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夢轍/[I] 始まりの黒、鉄の街、ジレーザ1

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 知識を得るのは楽しい、だから好きなのだ。どんどんと自分の中にそれが蓄積される。自分のものになる、そういうことはひどく少年を興奮させた。けれどそのお陰で、今自分がいるべき場所はわからなくなる。自分がしていることの虚しさが時折寒い夜の闇にまぎれて怪物のように膨れ上がり、増徴した不安と共に少年に襲い掛かってくる。それを防ぐ手立ては生憎とカーツにはなくて、闇雲に逃げた所で結局は捕えられて叫ぶ声で夜中に目が覚めるのだ。冬場はすっかりと音を失うベラニックの夜に、がばと上半身を起こして嫌な汗がじっとりと全身に滴っているという事は両手で数えてもまだ足りない。
 その夜毎うなされる悪夢の、不安の理由を、聡明な少年は知っていた。この村だ。この、貧しさにのみ支配されている、みすぼらしい故郷そのものだ。


 カーツは村で一番頭の良い少年だった。
 もっとも、この侘しい村に学校などというものはない。子供は一定の年齢になれば働き手となり家計を助けなければ、この村で生きてゆくことは出来ないのだ。体力に恵まれている子供ならば必ず帝都ザヴェートを目指す。年に何度か、深緑色の軍服を着た集団が村を訪れ、彼らの帰還と共に村からは何人かの少年少女の姿が消えた。軍に行けばまずは給金を貰える、食うに困るということはないし、よしんば適正がなくとも帝都付近の工場で働ける。寒さに強いごく一部の作物以外には麦も米も実らないような痩せた土地で、作業量に見合わぬ細い収穫を対価として痩せ細った身体を酷使するよりは。そういう想いは何も子供達のものだけではない。この貧しい村に残っているのは幼子と老人だけだった。
 そんな場所ではいつか自分は窒息して死んでしまうだろう。物心ついたときからカーツはそう信じていた。父親はストラテイム狩り専門の猟師だったが、カーツが五つの時、数頭のストラテイムに襲われて死んだ。母はその時から寝たきりで、何度も父の名を呼びながらカーツをまるで赤の他人のような目で見つめながらやせ細り、その三年後に消え入るように亡くなった。兄弟もいなければ身よりもなかった少年を引き取ったのは、村で一番大きな建物――旅籠の女将だった。
 貧しい村で唯一金の音がする旅籠は、軍のウィンドル遠征の際などに使われたりもするからそれなりに実入りはあったようだった。そしてカーツが引き取られた理由は単純に「働き手」として、である。
 ザヴェート軍人と接する機会も多く、旅人の話も良く耳に入る。あくせくと働かなければ女将の張り手が飛ぶのだが、黙々と言われたことをこなすカーツにその制裁は一度も下されることはなかった。幽かな元素しか存在しない煇石から見事に火を熾したり、軍人共の財布の紐を緩ませて旅籠を潤すことにかけてはこと天下一品で、一つ季節を巡る頃にはすっかりと女将のお気に入りだった。
 が、その頃にはカーツはさらに確信を深めていた。この村に逼塞していても、何も変わらないのだと。そして、軍人や旅人から聞く首都ザヴェートという場所にこそ、自分を生かせる場所がある。
 そうしてベラニックのかさついた土が雪の下から漸く顔を覗かせる頃。いつもの軍服姿と亀車がベラニックを訪れ、カーツは旅立ちを決めた。


「フェンデルの男は煇術銃を扱えるようになれば一人前さ。いっつも北ばっかり見てる、特にあんたはそうだった。あんたがいなくなるのは痛手だけど、どうにもならないわけじゃない。男の出世を阻むほど、野暮じゃないからね」女将は疲れた顔にめいっぱいの笑顔をたたえ、カーツを抱擁した。ぬくもりを感じられなくなった母よりも、寡黙で子供を省みようともせず一人で死んだ父よりも、短くともカーツに住む場所と食べ物を与えてくれたこの女将こそが、余程自分の親のように思えた瞬間だった。



 亀車はトータスの力強さと独自の煇術が在って初めて運用可能な乗り物だ。
 少なくとも、旅人はこの峻険な山並みを越えるには一年のうちの三ヶ月しかない夏を待たねば不可能だった。山の険しさもさることながら、足元から吹き上げる吹雪は視界をまるきり閉ざし歩行を阻むのだ。軍人は軍事用に訓練を施したトータスを先頭に隊伍を組み、この山を越えるのだと言う男はフレック伍長と名乗った。
 亀車の中にはカーツとフレック伍長の二人だけだった。トータスのどっしりとした歩行に合わせて亀車が揺れ、ところどころ軋む音がする。「この時期の雪は真冬よりも重いから山越えは難儀でな、雪崩に巻き込まれちまったら帝都に着く前におだぶつだ。だから皆、この時期は避けるのさ」伍長は言いながら、カーツに担いでいた煇術銃を差し出した。「どうだ、持ってみたいか」旅籠で銃剣の仕組みに興味を持っていたことを、覚えていたらしい。雪焼けした肌に人好きのする笑顔を浮かべていた。とてもではないが「人買い」の顔ではないように思えたが、自分が亀車にこうして揺られている代償に、旅籠の女将は重たい麻袋を受け取っていた。自ら志願したのだから、売られたわけではない。そうは思っても、自分は一握の金銭と引き換えにされたのだ。それは、事実だった。女将の笑顔を疑うわけではないし、言葉を否定する気もない。貧しいということの意味するところを、カーツは知っていた。そして、少なくともあの村にいる限りは、自分もまたその貧しさと餓えと死の構造に組み込まれ、やがて死ぬだろう。そこに、何ら魅力的な未来の確固たる実像を、少年は描けなかった。
 だが、差し出されたこの煇術銃はどうだ。ザヴェートの工場で生産され、煇術を組み込むことで弾の飛距離を圧倒的に伸ばした「新型」は重々しく鈍い光でカーツを魅了していた。銃身に嵌めこまれた火の原素からなる煇石装置は、煇術の心得がない兵でも簡易に扱えるようにグリップの引き金と連動して発動するようになっている。刃の部分にせよ濡れたように輝く鋼を加工し、女性兵が扱うことも想定しているらしく実際に持ってみると拍子抜けするほどに軽かった。
「すごい、こんなにまでも火の原素を引き出す装置が、あるんですね」
 漸くまともに口をついて出た言葉が、それだった。フレック伍長は厳つい眉の下にひっそり存在する碧眼を丸くして少年を見つめている。けれどカーツの言葉は止まらなかった。「そうか、火と水の煇石を組み合わせ力のバランスを拮抗させることで、瞬間的に貫通弾並みの威力を発揮するんだ。けど、それを応用して回路に組み込むことが出来るなんて……理論上は可能でも、実際には何度やったって駄目だったのに」そうしてきらきらと輝く目を向ければ、伍長はいよいよ呻くような声で口髭を揺らした。たかだか十の子供に、一ヶ月前支給された「新型」の構造を見抜かれたという信じがたい状況なのだ。けれど彼は次の瞬間には笑みを浮かべていた。とんだ拾い物だ。時に表情は言葉より雄弁だ。軍人の会心の笑みを認めて、今度こそカーツは表情の薄い顔に、微笑を見せた。