二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

白昼堂々

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
「さあ、明日から楽しい春休みだ!」
 泥だらけになった体で小平太が部屋に飛び込むと、中ではすでに装束から着替え終えた長次が黙々と荷造りをしていた。隣には真新しい本が二冊積まれているが、後はそれを持てば終わりといった風情である。小平太も長次も同学年の中では極端に自身の持ち物が少なかったので、休暇中のこの部屋は、言われなければ人が住んでいるとは誰も気付けないほどに何もない。小平太には、ここを出て行く時のために、などという考えは特になかったが、長次の方はどうだか分からない。
 彼の荷物をのぞき込めば、部屋に入る前に申し訳程度に洗った顔から本の上へと水滴が落ちた。それを見た長次が眉をしかめたので、小平太はそれ以上の干渉を止め、板張りの床の上に大の字になって寝転がった。そうしていると、伝わってくる振動が体全体に広がり、まだずっと幼い頃、母親に優しく背を叩いて寝かしつけてもらった事を思い出す。そのまま、うとうとと寝てしまおうかと思った矢先、長次が何かを言ったので小平太は慌てて起き上がった。
「え、何?何て言ったの、今」
「…早く用意をしなければ、帰る頃には夜中になってしまう、と言った」
 そう言われて周りをぐるりと見渡してみれば、部屋に差し込む太陽の光は、裏山を駆け回った時よりも濃い色をしていた。長次もすでに荷物を背負い、そのままいつでも出られるといった格好をしている。
「もう帰ってしまうのか?」
 そう尋ねてみると、うっとおしげにしながらも首が縦に振られた。長次の住む村までは、まだ少しここでゆっくりしても彼の足なら十分、日暮れまでには辿り着けるはずだった、平素ならば。一ヶ月ほど前の授業で酷く痛めてしまった長次の足首はまだ熱を持っているらしく、最近では松葉杖は要らなくなったものの、右足を庇うようにして歩かなければならない。体が動かず、歯がゆい思いをするなんて、どれほど自身に無茶を強いても怪我すらしない小平太には全くもって未知の話だったが、ここ数日間、近くで見続けてきた長次は、全ての感情をいつも以上に持て余しているように見えていた。精悍な横顔はまるで一人前の大人だったが、今の彼にはどことなく、何をしでかすか分からない危うさもある事を、小平太は本能的に感じていたのかも知れない。
「あのさ、長次は、」
 小平太が何かを言おうとしたその拍子、外がやたらに騒がしくなった。二人が同時にそちらを向くと、戸が閉まっているので見えはしないが、友人たちのがなり声やすすり泣くような声がした。
 明日から春休みなのだ。それは同時に、誰かとの別離でもある。例えば仲の良かった六年生の先輩や、はたまた、何らかの事情でここを去らねばならなくなった同輩たちとの。外の様子では、最高学年へ上がる前に離脱する者と最後の挨拶でも交わしているのだろう。向こうを見透かすかのように、扉を見つめて小平太がじっと聞き耳を立てていると、長次が小さく、半分苛立ったように名前を呼んだ。
「…小平太」
「あ、…ああ、ごめん。もう用意する」
 ようやく動き始めた小平太の後ろで、長次が溜め息を吐いたのが聞こえた。部屋の中には小平太の私物は確かに少なかったが、本来なら返却しておかなければならないはずの教科書や、割れたバレーボールが二、三個出てきたりと、なかなかに捗らない。
 焦れた小平太が押入に上半身を突っ込み、奥にある物を引きずり出そうとしていると、肘が何かに当たって物が倒れる音がした。そこから先は長次の領域であったので、慌てて音がした方を向けば、どうやら幾つか積んであった箱を崩してしまったらしい。
「うわあ、すまん!今、片付けるから!!」
 怒られる前にそう言って、恐らく一番上に置かれていただろう箱を手に取る。その箱は小平太にも見覚えがあった。長次がこれまでずっと、一番大事にしている本を入れていた箱だった。どんな内容であるかは聞いた事もないし、ちらりと表紙を見ただけでは覚えられるものでもなかったけれど、長次は時折、確認するかのようにその本を開き、そしてまたこの箱の仕舞っていたのだった。だからといって、彼はその本を実家に持って帰った事はなかったはずだ。この押入がまるで強固な砦とでも思っているかのように、長次はその本と箱をここに置いていたのに。それなのに、小平太が今手にしている箱は、本が入っているにしては余りにも軽い。そっと開けてみると、中はやはり空だった。不審に思い、勝手に見た事を怒られる覚悟で、小平太は自分の後ろにいる長次に声をかける。
「なあ、この箱の中の本って、」
 言いながら振り返ると、部屋には自分以外、誰もいなかった。いつの間にか閉まっていたはずの扉は開いて、息を吸えば春らしい陽気が胸に広がるようだ。途端に小平太は泣きたくなった。今の長次の足ならばどんなに頑張っても小平太が追いつけない訳がないというのに、彼はそれをせず、ただただ泣きたくなる衝動ばかりを抑えつけていた。
 もう四回もこの時期を過ごしてきた小平太には、なんとなく分かっていたのだ。先ほどの友人たちのように別れを惜しませるでもなく、何も言わずにそっと去っていく者だっているという事を。足を痛めてからの長次は、ずっと何かを考えていた。今になって考えれば、彼はきっと大きな決断を迫られていたのだろう。長次の足が果たして一体どのような状況にあり、治るまでにどれほどかかるのか、もしくは治る事はないのか。小平太はそれを知ろうともせずに、治る事を疑わなかった自分を恨んだ。
「だって、…だって、またすぐに一緒に鍛錬出来るって、遊べるって、そう思ってたから……」
 誰もいない部屋は小平太に何も教えてはくれなかったが、手に持った箱の重さが全ての答えであるかのように思えた。我慢していたはずの一粒が目からこぼれ落ちた後は次から次へと涙は溢れ、仕舞に小平太は手の中の箱を抱きしめ、大声を上げて泣いた。何故自分がここまで泣いているのか、それすらよく分からないくらいに悲しかったのだ。それなのに。


作品名:白昼堂々 作家名:柚原ミツ子