灰色
忘れたい
ふと夜中に目が覚めて、食堂へ茶を飲みに行った。
掛け時計で時間を確認してみるとまだ夜中の1時で、誰も起きているはずがない時間帯だと溜息を吐いた。
そんなことよりも、俺が自分で受けた川島さんへの恋心の傷は半端じゃない。
今もズキズキと痛むこの胸を誰も彼も分かっちゃくれない現実
誰のせいでもなく、それは自分が悪いんだけど。
宿をそっと抜け出して海へ向かう。
潮の香り。満ち潮だけあって、月光は跳ね返る。
月が眩しい。
砂浜の砂を蹴り飛ばしてみた。
安物のサンダルに細かい砂がたくさん入り込む。
指の間にジャリジャリとくっつく様な嫌な感覚。
ふと辺を見渡すと、遠くの方に人影があることに気がついた。
扇子を華麗にくるりと回す
身をひるがえしては髪をなびかせる
一目、見入ってしまった。
「す、げ」
その言葉に限った。
それ以外に何の言葉がある?
思い浮かばないだけ俺が馬鹿なのか、それともそれ以上の言葉を出させない舞が凄いのか。
暗がりでも、わかっちまうんだ。
嫌でも馬鹿でも胸が痛くたって、どう足掻いたって。
一目奪われてしまうのは、一目奪ってしまうのは、俺の中じゃアイツしかいないんだから。
「川島さん、」
愛しくて愛しくて、でも一番会いたくない大嫌いで大好きな人。
手が届きそうで届かない、最悪な恋の相手。
ピタリと動きを停めてゆっくりと振り返る彼女の頬には汗が滴っていた。
息が荒い。眉をひそめてじっと俺を見る川島さん
「しんたろ?」
「ちげーよバーカ、高尾。」
ぐちゃぐちゃになりそうな理性
止めろ耐えろ泣くな自分。
彼女の愛しい人は判ってる、だから見間違えただけ。
俺は高尾。彼女が知っている高尾和成だ。
平然を保って笑顔を振りまきゃそれで終わりだ。
さっさと帰って眠ってしまえばこんな悪夢みたいな現実から逃れられる。
「たかお、くん」
「なーんだよ?」
そう、平然を保て。
フワリと、自分のものじゃない他人の香りが自分の鼻を掠める
「 忘れたい 」
「な、」
「慎太郎を忘れたい、忘れたい、の」
ぎゅう、と締め付けられる腹部に熱を感じながらも、その細い腕を離そうとは思わなかった。