ハリー・ゴー・ラウンド②
モロクの教会内、住み込みの聖職者達の宿舎、黒いプリーストの執務室にブラックスミスは案内された。
小さな教会はやはり部屋数は少なく、見た限り5つにも足りない。
かなり年季の入った建物だと、戸の造りや床の隅に浮かぶ染みから推測できた。
室内は簡素でとても広いとは言えないが、プリーストの言う程散らかってはいない。
と言うより、散らかる程の物がどこにも無かった。
「引越しでもするんですか?」
思わず口を付いて出た問いに、プリーストは困った様に笑った。
「いえ、逆ですよ。こちらに来たばかりなので。」
部屋をぐるりと見渡し、困惑の表情を浮かべブラックスミスを振り返る。
「どうしましょう、椅子もテーブルもまだ。」
室内には部屋を使用する者に代々受け継がれてきたであろう、年季の入ったベッドと机、それに本棚。
たった一つだけある椅子は、壁に向き合う机とセットのものだけだった。
「俺はどこでも大丈夫ですよ。なんなら床でも。」
「そんな、お客人を床に座らせるなんてとんでもない。あの、デスク用のものですが宜しければ。」
どうぞ、と椅子を引き出し、ブラックスミスに差し出す。
教会の人間は男も女も皆こんな感じなのだろうかと、ブラックスミスは軽い感動を覚えた。
比較対象になる聖職者が身近にいないのだから、無理もない。
「すみません、じゃあ。」
そう言ってブラックスミスが腰を降ろすと、古ぼけた椅子はがたんと傾いた。
「先日は何も言わずにおいとましてしまって申し訳ありません。」
言葉通りの表情で、プリーストは頭を垂れる。
いきなり仰々しく謝罪され、ブラックスミスはうろたえながら大袈裟に手を振った。
「そんな、謝らないで下さい。来てくれて嬉しかったです、ほんとに。」
沈着なプリーストとは対照的に、そわそわと落ち着きの無いブラックスミス。
手持ち無沙汰に紅茶のグラスを撫で回すと、中の氷はすぐに小さくなっていった。
歳不相応に思えるプリーストの落ち着き払った言動はまるで心の内を見透かされている様で、いつのまにか彼のペースに巻き込まれる。
元々聖職者に対して好意的では無かったが、彼には不思議と不快感は感じなかった。
他者が不快と感じない、絶妙な距離感を知っている。
ブラックスミスがそれに気付いているかは解らないが。
「そのナイフ。」
やけに違和感を感じていたブラックスミスの左、正面に向かい合ったお陰でプリーストはその原因に気付く。
以前見た時には一つだけだったナイフが、二つに増えている。
ブラックスミスはベルトを見下ろし、あぁと声を吐きグラスを置いた。
「しまっとくには勿体無いから、ちゃんと使おうと思って。」
ちょっと邪魔ですけど。
ナイフの一つを撫で、ブラックスミスが複雑な顔で笑う。
そのナイフの所有者だった人物が、彼の笑顔に影を落とす。
「どちらがどちらだか、解らなくなりませんか?」
プリーストの声が、すぐに彼の意識の手を引いた。
ブラックスミスの左で二つ寄り添うナイフは、少し不恰好に見える。
鞘に隠された装飾も双子の様に同じだとプリーストは知っていた。
「良く見れば解りますけど、でも、ちょっとした仕掛けがあるんです。」
「仕掛け?」
懐かしそうに、愛しそうに、ブラックスミスは一振りのナイフを鞘から抜き取ってプリーストに見せた。
プリーストは身を乗り出し躍起になって違いを探すが元々彼には縁遠いもので、どこをどう見たら良いのかさえ解らない。
早々に間違い探しを諦め、難しい顔で首を傾げた。
「存在した記憶が消える訳でも無いのに。何故銘が消えるのか、知ってますか?」
鈍く光る鉄を見下ろし、口元を歪める。
プリーストは無言で首を振った。
彼と、彼の友の名は、まだ消えていない。
ブラックスミスはポケットを探り、取り出したオイルライターに火を着けるとナイフを炙った。
火は柔らかく形を変え、銘を黒いすすで覆っていく。
彼の指先から伸びたオレンジの舌に、プリーストはじっと魅入っていた。
「こっちが俺のものです。」
革のグローブですすを拭い、熱した刃をプリーストに示す。
まるで手品の様な変化にプリーストが目を見張る。
「これ、は・・・」
「フレイムハートを活性化させる印です。」
二つ並んだ銘の、“Vivienne”の名の下に浮き上がった、赤いトカゲ。
ウィザードやプリーストの様に自身を媒体にする高度な魔法術とは違う、文字や形象を用いた印術。
アルケミストの研究するそれは、同じ様に、物質の変化を扱うブラックスミスにも縁があるのだろう。
「火を扱う術式がある様に、銘も一種の呪いの文句だよ。
一人前の鍛治屋なら皆使える。生きた生ものの“思い”だ。
俺ら魔力も精神力も無い鍛治屋なんか、そんな何の役にも立たない事しか出来ないけどね。」
誰かの口調を真似てブラックスミスが言う。
じっとナイフを見詰め、口唇を噛む。
確かにそのナイフに関わった彼を、銘の話を語って聞かせてくれた彼を強く思う。
ブラックスミスが手で口元を覆い、俯く。
彼は何も言わず、プリーストは何も聞かず、室内に無音が満ちる。
ぽたり、と雫の音が聞こえた。
「ごめんなさい。」
か細く小さな声で、彼は何かに謝罪した。
「俺もう帰りますね。」
言うなりブラックスミスは立ち上がり、椅子に掛けた帽子を深く被る。
くるりと背を向けた彼のシャツを、プリーストが掴んだ。
ブラックスミスはぴたりと足を止め、振り返らないまま無言の制止に答えた。
「泣くのは、嫌ですか?」
シャツを掴んだまま立ち上がり、プリーストがその背に問い掛ける。
ブラックスミスは、何も答えない。
言葉にするまでも無い、肯定だった。
「私は、貴方のそんな繊細さが好きですが。」
思いもよらないプリーストの言葉に、ブラックスミスが勢い良く振り返る。
声には出さないが、感情が過剰に反応する。
帽子の影から目だけを覗かせ見た彼は、いつもと変わらず和やかに微笑んでいた。
深い意味など無いのだとすぐに気付き、自身の情けない顔を帽子で隠す。
それでも彼の言葉が、存在が、自分を現実に繋ぎ止めてくれる様な気がした。
作品名:ハリー・ゴー・ラウンド② 作家名:335