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夢轍/[I] 始まりの黒、鉄の街、ジレーザ1

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 亀車に揺られて三日目。一定間隔の揺れが収まるや、フレック伍長が「着いたぞ」と中腰で立ち上がる。ごう、という音と共に風雪が亀車の中に舞い込んで来る。窮屈な車内の中でそれでもぶらぶらと脚を動かし、山を越え麓に差し掛かった昨日は雪の中で簡易テントの設営までしていたから脚は動く。「軍人になるなら、これも訓練のうちだと思え」雪上での行軍或いは戦闘を想定するのは、このフェンデルでは当たり前の事だった。
 暗い車内に差し込んでくる白い雪とつめたい風、蒸気音、鉄と嗅いだ事もないねっとりとした臭いにまぎれ、潮の匂いもする。ここはもう、貧しいあのベラニックの村ではないことを確認するように、カーツは顔だけを入り口からまず、覗かせた。とたんに耳を叩くような蒸気音と鉄のぶつかり合う音。鉄と重油、蒸気に彩られた灰色の街ザヴェート。カーツが初めて認識したフェンデル首都は、蒸気と鉄が喧嘩するかのように互いに鳴り響き不協和音を奏でる騒がしさだった。

 眩暈がする。そう、感覚しているだけではなく実際にくらくらと目が回っていた。それでも颯爽と先を行くフレック伍長とはぐれてしまっては、自分に行き場などはないのだ。土の色が全く見えないほどに敷き詰められた石畳、そこに杭のように突き刺さり道を形成している鉄のパイプ、隙間なく灰色の地面から生えている同じ色のくすんだ建物は、住居なのだろうか。それにしては故郷ベラニックのそれよりも生活感は感じられない。建物も地面も何もかもがうっすらと雪化粧していても、白は黒と重力に押しつぶされて全体的に灰色に街は沈んでいるように見えた。故郷クとは装いは大分違う、ここの景色は、とても重たい。
 それが、鉄の匂いに混じる油の臭いのせいなのだとカーツが気付いたのは、工場区画と書かれた看板の先に転がる大きな缶とその周囲に散らばる黒色タール状のものを目にしたからだった。ベラニックでは貴重品で、手に入れるにはストラテイムの角が三つほど必要だった。それが無造作にああして在るというだけでも、この場所がフェンデルの中心であるという実感を覚え、カーツは我知らず身震いをしていた。


 いいか、兵隊と一口に言ったって色々ある。とはいっても、お前みたいな子供に選ぶ権利も選べる知識もない。だから、俺達先達がいわゆる適性検査っていうのをやる。簡単な試験だ、フェンデル軍の人間は皆受けている。そいつで、軍部での凡その将来が決まるって寸法だ。何、そう構えるこたぁない。偉大なる総統様のお力添えをしたいと願う少年兵には、十分な寝床も食い物も、工場勤めよりもよっぽど沢山の銀も宛がわれるんだ。お前くらいの年頃の子供だって大勢いる。
 何でかって?そいつに関してはお前の方が良く知ってるだろう。ああ、そうだ、貧乏人は兵隊になるしかない。この国は戦をしなきゃ生きてはいけない国だ。そうじゃなけりゃ飢えて死ぬか凍えて死ぬか。どっちにしたってその先にあるのはドン詰まりの人生さ。ああ、そら、あれが政府塔だ。始めて見るだろう。どうだ、あのでっかい空を突き刺すような塔、あれこそこの国の機関部、総統閣下のおわす場所ジレーザ。まるで忌々しい灰色の空まで支配している、そういう有様に見えるだろう。

 肌に容赦なく吹き付けてくる風雪で、眉毛や睫の先まで凍ってしまうようだった。だが、そんな思わず目を閉じたくなるような寒さの中で、伍長の独り言染みた長い解説を流しながらカーツは目の前の真っ黒い建物にじっと双眸を向けていた。ジレーザ。口の中で初めて聞く言葉を転がしながら、その高く聳える鉄塔を見上げる。どこまでも、薄灰色の雪空に突き刺さる一本の楔のように伸びる鋼鉄の建物――国の機関部、とフレックは言った。フェンデルという国の心臓だ。来るもの全てを睥睨するかのように聳える途方もなく高いそれの中に、ちっぽけな子供の自分がこれから組み込まれるのだ。
 潤滑油となりフェンデルという国の回路を動かす。茫漠とした考えが少年の中に浮かんできて、その想像の非現実的さと実体のなさにぶるりと身震いをしていると、フレックが顎をしゃくる。怖気づいたわけでもあるまい、さあ、こっちだ。軍人の錆付いた声がカーツを現実に引き戻してくれた。これは、夢ではない。さっきから柔肌を叩く冷たい雪と風が現実のものである痛みを伴うように、目の前の巨大な鉄塔は幻ではない。ここは、緩やかな死を迎えるしかない故郷ではない。フェンデルという国の中心部、ザヴェートという鉄と重油と黒い煙が支配している巨大な箱舟だ。ここには、この国の全てがある――恐らくは、大煇石も。少年は確信を深め、そしてその為の一歩を踏み出した。