も、あんな外れに住まなくたっていいのにねえ。人形遣いだろうと何だろうと、言いたい奴には言わせとけばいいんだよ」
カイトは曖昧に微笑んでから、彼女の夫と行きあったことを話す。
「今朝は、随分機嫌がいいようですね」
「ああ、何だかね、夢に亡くなったお義父さんが出てきてくれたとかで。起きたときは、そりゃあ凄い顔だったわよ」
笑いながら話しているけれど、その声音は暖かかった。
若い頃に仲違いして家を飛び出し、男が戻ってきたのは父親が亡くなったという知らせを受けてから。死に目に会えなかったことをどれほど悔やんでいたか、周囲の者も痛いほど知っている。
「夢の中で、お義父さんに謝ったんだってよ。頭を下げるくらいなら死んだ方がましってなくらい、頑固者のくせにさ。あの人のあんな嬉しそうな顔、あたしは初めて見たよ」
「良かったですね」
「お彼岸だからねえ。お義父さんも顔を見せにきてくれたんだね」
その言葉に、カイトは道沿いに咲き誇る彼岸花に目を遣った。
「そうですね・・・・・・きっと、心配していたのでしょう」
「お義父さんも、生きてた頃は相当な頑固者だったそうだけど、仏様になったら丸くなるもんなんだね」
明るく笑う女に、カイトも笑って頭を下げると、その場を離れる。夢を見ない人形の自分には、きっと会いに来ることはないだろうと思いながら。
カイトの主人である沢木が、妻アオイを亡くして一年になる。
目の前で谷底に転落した妻への自責の念に苦しむ沢木を慰める手だてもなく、カイトは己の無力さに打ちのめされる思いだった。例え夢であってもアオイが現れてくれたら、沢木も少しは救われるだろうかと、当て所もなく考える。
村から外れて、一軒ぽつんと立っているあばら屋に向かったカイトは、軒下で鶏に餌を蒔いている男に声を掛けた。
「変わりはありませんか?」
「ない。毎朝毎朝しつこい奴だな。お前の主人は別にいるだろう」
鳥飼のそっけない言葉を、いつものことと聞き流す。
「貴方の身に何かあれば、困るのは沢木様です。人形の私を直せるのは、この村には貴方だけなのですから」
「別の人形遣いを呼び寄せればいい。仕事を求める者はいくらでもいる」
「しかし、それでは余計な出費になりますから」
鳥飼は顔を上げると、カイトを睨みつけ、
「人形風情が、余計な気を回すな。お前は言いつけられたことを守ればいいのだ」
と、叱りつけた。
これもまたいつものことと、カイトは軽く頭を下げ、その場を立ち去ろうとする。
だが、
「待て」
鳥飼に呼び止められ、訝しげに振り向いた。
「今時分は境界が薄くなっている、気をつけろ。お前は、この地に足をつけて生きている訳ではないからな」
「境界・・・・・・ですか?」
「この世とあの世の境だ。肉を持たぬ作り物のお前等は、境界をすり抜けてしまう。特に、この時期は迎えが来ているからな」
「誰の迎えでしょうか?」
カイトの問いに、鳥飼は首を振り、
「この世に未練を残した者、だ。釣り込まれるなよ」
そう言うと背を向けて、さっさと家に入ってしまう。
カイトは、しばしその場に佇んでいたが、諦めたように身を返した。