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(彼女に何といえばいいのか。自分も嬉しいと。薫と出会えて嬉しいと。一緒にいることができて嬉しいと。そう告げてどうする気だ?自分の気持ちを彼女に告げて、どうするというのだ?己のような血に汚れた人斬りが、彼女を好きだと思う資格があるというのか。彼女とずっと一緒にいたいと、望む資格があるとでも?彼女だって、自分が京で何をしてきたか知れば、きっと嫌いになる。きっと離れていく。拙者には、幸せになることなぞ、許されぬ・・・ましてや薫を好きになることなど・・・薫を・・抱きしめることなど・・・)

「剣心?どうしたの?」
急に黙ってしまった剣心を、けげんな顔をして薫が見つめている。
「いや・・・薫殿、そろそろ帰ろうか。夕餉の支度をせねば。薫殿のおなかがそろそろ鳴く頃でござるよ」
「あら、おなかなんて・・・ん・・確かにすいてるわ」
「そうでござろう?」
剣心は薫の手を引っ張って、立ち上がらせた。
「さあ、薫殿、うちへ帰ろう?弥彦も帰ってくる頃でござろう」
「そうね、剣心」

剣心は薫の手を引っ張って、土手を上がった。そのまま、家路をたどる。手は握ったままだ。
前を向いたまま、剣心が薫に問う。
「薫殿・・・」
「え?」
「このまま・・・手を握っていていいでござるか」
「剣心・・・うん・・・」
「かたじけない」
二人は夕暮れの道を手をつないだまま歩いていた。剣心の手はかなりきつく薫の手を握り締めていた。痛いくらいに。まるで一瞬でも力を弱めると、薫が離れてしまうとでもいうように。
(薫殿・・・せめて、今だけは、手を握ることを許してほしい。これ以上、何も望まないから。だた今だけ、君とつながっていたい。君に触れていたい・・・ただ、君と、こうして一緒にいたいんだ・・・)
剣心は少しうつむいて黙ったまま、薫の手を握って家路を歩いた。薫もそのまま無言で剣心の横を歩いていた。



(あの時、剣心は家に着くまでずっと手をつないでいた。つないだ手から、剣心が本当にここを家だと思ってくれているって、伝わってきた。私たちと一緒にいたいって、気持ちが伝わってきた・・・。そう、剣心は、絶対、京都に行ったりしない。人斬りに戻ったりしない・・・)
薫は、剣心とのあたたかい思い出を反芻して、剣心の帰りを待っていた。

「薫殿」
すぐ後ろで剣心の声がした。
「あ!剣心、お帰りなさい!」
薫は驚きながらも満面の笑みで振り向いた。しかし、そこに立っていた剣心の顔に浮かんでいた笑みは、あまりにも切なかった。まるで泣いているような・・・。
「け・・んしん?」
「薫殿。拙者を待っていてくれたのでござるか?かたじけない」
「だって心配で・・・剣心、何かあったの?」
「大久保卿が暗殺された・・・」
「うん・・・知ってる。すごい大騒ぎになってる・・・」
「暗殺したのは志々雄誠の一味でござる」
「えっ!そうなの・・・」
「志々雄たちをこのまま放ってはおけない・・・拙者、京都へ行くでござる」
京都へ― 薫は目の前が真っ暗になる気がした。
「剣心・・・京都に行って・・・人斬りに戻るの?」
「わからんでござる・・・ただ、志々雄たちをこのままにはしておけない。拙者ができることが何かまだわからんが・・京都へ行くでござる」
「そんな・・・剣心・・・だって、京都へ行ったりしたら・・・また闘いに巻き込まれたりしたら・・・・剣心はせっかく流浪人としてずっと過ごしてきたのに!」
「薫殿・・・ここでの生活はとても心あたたまるものだったでござる。皆と楽しい日々が続いて・・・拙者はこのまま一介の流浪人として、皆と穏やかに暮らしていけるのではないかと・・・そう思い始めていたでござる」
「暮らしていけるよ!剣心、ずっと、私たちとここで・・・剣心はもう人斬り抜刀斎なんかじゃない。不殺の流浪人、剣心だよ!」
「薫殿・・・拙者が人斬りであった過去は消えぬ・・・人斬りはどこまでいっても人斬り・・」
「そんなことない!過去は過去だよ!過去なんて関係ない!過去は変えられない。でも、剣心はその過去を背負って、背負ったままで、新時代を、不殺の信念をもって生きてきたじゃない!私たちが・・・私が出会ったのはそういう剣心だよ!そういう剣心だから、私は・・・」
「薫殿・・・」
剣心は薫の顔を見つめた。
「ありがとう、薫殿。初めて会った時も、薫殿はそう言ってくれた。過去なんか関係ないと。拙者が人斬りであった過去を知っても・・・薫殿は微笑んでくれた。手をさしのべてくれた・・・うれしかった・・・」
「剣心・・・」
「心から、うれしかった・・・」
剣心が微笑む。それはまるで別れを告げる笑みのようだった。
薫は必死に剣心を引き止める言葉を探していた。しかし、心の片隅では、もう剣心の決意を覆すことは自分にはできないこともわかっていた。
(止められない・・・私では・・・剣心を・・・)
剣心が一歩薫に近づいた。
「薫殿・・・」
絶望で膝から崩れ落ちそうになるのを必死の思いで抑えながら、薫は剣心を見つめ返した。そこで薫は見た。剣心の瞳にも言いようのない悲しみが浮かんでいるのを。微笑みを浮かべているけれど、瞳はまるで泣いているようだと。薫はもう何も言えず、ただ剣心の目を見つめていた。
「拙者・・・」
剣心は言葉を継ごうとしたが、それよりも早く自分の両腕が薫を抱きしめていた。薫のしなやかな体を両腕で思いっきり抱きしめていた。
(薫!!)
薫は温かかった。そしてかすかに震えていた。
(本当はこのまま離したくない!君のもとを去りたくない!やっと、やっと、君にめぐり合ったのに・・・。人斬りの過去からやっと立ち直ることができると・・・そう思っていたのに・・・)
剣心はさらにきつく薫を抱きしめた。
(このまま君を抱きしめていたい。君のすべてをこのまま・・・・しかし・・・)
ぴったりと密着した二人のそばを蛍がちかちかと淡い光を放ちながら飛んでいた。二匹、三匹と、蛍たちは二人の姿に寄り添うように、やさしい光を漂わせている。
やがて、剣心は搾り出すように言葉を継いだ。

「いままでありがとう。そして・・・さようなら。拙者は流浪人・・・また・・流れるでござる・・・」


薫は無言だった。ただ、涙を流していた。
剣心はすべての意志の力を総動員して、薫を抱いていた両腕を離した。そして一歩あとずさる。薫の顔はもう見れなかった。うつむいたまま、きびすを返して、川沿いの道を歩き去っていった。

薫はそこから一歩も動くこともできず、声を出すこともできず、ただ静かに涙を流していた。剣心に自分は今何を言えるであろう。剣心があれほどつらい思いで、たとえ自分が犠牲になってもいいと思って、京都へ行こうと決意している剣心に。「行かないで」なんて言えない、もう言えない・・・。剣心はもう自分に「さようなら」を告げたんだ・・・「さようなら」の決心をしたんだ・・・。
薫はとうとう膝から崩れ落ちて、道端にしゃがみこんでしまった。そのまま涙に暮れているしか、今の薫には成すすべがなかった。

作品名: 作家名:なつの