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空が落ちる日

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(空が、落ちる)
 雲が垂れ込めた空を見上げて、財前は心の中でそう呟いた。
 太陽を遮る雲は厚く、重く重く鈍い灰色を溢れるほどに湛えたその空は、その重みで本当に落ちて来そうだった。本当に落ちてきたら俺ら潰れてまうかな、ありもしない幻想を頭の中で転がしては地面を蹴る。ちなみに雨粒はまだ落ちてこない。
 本当に落ちてきたらいい。雲は本物のすかすかの霧のような実態のないものではなくて、もっと堅くて、物を押しつぶしてしまうような堅さを持っていて、そんなものたちが垂れ込める空が一帯に落ちたら、きっと大騒ぎで、大変なことになって、明日の、自分たちの学校で予定されている、
(卒業式も、中止になるんかな)
 馬鹿げている。本当に馬鹿げている。財前は表情には出さずに、心の中で自分を盛大に嘲笑った。たとえば本当に現実にはあり得ないおかしな雲を連れて空が落ちてきたとして、それで卒業式が中止になったとして、先輩たちが卒業せずに学校に残ってくれるわけではない。式が延期になるかできなくなるか、ただそれだけで、あの人たちは自分たちを置いて去っていく。
 それは、隣の太陽のような髪を持つ先輩だって、同じことだ。
「光、どないしたん空見上げてぼーっとして」
 突如思考を占めていた人物に顔をのぞき込まれて、思わず仰け反る。ああもう、こっちはあり得ない妄想をするまでにキてるというのに、眼前の男の表情と来たら、本当にいつもと変わらない。思わずため息を吐いた。脳天気なひとだと思う。それは出会ったときから変わらない印象だった。まさか卒業まで変わらないとは、第一印象は存外馬鹿にできない。
(恋人とこうして一緒に帰るのが最後だってのに、なんも思わへんのか、阿呆)
 そうやって素直に毒づけたらどんなに良かっただろう。そうしたらきっとこの目の前の鈍感な先輩だって、きっとこちらがぐるぐると思考の迷走をしていることに気づいて、何らかの言葉をくれたかもしれない。けれど財前はそういう素直な性格をしてはいなかったし、置いていかれる身で縋り付くような言葉を吐くことなど、どうしてもできなかった。
「お前ひとの顔見てため息吐くなんて失礼なやっちゃな……!」
「謙也さんがわざわざ間抜け面晒すから悪いんすわ」
 代わりにいつもの毒舌をお見舞いすれば、彼は「ほんまお前かわいないな……!」と一人で憤っている。このやりとりでさえいつも通りすぎて、彼は明日卒業だと言うことを本当にわかってないんじゃないかと少し不安にすらなる。いっそこのまま彼の時間だけ止まってしまって、また明日もこうして馬鹿をやりながら帰れたらいい、そんなありえない希望だけが詰まった考えが浮かぶ。
 けれど一通りむっとして気が済んだらしい謙也が吐いた言葉が、そんな甘い夢を崩していく。
「せやけど明日卒業式なのに天気悪いなあ。雨降らんとええけど」
 ああなんだ、知っていたのか。当たり前のことなのに、ひどく落胆している自分がいる。一気に現実に引き戻される自分も。
 出会ってから2年、こうして隣にいるようになってから1年ちょっと。その間に作り上げてきたこの居心地のいい居場所は、明日を最後になくなってしまう。
 恋人という地位はなくならない。たぶんこちらが願えばすぐに彼の顔を見ることはできるだろうし、おそらく謙也だって自分以上にこちらに会いたがるだろう。彼の恋人という名の居場所は卒業という別離では失われない、それを約束したのは当の謙也だ。
 けれど彼の後輩というポジションは、明日で終わってしまう。
(あかん、空も落ちへんなら、どないすりゃええねん)
 もう一度空を見上げる。相変わらず重苦しい灰色をしたそれは、いつ雨粒を落としてもおかしくないほど色濃いもので、ひどく自分と重なって苦しくなった。明日のことを考える、それだけで心の一部がぽかりとあいて、そこから冷たい水滴が零れそうになってしまっているのだから。
 今日でこんな状態だ。明日、自分は涙を見せずに乗り切れるだろうか。自分の無駄に高いプライドから言えば、絶対に人前で涙なんて見せたくなかった。けれど今は灰色に覆われてしまった、あの金色のような髪を輝かせて、胸に作り物の花を飾って、級友たちと別れを惜しむ彼の姿を見て、自分が感情を凍らせていつものように毒を吐けるかと問われたら、ひどく自信がなかった。
 いつのまに自分はこんなに弱くなった。ひとりで生きていけると信じていたのに、いつのまにか我が物顔で入り込んだ金色が心の中に居座って、強がりすら許してくれない。
「……明日、」
「ん?」
 言葉が漏れたのはほぼ無意識だった。謙也は心ここにあらずといった様子で空を見上げている後輩から言葉が出たのに驚いたのか嬉しかったのか、先ほどと同じように財前の顔をのぞき込んでくる。さっきそれで毒舌くらったのに懲りんひとやな、そう思って笑えてきてしまうのと、こうして帰り道にやりとりができるのが最後だという感慨と、変わらない彼のせいでこみ上げる何かと、いろいろなものが一緒くたになって、財前の心をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。だから、もうなにも考えずに言った。自分がどんな表情をしているか考える余裕なんて、どこにもなかった。
「明日、晴れたらええですね」
(きっと晴れたら、俺、笑えはしませんけど、いつも通りの無愛想な顔で、あんたのこと送り出してみせますから。まちがっても今日みたいな重苦しい曇り空や、雨粒を落とすような悪天候でなければ、涙なんて見せないで、俺はあんたの後輩を卒業しますから。せやから、晴れたらええですね。)
 そうした自分の弱音なんて言えるわけがなくて、たった一言だけに、まとまらない感情を全部詰め込んで吐きだした。声はいつも通り、熱のない、何も考えてないような声だったと思う。けれど財前が言葉を発した途端、目の前の謙也の表情はみるみる歪んで、まるで彼の方が泣いてしまいそうなくらいに、揺らいだ顔をした。
「光」
 名前を呼ばれたのと、その腕に抱きしめられたことに気づいたのは同時だった。その力はとてもじゃないがふりほどくことなど困難なほど強くて、財前は抵抗するのも諦めてそのまま身を任せる。ここ、路上なんやけどなあ、どこかで遠く冷静な自分は呟くけれど、包み込まれる体温が心地よくて、文句を言うタイミングを逃してしまった。
「光、そんな顔させてごめん」
「何言っとるん謙也さん」
「俺のせいやろ」
 抱きしめられたせいで顔は見えなくなってしまったけれど、声でなんとなくわかる。これは相当、つらそうな顔をしているときのものだ。
(なんで謙也さんがそんな声すんの。あんたはただ笑って卒業していけばええのに)
 声にならない言葉を飲み込んで、ただ立ち尽くす。あの鈍感な謙也にこんな声をさせるなんて、自分はいったいどんな表情をしていたのだろう。鏡がないからわかるはずもなかった。けれどいつものポーカーフェイスが失敗してしまっていたことだけは確かだった。そんなに酷い顔を、していたのだろうか。
「……なあ光、前も言ったけど、卒業しても俺らは変わらんよ。そりゃこうやって一緒に帰ったりはできひんくなるけど、でも会おうと思ったらいつでも会えるし、学校変わったから気持ちが変わるとかありえへんし」
作品名:空が落ちる日 作家名:えんと