蛍
剣心は薫を置いて歩き去った後、しばらくして立ち止まった。振り向いては未練が残るとは思ったが、泣いていた薫が心配で、薫からこちら側が見えないくらい十分距離が離れた時点で振り返った。剣をふるうものは夜目が利く。剣心は薫がまだ道の上にすわりこんで泣いている姿が見えた。
(薫・・・)
いつも元気な薫が、あんなにも弱弱しくみえる。あんなに涙を流して・・・。自分との別れを悲しんでいる。剣心はぎゅっとこぶしを握り締めた。
戻って抱きしめたい。薫のもとへ戻って、薫のもとを離れぬと、薫が愛しいのだと、強く抱きしめたい。でも、それは・・・許されない。それが、人斬りとしての過去を持つ自分には
許されない。人斬りとしての過去が、現在の自分に人斬りであるという事実を突きつける。
(薫・・・幸せに。どうか元気で。俺のことなど忘れて・・・薫にふさわしい人と幸せになってくれ・・・君が幸せな日々を過ごしてくれることが、俺の幸せでもあるんだ。君がずっと笑顔でいてくれることが・・・俺が京都でどうなろうとも・・・君が笑顔で過ごしてくれていると思えれば、それで俺は生きていける。京都で何があろうとも、闘っていける。君の穏やかな日々を守るためなら、俺はどうなってもかまわない。たとえ二度と会えなくても・・・薫、君が幸せならば。君の幸せを俺が守れるなら・・・それが君を愛してしまった俺が、君にできる唯一のことだから・・・)
剣心は今度こそ振り返らないと自分に命じて、暗い道を前方へ踏み出した。この道の先にあるのは苦しみだけかもしれない。再び自分の手は血にまみれるかもしれない。でも・・・行くしかない。京都へ、行くしかない。そして、剣心の姿は暗闇の中に消えていった。