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待ち時間の間に

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「……」

 アンディは目の前に置かれた低いテーブルの上にあるコップの中身をじっと見て動かなかった。

 座布団の上にちょこんと座り、首をわずかに傾げて、死んだように光のない目を半眼にしてオレンジジュースを見据えて。

「……」

 ごくん。

 唾は飲み込むが、手は出ない。

 飲もうとしない。

「……」

 部屋の中で立ったままお茶を飲んでいたバジルがそれに気付いて、アンディの横に立ち、見下ろして訝しげに問う。

「アンディ、飲まねぇのか? 意地汚いてめぇにしちゃめずらしいな」

 ……意地汚い……。

 いきなり頭上から降ってきた罵り言葉にアンディはぼんやりとその目を横に移して見上げた。

 ……そんな姿見せてないハズだけど……?

 『なんのこと?』と目で訊く。

 バジルは目を上に向けて呆れたように言った。

「食い意地が張ってるだろうが、てめぇは。なんでもかんでも片っ端からポイポイ口に入れるじゃねぇか」

「……なんでもじゃないよ」

「じゃあ、なんだよ、いつものは」

「……おいしいものだけ」

 バジルがハッと肩を揺すって笑う。

 アンディはバジルを放っといてまたジュースを見つめる。

 またバジルの声が降ってくる。

「そのジュースはうまくねぇのか? ……ってか、食ってもいない物の味はわかんねぇだろ。やっぱなんでもポイポイ口に入れてんだろうが。ってか、てめぇに『うまい』『まずい』があんのか?」

「……まあ、それなりには」

 めんどくさいのですっ飛ばして最後の質問にだけ答える。

 相変わらずジュースを見つめて。

 横でバジルが大きなため息を漏らす。

「……そんな欲しそうにして、飲みゃいいだろ。何をためらってんだか。まさか毒でも……?」

「……いや、それはない」

 自分の分のお茶……今まで飲んでいた……を見つめて眉をひそめているバジルを見上げ、アンディは手を横に振ってきっぱりと言う。

 不審な物を見る目をアンディの顔に向けてバジルが言う。

「……じゃあ、なんだってんだ、てめぇは」

「いや、ちょっと……虫歯が」

「はあ?」

 小声でぼそりと言うとバジルが大声で訊いてくる。

 もうこうなってはしょうがない。

 アンディは大きな声ではっきりと言った。

「虫歯が痛いんだ」

「……」

 バジルが動きを止めてアンディをじっと見つめる。

『・・・・・・』

 しばし黙って見つめ合う。

 先に顔を背けたのはバジルの方だった。

 やれやれといったように首を横に振り、大げさなため息を吐いて、肩をすくめる。

 そしてどうでもよさそうに声を投げた。

「どっちだ?」

「右のほう」

「へえー……そうか」

「?」

 答えを訊くなり嫌な感じにニヤリと笑って、テーブルに茶を置き、アンディの隣にしゃがみ込むバジル。

 当然投げかけられるアンディの疑問の目。

 それに答えずに、バジルはニヤニヤと笑って言う。

「右のほう……ね」

 ドンッ。

 いきなり肩を押されてドサッと倒れるアンディの上にバジルがまたがって座る。

 そしてアンディの右の頬をつまんだ。

「ハハッ、虫歯!! 虫歯かよ、アンディ、ダセェなぁ……。いつもホイホイ差し出された物食ってボケボケしてっからだ、バカ。ざまぁみろ。どこが痛いんだ? 言ってみろ。ここか? この辺か!?」

「ちょっ、やめろっ……」

 バジルの指が頬の上からアンディの歯列をなぞっていく。

 ぐにぐにぐに。

 痛いところでついピクンと反応してしまう。

 その頃にはアンディもバジルがどんな人間かすっかり思い出していた。

 いや、忘れてたわけじゃないけど、バジルはそういうものだから、とくに意識してなかったというか。

 ……だからこういう行動に出るということは容易に予測がついたというのに。

 自分は絶対にしようと思わないことなので、アンディの頭からはすっかり抜け落ちていた。

 でも記憶のタンスが修復され引き出され、バジル情報がすべて提出されると、次の行動も用意に想像ができた。

 思った通り、バジルの指がアンディの口の中に突っ込まれる。

 ……どうでもいいけど手袋したまま……!!

 容赦なく2本入れて右側の奥をつついてくる。

 もはや言葉も出ない。

 噛んでみたが手袋をしているのでさして痛くないらしい。

 バジルは嬉しそうにはずんだ声で話す。

「唾液出ると痛いんだろ? 俺はなったことねぇからわからねぇけどな。誰かさんみたいに出された物ポイポイ口に入れたりもしねぇしな。ここだろ、痛いとこって。黒くなってる。おまえホントにマヌケだなぁ、アンディ」

 楽しそうに指を動かしながら人を罵るバジルをキッとにらむアンディ。

 ……ホントだ、じんわり痛い。

 でもそれよりも悔しい。

 上にまたがられて肩を押さえられていて動けない上に、せめてと思って精一杯首を横に向けても中に突っ込まれている指には関係なく、逃れることができない。

 好き勝手に口内を動く指。

「他んとこも虫歯あんじゃねぇか? 調べてやるよ。俺はやさしいから」

 勝手なことを……!!

 怒りで目の前が真っ赤に染まる。

 だからといってどうすることもできず。

 ムグムガモガと言葉ならない声を出しながら……本人的には『よせ』とか『やめろ』とかなのだが……意味がないと知りつつ足をバタつかせる。

 ちなみに片手はバジルの腕を押さえて動きを止めようとしつつ、もう片手は肩をつかんで押しやろうとしているのだが、まったく効果がない。


 バジルと部屋でふたりきりになった時点で失敗だった。

 と、肩をつかんでいた手が離れて、口からも指が抜かれる、あごを押さえられたが。

 チャンスとして起き上がろうとしたところを上から覆いかぶさるようにしてまた床に押さえつけられる。

 間近に凶悪な笑みを浮かべたバジルの顔。

「アンディ。飲みたかったんだろ? ほら、飲ませてやるよ。飲めよ」

 その手にはジュース。

「!!」

 慌てて口を閉じようとするが、あごをつかむ手がそれを許さない。

 少しだけ開かれた口から中に流し込まれるジュース。

 甘く酸っぱいそれはとてつもない効果をもたらせた。

 ……痛い……!!

 ズキンズキンと痛む。

 脳内にまで響く。

 頬を押さえてうめきたいほどの痛み。

 ……どうして虫歯になってしまったんだろうか。

 どうしてバジルに知られてしまったんだろうか。

 どうして自分は今こんな目に遭っているのだろうか。

 ズキンズキンズキン。

 絶え間ない痛みに苛まれつつ、アンディは頭の中で繰り返す。

 コトン、とテーブルにコップを置いたバジルが、また覆いかぶさってきて、口の中がジュースでいっぱいのアンディの頬をもむ。

 もともと唾液がこぼれていた閉じ切らない口の端からオレンジジュースがこぼれ出す。

 シャツにも黄色がこぼれている。

 その濡れた感触と生温かさが気持ち悪い。

 なにより痛い。

「うぐぐっ……」

 結論。バジルには近付くな。

 近付くな、近付かせるな、近付くな。
作品名:待ち時間の間に 作家名:野村弥広