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夢轍 [2] 変革、廻り出す音、雨と奈落4

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ザヴェート政府塔の重たい両開きの扉を開くと、真正面に再び同じような――外部へのそれよりはやや薄手の、より厳重な警備のされた紅と白で彩られた巨大な扉が視界にまず入ってくる。帝国最高責任者にして最高指揮権を持つ総統オイゲンが座するべき椅子のある部屋を守る最後の砦だ。
 イワンが扉の前に立つや、銃剣を掲げた二人の兵が無言の伺いを立ててくる。次に彼らはイワンの制服と、原素焼けしてフェンデル人には不自然なほど「焦げている」顔で訪問者の正体に行き着いたらしく、行く手を遮るということはなかった。ちらとそれらを一瞥してから、イワンは扉に向けて大声を張り上げる。
「第三開発部所属技術少佐イワン、総統閣下のご命令に従いまして」
「入れ」
 全てを言い終える前に、扉が開いた。いかつい顔の小さな男が顔を覗かせている。同じ技術部のオシプ大尉だ。もう一つ加えると、技術部でもう一人の、オイゲン総統直属――総統から直接何らかの命令を下されて軍部に潜んでいる内部スパイのようなものだ。総統とて、この巨大な国の軍部を全て掌握しきることなどは無理なのだ。
「総統閣下はお待ちだぞ」
 軽く敬礼をして、扉をくぐる。オイゲンは後ろ手を組み、直立の姿勢で部屋の奥に大きく設けられた窓の景色を眺めていた。
「総統閣下、イワンが参りました」
 オシプが言うと、オイゲンはゆったりと振り返る。イワンはもう一度敬礼をした。
「やはりリジャールか、あの役立たずの古狸め、相も変わらず下らん画策をしておるわけか」
 開口一番、オイゲンは見るものに強烈な印象を与える黒目の目玉ぐるりと回し、ひどく低い声で断じる言葉を告げてきた。気の弱い士官などは、これだけで総統の言葉には逆らえなくなる。イワンは、頷く。
「既に開発されたものの開発費をさらに上乗せせよとでもいうような、白々しい嘆願書でも出す気だったのでしょう。現段階では、例の新型が面に出てこない以上、その件でリジャール中将をどうにかすることは出来ません」
 リジャールの企み自体は、酷く稚拙で下らない。が、その犠牲となる士官がこの場合は問題だと総統は言う。カーツ・ベッセルという名を、オイゲン総統はひどく気にしていた。その名を総裁に知らしめたのは先のベラニック奪還戦で前線部隊が携えていた煇術銃だったが、よもやその関心がここまでとはイワンも考えてはいなかった。先の戦いで勝利の決定的要因となりえたのは、かの新型蒸気機関戦車であり、総統の意識もそちらに向かっているであろうと考えていたのだが。どうも、こと兵器開発に関しては子供のようになるところがあるオイゲン総統は、かの若い将校が作り出す煇術銃にもいたく興味を引かれているようだった。すれば、そのような若き才を秘める技術者を他の有象無象のように扱い、どころか企ての犠牲にしたリジャール中将が不幸だったと言うべきか。そのような不正は、実は軍部では日常茶飯事だ。が、そのようなものをイチイチ正している暇も余裕もこの国にはない。それが既に歯車の一部となりえてしまっている側面を、否定することも出来なかった。
「証拠がない、か」
 疑いだけで無理に拘束するには、リジャールという男の地位は高すぎるのだ。改革派の動きが活発な今、保守派要人であるあの男に徹底した追及をすることも好ましくはない。
「諜報部の人間も含めて探索しましたが、現在政府塔内には見当たりません」
「ふむ…では、改革派に奪取された可能性もあるな。その前提で、お前の部下に関しては、釈放するのではなく泳がせるという手も考えてみた」
「と、申しますと?」
 そこで、オイゲンはオシプとイワンの両名を、やはり強い視線で意志を確認するかのように見渡してから、頷く。
「近頃若い将兵らの間で流行っている改革運動だが、ストラタが一枚噛んでいるという噂がある」
 オイゲンの言葉に、二人の男は互いの顔を互いに一瞥した。オイゲンは黙っている。先に口を開いたのは、オシプだった。
「ラティス商会、ですか?」
 オイゲンは頷いた。イワンもその名を知っている。フェンデル帝国随一の穀物及び煇石商社は、政府公認で他国へのルートを持っており、些かの独立権限も与えられている。その彼らが、恐らくは目下若い将兵を中心に流行っている「政府改革運動」を支援しているのではないか、とオイゲンは考えているのだ。
 それに関してはイワンもある程度まではそうだろうと考えていた。元々、あそこは改革派だ。だからこそ蒸気機関開発への援助にも積極的であるし、彼らのストラタとの繋がりがあればこそ蒸気機関戦車は完成したと言っても過言ではない。
 といっても件の商社には常に政府側の人員を派遣している――常時政府の監視下に置かれている状態ではあるのだが、それとて限界もあろう。
「もし繋がっているようならば、今のうちに芽を摘んでおく必要がある。とはいえ現段階では確証を持つにはいたってはおらんからな。あそこの力を奪ってしまっては、わが帝国はいっそう貧窮してしまう。事は慎重に運ばねばならない」
 オイゲンの言葉と視線の先には、ストラタ大統領府、という存在も見え隠れしている。
 ストラタが改革派に助力するのは、彼らが力をつけ反政府運動などを具体的に繰り返すようになり、ひいてはクーデターという流れを狙っているからに他ならない。また、改革派の多くが若い将校という事実からも、彼らを反政府運動に関わらせれば成る程、ストラタ海軍とやりあうフェンデル陸海軍の力を削ぐことにもなりえた。ストラタという国にしてみれば、将来的そして現段階でも決して悪くはない話だ。
「お前の部下、カーツとかいう技術少尉は、改革派と接触している。それも、何度もな」
 繰り返すオイゲンの言葉は、鋭利さを伴っている。
「此度のリジャールの可愛らしい策謀で捕えられたが、そういう連中にしてみれば望ましい状況を改革派が見逃すとは思えん」
 オイゲンは断じた。軍部を全て掌握するには至らずとも、必要な情報は確実に持っている。この男の恐ろしさを、イワンは改めて知らされたように思った。
 元々カーツは煇術銃の開発に携わってさえいればそれでいい、というような人間だ。だからこそ仕事は職人肌の精緻さとアンマルチア族ですら舌を巻く感覚に秀でており、彼の作り出す煇術銃は成る程、現場の将兵らには好評だった。そういうところから半年ほど前、総統が直々にその名をイワンに尋ねたのだ。
そのカーツの交友関係というものはそう広くはなく、友人らしい友人といえば陸軍所属のマリク・シザースぐらいだ。が、この男は目下改革派筆頭と言われている程自分が改革派であるということを隠しもしない男でもある。
 オイゲンの言葉は、そのことを示しているのだ。
「その男の周辺を常に、お前の諜報部の連中に探らせておくのだ。例の新型に関しては、発見次第、他は必要と判断した時のみ報告せよ。基本的に作戦権はお前一人に委ねる」