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夢轍/[I] 始まりの黒、鉄の街、ジレーザ2

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「マリーナ、ねえマリーナ。総統の考えは、何故あんなにも外側に、あんなにも勇猛果敢にばかり向けられているのかしら」
 ロベリアとしては、常日頃からの考えをさらりと口に乗せただけであった。けれども、部屋を掃除していた小柄な中年の女性はあからさまにびくつき、慌ててぱたぱたと駆け寄って来る。
「お嬢様…ロベリア様!その様なこと、何時何処で誰が聞いているかわからないというのに…!」
 ロベリアは手元の書物を何気ない所作で鞄にしまい込む。赤いテープが表紙の三分の一程を占めているそれは、この国の帝国支配の在り方を痛烈に批判した書物だ。マリーナの眉間に皺が寄った所で、けれどもロベリアはどこ吹く風という風に「誰に聞かれていても良いのよ」ちらと一瞥をくれて、それはつまらなそうに続けた。
「私は総統の娘かもしれないけれど、総統と同じ考えというわけではないわ。民は飢えて凍えている。足元はとっくに穴だらけ、錆びだらけ。それでも戦争の事ばかりを考えて、省みる気はない。この国の八割が兵隊だったとしても、残り二割は兵隊ではないのに」

 きっぱりと、遂には嗜めたはずのマリーナに挑むような双眸をきらりと輝かせた。
「オイゲン総統閣下は何もそのような…」
 が、こちらとて譲れない。お嬢様の教育係、は伊達ではないのだ。 「民を省みないのではなく、そうしなければこの国自体が死んでしまうのですよ。同時に二つの事を成せるほどこの国は豊かではないことを、それこそお嬢様はご存知ではないですか」
 分別を説きながら有態の文句を言う。彼女に別に罪は無い。
 その言葉通りこの国が保有している資源というものはとても少なくて、他国への依存なしに多くの民を養うことが出来ない、それは紛れも無い事実なのだ。
 けれどだからといって、ロベリアの中に年単位でじっくりと蓄えられた怒りはおいそれとは収まらない。
 元々は父への怒りや無理解が高じた怒りではあるが、同時に軍部のみを先鋭化するという父の思想は危険だ。第一民は先の戦争でひどく疲弊しているし、煇石の蓄えだってろくにない。そんな状態で軍事力の増強などしたら、戦の疲労からまだ回復しきってはいないウィンドルはともかくとして、全く無傷であるストラタに睨まれかの国が侵攻などに出てきたら、それこそ一貫の終わりではないか。
「それがストラタ海域で略奪行為を奨励して、ウィンドル侵攻を正当化する理由だということくらいは知っているわ。マリーナ、あなただから私は言うの」ねえ、マリーナ。そう、少しだけ甘えるように言えば幼い頃から慣れ親しんだメイドは、少しだけ総統の娘の我が侭な言葉を聞き流してくれることも、ロベリアは知っていた。
 マリーナが少し俯いて本棚に向かう。年頃の女性の部屋のものとは思えぬような題名が並ぶ本棚は、ロベリアの誇りでもある。知識が必要だ、そう思ったのは、ロベリアがまだ幼い頃に、父に黙ってマリーナと共に帝都内を歩いた時のことだった。

 暖房設備が完備されている政府塔内とは全く違う、寒風が通りを吹き抜けて行く、薄い氷が張った石畳。そこかしこに転がっている腐った金属管はえもいわれぬ悪臭を漂わせ、噴出す蒸気の熱と腐食した金属には脚を取られる。重油と黒い煙が肺に入り込む度に気分が悪くなった。そしてそんなとても人が生活してゆく空間ではないような場所を、無言で下を向いて歩く人々。景色には黒と白しか色彩が無い、ひどく沈んだ光景。
 それが、自分の国の現状なのだとロベリアは知り、ひどいショックを受けた。これが、父が誇らしげに語る国の姿なのかと、父が語る理想や教科書に書かれている中身と現状とのあまりの違いに、幼い少女はひたすらに泣いた。
 目の前の光景を嘘だと断言できるような要素は幼い少女の中には何一つ無くて、路上で見た労働者らしき同じ年頃の子供の凍死体の無残さが恐ろしくて、少女は泣いた。何で酷い世界なのだろう、何処もかしこも凍える風が吹き込んで、人々の表情は陰鬱で、ここはフェンデルの中心都市であるハズなのにあまりにも活気がなく淀んだ空気が底に停滞しているようで、そういった周囲の空気におびえて、幼いロベリアは泣き続けた。

 それから、十年あまりが経っている。
 少女は、もう泣くことはなかった。
変わりに背筋をピンと伸ばして、控え目な女性らしい造形の顔に静かな怒りを湛えて、窓から鉛色の空を見る。
この空の色は何時だって変わらない。この国は、変わらない。大煇石の恩恵をろくに受けることも出来ず、自ら立ち上がることすらままならなくて、他国から奪って初めて一人前なのだと言う虚勢を張る為に軍事面ばかりを強化しなければ、生きては行けない鉛色の空の国。変わらない。変えようと、しないからだ。
「今のままでは、このジレーザだって天を貫く前に自らの重さで潰れるわ。ジレーザに登る人間は太陽を欲して翼を作った神話の男みたいに、欲した太陽の熱に翼を焼かれて流氷の海に墜落して、溺れて死ぬのよ」
 そうは言いながらも、マリーナにしか本心を打ち明けられない自分の臆病さもロベリアは認めていた。せめて父に話を。それを一度だけ試みた四年前、何度目かのウィンドル侵攻前のことだ。けれど父は娘の与太話に付き合ってなどはいられないとばかりに顔すら合わせてはくれなかった。立ち去る父の背中を睨みながら、怒りに震える拳の行き場はなくて、その時からロベリアはオイゲンを父と呼ぶことを止めていた。
「あなたの甥も、士官学校を来春卒業するのでしょう」
 ロベリアと、ほとんど同じ歳だという士官学校に通う甥がいるという話は何度か聞いていた。顔を見たこともないので、当然会っていたとしてもわからない。ロベリアは士官学校ではオイゲンの娘ということは当然伏せていて、ファミリーネームも父のものではなく母のものを使っている。真実を知るのは士官学校の校長と一部の教師だけだ。士官学校を卒業すれば、半年ほどの猶予期間を経てたいがいが士官となる。そうして帝国の歯車となり、礎となる運命を多くの士官候補生は選ぶのだ。
「甥は、弟に良く似た帝国の誇りを良く理解している子ですから」
 一瞬母の強さを垣間見せるマリーナに、迂闊なことをいってしまったかもしれない、と少女は思った。そう感じた、説明しがたい後ろめたさのようなものから、彼女の口にした言葉はロベリアにとっては苛立ちしか生まぬものであるのに、その言葉を口の中で転がしてしまっている。
「帝国の、……誇り」なんて欺瞞に満ちた、うそ臭い、実体のない、莫迦莫迦しい言葉。そのくせ男たちは夢遊病者のようにその言葉に群がって、それを己の誇りなのだと勘違いをして、歯車になって白い雪の下に埋もれてもなお、言うのだ、帝国の誇りよ永遠なれ!と。
 帝国の誇り。そんなもの、この巨大な化け物のふりをした惨めな国の、どこにも存在なんてしないのに。

 柱に掛けてある時計が、時を打った。

「時間だわ」